第72話 ただいま
しばらくというのは、何か月か、数日か、それとも数週間か。
そんなことを思っていたシスカだったが、
「もうお前帰れ」
「……」
次の日追い出されることになるとは思わなかった。
「わかりました」
「あぁ、もう二度と来るな」
「わかりました」
エルザさんは、ハエをはらうように手をはらった。
俺には帰る場所がない。
ジゼルお嬢様の屋敷には帰れない。どこにいこう。どこかホテルをとって――いつまで?しばらくっていつまでなんだろうか。
「ちゃんと屋敷に帰れよ、近いんだから」
「でも――」
「いいから、帰れって」
俺はぐいっとエルザさんに背中を押されて玄関に出た。
「昨日一睡もしていないだろう、折角マットも引いてやったのに」
シスカはジゼルにいつまで会えないのかと考えたら悲しくて仕方なかったのである。
でも、ここにずっといるわけにはいかないし、このままどこかにいってジゼルとそのまま会えなかったら、色々考えてしまうシスカの性格は、恋愛との相性が悪かった。
「ありがとう、ございました。エルザさん、またいつでも屋敷に来てジゼルお嬢様に会ってあげてくださいね」
「うるさい」
大人しくエルザの家を出たシスカだったが、屋敷にいく勇気が出なかった。
「あ、シスカじゃない」
後ろから聞き覚えのある声がして、振り返ると馬車が止まっていて窓からレズリ―が顔を出していた。
「こんなところに1人で何しているんですの?わたくしこれから丁度ジゼルの屋敷にいくところですのよ、一緒にどう?」
レズリ―はいつものように自然にシスカを誘った。シスカは少し迷ったが、後ろで目を光らせているエイズラには戦いはどうだったかという報告が必要だと思ったので馬車に乗ることにした。中には、エイズラ、ライムも乗っていた。
「どうしてあんなところを歩いていたのよあなた。死んだような表情で」
心配そうにシスカの顔を覗き込むレズリ―にシスカは目を伏せて少し黙ったが、その後事情を話した。
「そう、じゃあよかったじゃない」
「え?」
「ジゼルも心の準備が必要だからあなたを追い出しただけですわ。そう、あなたがジゼルのいっていたマスク様だったのね」
「……はい」
レズリ―はシスカの頬を両手で包んだ。
「ずっと言いたかったの。ジゼルを助けてくれてありがとうって」
シスカはレズリ―の優しい笑顔に心が浄化されるような気持ちになった。
あっという間に馬車は到着した。
エイズラは腕を組んでシスカを眺めていた。
「勝つのは当然だ。勝ったのだから胸を張って、ジゼルお嬢様のところに行けばいいだろう。お前はその為に嫌いな俺に頭を下げたんだろうからな」
相変わらずこの人は言い方なんとかならないのか。シスカは心の中でいつものように毒づいたが、これは不器用なエイズラなりの励ましの言葉だということを理解していた。
「嫌いじゃないですよ」
シスカは、師であるエイズラに背中を押され、レズリ―に励まされ、屋敷に帰ってきた。
「エイにぃは彼と友達になったのか」
ライムはエイズラにこっそりと耳打ちした。
だが、エイズラは首を振った。
「執事の大先輩だ」
エイズラは腕を組んでシスカの後ろ姿を見ていた。ライムはエイズラの自分の知らない新たな表情を見れた気がして静かに微笑んだ。
レズリ―がシスカを誘拐しなかったら、2人が出会わなかったら、ジゼルとレズリ―は友達に戻れていただろうか。
アーサーはレズリ―とまともに会話をしていただろうか。
屋敷の中に入る前に扉が開いて、マチルダが出てきた。
マチルダが大きく目を見開いてシスカを見つめた。
「マチルダさん、すみません。その――」
「おかえりなさいであります」
マチルダはそういってシスカを抱きしめた。
ジゼルを助けた後の、あの時のように。
「ぐあっ……マ、マチルダさん!?」
相変わらずの絞め具合である、いやいつも以上も知れない。
病み上がりだというのに骨がきしんでいる。
「マチルダさん!マチルダさん!また入院することになってしまいます!」
必死なシスカの呼びかけが届いたらしく少したらマチルダはシスカを開放してくれた。
安堵するシスカにマチルダはにこっと微笑んだ。
「ロゼッタちゃんから聞いたでありますよ。ずっとあの人のところにいたんでありますか?」
