第25話 卵焼き
「ここで名誉挽回! 俺が最高のオムレツを作りますよ!」
予定の狩猟と採取が終わり、私たちはアンソンさんのお店の厨房に戻っていた。
彼は、今採取したキルチキンの卵を使ったオムレツを焼いてくれるそうだ。
「生クリーム。うちのお店では、高くて使えないのよねぇ……」
「うちのお店の場合、デザートも華なのでね。高くても仕入れているのさ」
この世界は畜産業がほぼないに等しいため、ミルクや生クリーム類も魔獣から手に入れなければならない。
色々な種類のミルクがあるけど、やっぱり一番人気はウォーターカウのミルクだと思う。
手に入る量が少ないので、とても高価だけど。
だから、自然と生クリームを使ったケーキなどは高くなってしまうのだ。
少なくとも、うちの店では出せないだろう。
出せたとしても、デザートなのに最低大銅貨二枚、日本円で二千円からとかだ。
甘い物が嫌いな人はいないので、金持ちたちは高級レストランに生クリームを使ったデザートを求めて通うわけだ。
ミルクを安定して仕入れられる老舗高級レストランが有利な所以というわけね。
「普通、うちの店くらいのランクだと安定して仕入れられないんだけど、そこは俺の腕やらコネやらってわけさ」
やはり、アンソンさんは腕のいい料理人というわけか。
王様の料理を作っていたという評判が有利になっているわけね。
「さて、オムレツを作るかな」
卵、生クリーム、塩、コショウなどの材料をよく混ぜ、熱したフライパンにバターを入れて……。
「ユキコさん、うちのお店だとバターも厳しいですね」
「そうね」
流通量が少ないのと、やっぱり値段よね。
「ユキコなら、そのうち仕入れられるんじゃないか? 紹介しようか?」
「うちのお店の場合、ちょっと予算オーバーになってしまうから」
「難しいものだな」
「で、今気がついたんだけど、そのフライパン。専用のやつ?」
日本というか、地球だと、オムレツを焼く専用のフライパンを用意する料理人は多かった。
卵は匂いが移りやすいとかで、他のものの臭いを移さないためらしい。
アンソンさんも、オムレツ専用のフライパンを使っていた。
「俺は気になるからそうしているけど、案外高級レストランでもやっていないところも多いぞ」
「そうなんだ」
大丈夫なのかな?
この世界の高級レストランって。
金の力で珍しい食材を仕入れるのが、一番大切みたいな状態になっているような……。
フライパンなどの調理器具が高いからという理由も……でも、高級レストランだからなぁ……。
「料理は素材が命で、高価で珍しい物ほどいい。そういう面も俺は否定しないけどな。それを求める客もいるから成立する話なんだけど……完成だ!」
さすがというか、アンソンさんが焼いたオムレツは火加減も見た目も最高の出来栄えであった。
「焼けすぎず、かといって生焼けで液体のままの卵がべちゃっと漏れることもない」
本来の料理の腕前だけなら、私なんて足元にも及ばないから当然よね。
「そして、自家製のトマトソースも酸味の加減がちょうどよくて、オムレツとよく合うわ」
この前、アンソンさんにトマトソースの作り方を教えたのだけど、私が作るよりも美味しいような気がする。
素材の長所を殺さず、お互いのよさを上手く引き出していた。
各材料の微妙な量の調整、加熱時の火加減などは、やっぱり長年修行したアンソンさんには勝てないわね。
私の料理は、ある種の素人料理なので、どうしてもわかりやすい美味しさを追求してしまうから。
「ユキコは、オムレツは作らないのか?」
「やっぱり生クリームがネックなので、うちのお店で出せる卵料理を作ってみましょう」
と偉そうに言ってみたものの、要は『オムレツでなければ、玉子焼きを作ればいいじゃない』という話である。
居酒屋や飲み屋でもよくあるメニューであり、これなら私にも作れた。
味付けに塩少々、醤油、砂糖はないのでハミチツをよく混ぜて焼けば、どこにでもある玉子焼きの完成だ。
ちょっと味を濃い目にして、お酒に合うように作るのがコツかな。
「こういうのもいいな」
「エールには合うな。さすがはユキコだ」
ミルコさんとアンソンさんが褒めてくれたけど、レストランの手間暇かけたオムレツと同じ土俵で戦っても勝ち目がないので、ある種の搦め手であった。
料理は美味しければ勝ちなので、そこはいいところだと思う。
まあ、日本だと普通にある料理なんだけどね。
ちなみに、デザート風の玉子焼きも作ってみた。
これは、卵にハチミツを沢山入れて、甘みを引き立てるため、塩を少量入れて焼いたものだけど。
甘みが多い分焦げやすいので、そこは注意する必要があるかな。
焦げると、味に苦みが出て美味しくなくなるから。
「ユキコさん、久しぶり食べますけど、やっぱり美味しいです」
「手軽なデザートで、お店でも売れるでしょう」
「そんなに数が出せないけどね」
キルチキンの生息地には偏りがあり、一箇所から獲りすぎると生息数が大幅に落ち込んでしまう。
そのため、定期的に狩猟場を変える必要があり、キルチキンの肉と卵の安定確保は難しかった。
他から仕入れると、うちのお店で出せるような値段じゃなくなってしまうというのもある。
この世界の鳥は、ちょっと庶民の味からは離れているのよね。
やはりメインは、ワイルドボアという猪・豚肉がメインであったのだ。
「……」
「あの、親分さんは甘い物は苦手ですか?」
「そんなことはない。好きでも嫌いでもないかな」
一つだけ気になったのは、親分さんは自分の分の甘い玉子焼きを完食はしていたが、空の皿を見つめてなにかを考え込んでいたことだ。
もしかして、甘い物は苦手だったとか?
