第66話 去り際の宝石

 課題だけが早く終わったせいで、他にやることもない暇な時間が流れていく。ぼおっと携帯を眺めては閉じ、本を開いては読むでもなく眺める。

 退屈だと感じる時間が増えていく。

 勉強しようにも、なんだか気が入らない。僕の頭にはずっと智恵ともえのことが浮かんでいる。別に恋焦がれているわけでもないのに、のことを考えてしまうのだ。

 智恵が事件のことをどう思っているのかはわからない。

 もうすっかり忘れていて、また美味しい食べ物を探して出かけているのかもしれない。こうやってまだ引きずっている僕なんかとは違って。

 気にしていないならそれでいいんだ。僕の方からわざわざ掘り起こして、あの恐怖を思い出させる必要なんてどこにもないのだから。


 あっという間に時間だけが過ぎていく。夏休みが始まったころはまだまだ途方もない時間があると思っていたはずなのに、気づけば今日で最後の休みだ。

 蝉の声ももう寂しい。

 窓辺から日差しが強く差し込むのが目に入る。反射した太陽が家の壁に移される。透けたカーテンが微かに揺れ動くたび、それに合わせて光の玉も左右に揺れた。

 今日も当たり前のようにやってきた瑞葉みずはを眺める。一生懸命勉強しているらしく、宿題をもう少しでおわりそうだ。

 明日からまた学校が始まる。

 顔馴れたみんなが教室に集まって、喋って、勉強して、部室に顔を出して、たわいもないことで笑う。そんな日々が続いていくのだろう。

 これまでなんら変わることなく、続いていく。そんな気がした。


 だけど、やはり僕だけがそこに馴染んでいない気がした。件の事件を気にして、彼女のことを心配してしまって、どうにも浮ついた気分で過ごすことになるのではないかと、そんな風に思ってしまう。

 ここ数日、慧悟けいごからのメッセージが頻繁に増えるようになった。

 優しい彼のことだから、きっと僕のことを気遣ってくれているのだろう。あの事件を忘れるように、他のことを考えるように、そんな意図を込めた文章が多い。でも、そう意識するうちは決して忘れていないのだと思ってしまう。


 心から忘れてはいけない――。


 無意識にそう思っているせいだろうか。ふとした時に、心に湧くのだ。

 そしてもう一つ。旅行先で出会った一人の男性だ。僕の右眼にある『赤の世界樹』を開発したという人。名前は鬼頭贋作きとうがんさく。彼に義眼の能力を使ったことを話したときに言われた言葉だ。


『能力に頼りすぎるのも良くないが、その代償と責任を決して忘れないでくれ。そしてその全部を肯定してくれ。君自身を絶対に否定するな』と――。


 今のところは義眼の能力は不定期に来るものだけど、鬼頭さんが言うには使ように創ったそうだ。これから先、僕が使いたくて使う日が来るのだとしたら、充分に配慮しなくてはならない。

 望まない展開だけど、また智恵やみんなが危険な目に会う未来が見えたとしたら、僕ができる限り精一杯救ってあげたい。傲慢かもしれないけれど、その未来は僕だけが知ってしまうのだから、僕にしかできないはずだ。

 そう心に決めたところで、目の前に座る瑞葉に声をかけた。


「そろそろご飯にするけど、瑞葉はいつ帰るの?」

「え、あたしも食べたーい!」

「いや、二人分作るのは……」

「いいじゃん。一人作るのも、二人作るのも変わんないって」

「いや、叔母さんも心配するだろうし、早く帰った方が――」

「てかその言い方だと、なんか早く帰ってくれって言ってるみたいで傷つくよ雄馬にぃ」


 瑞葉は動かしていたシャーペンを止めた。開いていた『こころ』に挟むようにして閉じる。今日は読書感想文らしい。当たり前のように僕の書いた文章から使えそうな所を抜粋して書いていた。いくら高校と中学で課題を見る先生が違っていたとしても、バレそうなものだけど。

 というか瑞葉に暗に帰ってくれと伝えたんだが、それはあまり意味がなかったようだ。まだ他人にふるまえるような手料理などない。不味いと言われた日にはショックで立ち直れなくなるかもしれない。


「じゃあ、お母さんに今日は泊まってくって連絡しておくよ」

「泊まるの!?」


 いつの間にそこまで飛躍したんだ。

 夕食を一緒に食べるのはまだ百歩譲っていいとしても、さすがに中学生の女の子を泊めるのは良くないだろ。僕が何かあっても責任をとれるような大人じゃないんだから……。

 少し焦りながらどうやって瑞葉を説得しようかと考えていると、スマホをいじっていた瑞葉が不満そうに口をとがらせてつぶやいた。


「えー……お母さんが雄馬にぃの迷惑になるから帰って来いって。別に気にしてないのに」


 ナイスです叔母さん。

 それとそのセリフは僕がいうパターンだからね。

 ぶーぶー言っていた瑞葉はスマホの電源を落とすと、渋々といった感じで荷物をまとめ始める。教科書を鞄に入れたところで、瑞葉は僕の顔をじっと見つめてくる。

 その表情がやけに真剣そうなもので、僕は少したじろいだ。


「な、なに?」

「あ、いや、えっと……」


 珍しく口ごもる。

 顔の前で指をくっつけるようにして、上目遣いを見せた。 


「も、もしね! もしの話だよ? あたしが困ってたら助けて……いや、やっぱり何でもないよ」

「なんだよ、気になるじゃんか」


 何かを言いかけたが、最後まではっきり言わずに途中で濁してしまう。代わりにしおらしい態度からいつもの毅然とした態度に戻り、にやついた表情を浮かべた。

 ふふん、と鼻を鳴らす。


「智恵さんと付き合ったら教えてね!」

「だから、僕と智恵はそんな関係じゃ……」


 僕の言い訳も聞かずに、荷物をよいしょっと声を出して背負う。もう暗いから送った方がいいだろう。いくら近所だからといっても、何かあっても困るし……。

 そう思って玄関まで行くと、そこで止められた。


「雄馬にぃはここでいいから」

「いや、でもそこだし……」

「一人で帰れるってばぁ」

「そう……?」


 あんまり過保護にされるのも嫌なのかな。瑞葉は従妹と言っても、どこか幼い妹のように感じるときがある。ついつい心配してしまうけど、あと一年もすれば僕と同じ高校生になるんだ。大人に近づきつつあるのに、子ども扱いされても嬉しくないんだろうな。


「じゃあまたね」


 そう言ってドアを閉めようとする。

 短い別れのセリフに、僕は笑って手を振った。

 閉まるドアのわずかな隙間から見えた笑顔が、やけに僕の脳裏に焼き付いたのだった。

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