「はい、最後には励ましてくれましたよ、またジゼルお嬢様に会いに屋敷に来てくださいと伝えました」
「……」
真剣に答えるシスカに、マチルダは真実をいっているのか否か見極めるように目を細めた。
「シスカさん!」
ロゼッタも走ってきてシスカに飛びついた。
「よかったです、おかえりなさい」
「ただいま、ロゼッタちゃん」
しばらく会いたくないといわれてしまっていたにも関わらず2日も待たずにきてしまったというのに2人は歓迎してくれている。
シスカは2人の後ろの廊下の壁に隠れてこちらを見ているジゼルを見つけた。
「ジゼルお嬢様――」
ジゼルは、びくりと体を震わせゆっくりとシスカの方に近づいてきた。
マチルダとロゼッタは自然とシスカから離れ、側でジゼルとシスカを見守っている。
「シスカ」
「ごめんなさい、ジゼルお嬢様」
「こちらこそ、ぶって悪かったわ。あなたがマスク様だという心の準備ができていなくて、その――」
「当然です、嘘をついていて、ごめんなさい」
シスカとジゼルはぎこちなく謝って見つめあった。
だが2人共顔を赤らめて俯いてしまった。いつもの2人なら自然に会話ができたはずだったのだが、好きだった相手がお互いに意識するようになってしまい、どういう風に話を切り出していいのかわからなかったのである。
だが、シスカは自分がマスクだということもジゼルに知られてしまったのだからこの際全て正直に話そうと決めた。
「しばらくといったのに、戻ってきてしまいました」
シスカは大きく息を吸って続けた。
「いいわよ、そんなの。わたしだって」
「ジゼルお嬢様に、嫌われてしまったかと思って眠れませんでした」
「……」
ジゼルは、クマが濃く浮き出た目でシスカを見つめた。
「俺は、ジゼルお嬢様のことが好きです。嘘をついていてごめんなさい。もし、叶うならば、マスクとしても、執事としても、あなたを守り続けたい。これからもお側にいさせてください」
「マスク様も、シスカも、あなたなんでしょう。嫌いになるわけないじゃない。あなたはわたしの、わたしだけの王子様なんだから。わたしがエルフでも、あなたはわたしのことをずっと守ってくれていたんだもの」
ジゼルは、シスカを抱きしめた。
「永久にこのお屋敷に就職してもらうわ、これからも、わたしの側で」
「はい!」
マチルダは微笑んだ。
この屋敷にシスカが来た時は、まさかジゼルを救ってくれる人が現れるとは思わなかった。自分以外に、ジゼルを守りたいというものは現れないと思っていた。エルフというだけで冷めた目で見られるのだ。
厳しい訓練に毎日いそしむ者が現れるとは思わなかった。
ジゼルはマスクがシスカだと知った時、当然恥ずかしかったがマスクが自分にしてくれたこと、自分を助けてくれたことを思い出し、自分をずっと近くで見守ってくれていたのだというマチルダの言葉に涙を流した。
エルフだからと、周りをあえて遠ざけ、暗い部屋の中でずっと蹲っていたジゼルの手を引いて光の当たるところに連れ出したシスカを、どうして嘘をついていただけで遠ざけることができるだろうか。
種族なんて関係ない。
そういってジゼルの手をとってあの時パーティから連れ出してくれたのは彼だけだった。
結婚式の時、暗闇から手をとって光へと導いてくれたのは彼だけだった。
彼がこの屋敷に来てくれて本当によかった。
ジゼルは心からそう思った。
*
シスカは、最初はこの屋敷に来ることは嫌だった。
我儘で横暴なお嬢様と、ドジなメイドとの苦労の日々。
だが、その日々がこうして自分を成長させ、今はどうしようもなく愛おしい。
「ぎゃーーーーーーっ!」
がっしゃんとまた今日何度目かわからないバケツをひっくり返す音が屋敷に響いた。
「マチルダさんがまたやっちゃった!ロゼッタちゃん、雑巾持ってきて!」
「は、はい!」
「騒がしいわね、全くこの屋敷は」
ジゼルは腰に手をあて、困ったような顔をして笑った。
そしてジゼルとシスカは顔を見合わせて微笑み合ったのであった。
完
悪役令嬢の執事というブラックなお仕事! ガイア @kaname0109
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