親分さんに聞いてみたら、別に好きでも嫌いでもないと言われてしまったけど。
「(男の人だから、甘い物は苦手なのかしら?)」
と、最初は思ったのだけど、翌日親分さんは開店と同時にお店に来て、玉子焼きを注文していた。
ハチミツの値段の関係で……自分で採取したから無料なのだけど……普通の玉子焼きしかないので、それほど甘くなければ親分さんはこっちの玉子焼きの方がいいはず。
ところが、ララちゃんが提供した玉子を焼きをひと口食べると、また皿を見ながら考え込んでしまったのだ。
「親分さん? どこか不都合でもありますか?」
異物が入っていたとか?
私は親分さんに、『玉子焼きになにか不備でも?』と聞いていた。
「いやぁ、その……」
親分さんにしては珍しく言いにくそうで、彼は私の顔と玉子焼きを見ながら口籠っている。
もしかして、その玉子焼きになにかとんでもない不備が?
でも、それがわからず私も悩んでいると、親分さんの隣でエールを飲んでいたお爺さんが、小声で声をかけてきた。
「(女将、玉子焼きとかいう新メニュー。うんと甘くしてやれ)」
「(甘くですか?)」
昨日、親分さんは甘い玉子焼きにも首を傾げていたのに?
甘い物がそんなに好きではないのでは?
「(昨日のことはミルコから聞いているが、それよりももっと甘くしてやれ)」
「(男の人なのにですか?)」
「(なるほど。女将はしっかりしているが、まだ男をよくわかっていないようだな)」
まあ、日本にいた頃は、暇さえあればお祖父ちゃんと一緒に山に入っていた変わり者だったし、この世界に来てからは日々の生活で精一杯だったので、彼氏を作る暇もありませんでしたよ。
「(男が、女と同じく甘いデザートにうつつを抜かすのはみっともないと、変な見栄を張る者は多いが、実はひっそりと甘い物を買って口にする者も侮れない数いるものでな。ワシはそれほどでもないが……)ヤーラッドの親分、食わんのならその新メニューを貰うぞ。女将、『特別な味』の玉子焼きを新たに頼む」
お爺さんは、ひょいと親分さんの玉子焼きの皿を自分の前に引き寄せ、私に極限まで甘くした玉子焼きを新たに注文した。
「わかりました」
昨日のよりももっと甘い玉子焼きかぁ……。
親分さんには色々とお世話になっているから、ちょっとくらいハチミツを多めに使ってもいいか。
私は、まるでケーキのように甘い玉子焼きを焼き、親分さんに前に差し出した。
「お待ちどうさまです。特別な味の玉子焼きです」
「すまない」
親分さんは、私にお礼を言ってから甘い玉子焼きを口に入れた。
するととても満足そうな表情を浮かべ、ご機嫌でエールを飲み始める。
親分さん、実は甘い物も好きだったのね。
「(それにしても、お爺さんはよくわかりましたね)」
「(年の功だな。ヤーラッドの親分のような男は案外多い。まさか一人でも、若い衆を連れてでも、お菓子屋に行くわけにもいかず、普通の玉子焼きに見える甘い玉子焼きは、密かに楽しめる甘いものというわけだ)」
「(なるほど)」
普段は恐いと思われることも多い親分さんだけど、甘い玉子焼きを食べながらご機嫌な表情を見ていると、ちょっと可愛く思えてしまった。
たまに、そういう子供っぽい部分を見せる男性っていいわよね。
あっ、それと。
親分さんのために考案した甘い玉子焼きだけど、誰にも言っていないのに常連さんの間で広がってしまった。
まさかいい年の男性がお菓子屋に行ったり、レストランでデザートにケーキなんてみっともなくて頼めるか、そういう風に考えている男性客がよく注文するようになり、すぐに定番メニューになってしまったのであった。
甘い物くらい普通に頼めばいいのにと思ってしまうのは、私が女性だからなのかしら?
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