第64話 夏の終わりと僕らの終幕Ⅱ

 海道沿いに走る車に揺られ、心地よい振動が時折体に響いてくる。

 窓から見える景色は一層赤色に包まれていく中で、僕らを乗せた車は目的地に着くまで行きつく暇もなく働き続ける。運転している典次てんじさんは休むことなく走らせているが、休まなくてもいいのだろうか。

 まっすぐ顔を前に固定しているせいで、どんな表情をしているのかはわからなかった。

 僕らは小さな箱の中で思い出話に花を咲かせ、片や柔和な笑みを浮かべて睡眠に興じる。その笑みが垣間見えた。彼女らは思い思いの時間を過ごしたことについて、どう感じたのだろうか。

 楽しかったのだろうか。嬉しかったのだろうか。満足したのだろうか。また、行きたいと感じたのだろうか……。そのいづれかでもなく、負の感情を抱いてしまったのなら、それは何が原因だったのだろうか。

 智恵ともえは件の事件に巻き込まれたことについて、どう感じたのだろうか。いや、考えるまでもなく恐怖心があったに違いない。そのことについては謝らないといけないだろう。

 不穏な未来が訪れると知っていながら、その注意を促すことも危険から守ることもできなかったのだから。僕が結果的に彼女を救えたとしても、それはあくまで結果に過ぎない。

 彼女が怖い思いをした、という過程だけはどうやっても消し去ることなんてできないのだ。

 ただ、それにしても――。


「お前が無事で何よりだ」


 智恵が無事で何よりなんだ。

 事件の一連の流れを聞いた慧悟けいごは開口一番にそうつぶやいた。


「だが急いでいたとはいえ、俺たちにも連絡くらいは欲しかったな」

「それはほんとごめん……」


 わりと真剣なトーンで言われたことで、彼もまた本気で心配していたのだと気づく。僕の身勝手な行動で周囲に迷惑をかけたのは事実なので、素直に頭を下げることしかできなかった。


「それにしてもその警察官には感謝しかないよな」

「あの人がいなかったら、ほんとね」

「後日にでもお礼をするべきなんだが……」

「名前しか聞いてないしな……」


 暮さんがいなかったらどうなっていたのだろうか。あまり考えたくはないが……。慧悟に言われて電話かメールでお礼を言おうかと考えたのだが、暮さんの連絡先を知らなかった。

 ズボンのポケットに入れっぱなしだった携帯を取り出したが、行き場所を失ったように空中をさまよったあげく、膝の上へ収まった。


「まあ緊急時だったから聞けないのが仕方ないな。またいつか会えることを祈るしかないだろ」

「だね」


 慧悟がフォローしてくれる。

 また会えることを祈って、か。僕は運命というものをはあまり信じない性格だと思っているけど、それは悪くないだろう。むしろその方がいい。暮さんとまたどこかで会えることを祈って――。

 話がひと段落したこともあって、しばしの間沈黙が続く。ああ、少し話し疲れたかもしれない。今回の旅はいろいろあって本当に疲れた。

 すんなりとまぶたの重みに逆らうことなく、僕らも眠りについたのだった。


                 **


 駅に着いた時にはすっかり日も暮れて、辺りはどっぷりと闇に包まれていた。時期的にはまだ夏とはいえ、夕方も過ぎると涼しい風も出てくる。空には輝く星さえ浮かび上がる。さすがにビルや街灯が多くある街の中では大三角形などの星座は見えなかった。

 典次さんが駅の中にある乗降スペースへと車を停車させる。

 そこには見知った車と顔が並んでいた。叔母さんの車、慧悟けいごの家の車。それぞれの両親が我が子を迎えに来たのだ。

 事前に瑞葉みずはが叔母さんに連絡をしていたらしく、僕もその車にお邪魔させてもらうことにした。

 高校生と言えどまだ子供だ。引率する大人なしでの旅行を親たちもまた、心配していたのだろう。宿泊していることもその要因だ。見つけた途端に駆け寄って、ほっと安心したような顔をしていた。

 ああ、もしもこの場に僕の母さんや父さんがいたら……。

 あんな風に抱きしめてくれるのだろうか。あの優しい微笑みを僕に向けてくれるのだろうか。

 いくら考えてもその答えは見つからない。ただ満たされない心の穴が広まっていく一方だった。これ以上は考えまいと頭を振って、思考を切り替えることにした。


「帰ろーよー、雄馬にぃ」


 いつの間にか瑞葉は旅行バッグをトランクに積んでいたようで、僕の荷物も渡すように手を引っ張ってくる。心ここにあらずといった返事をしながらカバンを預けるが、僕の視線は未だその光景に固定されたままだった。

 車に乗り込んでもそれは変わらなかった。虚ろな視線を窓の外に向ける。そこに果たして僕の視たいものが本当に視えたのかはわからなかった。

 だがそれも、叔母さんが声をかけてくれたことで中断する。


「雄馬くんもつかれたでしょ? 家で一緒に食べていきな」

「あ、はい。ありがとうございます」

「やったあ! 雄馬にぃといっしょー」


 ありがたいお言葉をいただいた。瑞葉はご機嫌な様子で、鼻歌を鳴らしていた。

 夜の街を走る。

 ネオンで着せ替えられた街は嫌というほどに輝き、その喧騒ごと飲み込んでしまいそうなほどだ。僕にはなぜか綺麗だとは思えなかった。

 疲労がたまっている状態で、夕食を作り、洗濯をしているとそのままベッドに倒れてしまうかもしれない。それにご飯と言っても、カップラーメン一つで済ませてしまうときなんてざらにある。


「ふぅ……」


 そっと息を吐き出した。

 自分の中にあった何かを追い払うように。

 生活リズムは比較的整っている方だとは思うが、食生活に関しては料理スキルがまだまだ素人に近いため、どうにもならないところがあったりする。野菜分の摂取が偏るとかね。その分、叔母さんが保存のきく料理を作ってくれたりしてくれるのだ。

 時々学校から帰った瑞葉が僕の分だと言って、タッパごと持ってきてくれたりする。本当に助かっている。

 智恵も天馬てんば兄妹も自分たちの車に乗って帰って行く。みんな帰るべき場所へ帰っていくのだ。

 さて、僕も帰らないとな――。

 僕らの夏の合宿は、こうして幕を閉じたのだった。

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