ノイルフェールの伝説 ~賢者と呼ばれしエルフ~

三久間 優偉

プロローグ

蒼氓の賢者

『ねぇ、聞いて!

 この世界って何で出来上がっているのかな?

 水? 空気? 土? 火? 草?……動物……それとも人?


 正直判らないの。

 わたしはどうしてこの世界に生まれてきたのか?

 どうして人は争いを止めようとはしないのか?


 心はどうしてあるのか?


 心がある限り、人は喜び悲しみ、怒り、愉しむ。

 そうする事で人は未来に繋げていく……だけどわたしはどうなんだろう?

 この世界はわたしに何を望んでいるのだろう?


 だからこそ、この世界でわたしは精一杯生きてみたいと思うの。

 そう……あなたが愛するこの世界を護りながら、あなたと一緒に……』



 吹き抜ける微風そよかぜが彼女の青磁色の髪を揺らし、桃色のローブの裾を靡かせる。

 やがて、そのまま大の字になって草原に横たわり、彼女は碧い天空を見上げてみる。青く澄み渡る空には、白い鳥が舞い、渡っていく。


「そろそろかな……」


 しばらく青空を見上げていた彼女は、ゆっくりと起き上がり、白いマントを揺らせて歩き出す。その時、一陣の風がひときわ強く吹き寄せ、再び彼女が身に着けるローブの裾を揺らしていく。


「意外に心配性なのね……大丈夫よ」


 風に向かって彼女は呟いた。

 すると「わかった」と答えたかのように風は凪いで行き、彼女はクスリと笑って見せた。


「……ん、大丈夫……任せて」


 そう言うと、彼女は再び歩き始めた。

 その動きに合わせるように、オリハルコン製のサークレットの両側面に施された風羽の細工が青白い輝きを見せ、同じくその付け根で存在感を示す碧の宝玉が青緑色の輝きを放った。




――――――――――――




 王都バーニシアが、このような歓声に包まれたのはいつ以来であろうか?

 マーキュリー王国の王城であるバーニシア城の城門は開け放たれ、誰もが自由に王宮に面した中庭まで足を踏み入れることができる。


 西の隣国、ウォルフォード王国の王城ホーシャムのような絢爛けんらんさはないものの、磨き上げられた白壁とプルシアンブルーの屋根、それに各所のモールに施された金箔は、この白亜の城にアクセントを加えており、その美しさには多くの人間が息を呑むことだろう。


 中庭を見渡す左右のテラスには、間もなく三階のバルコニーに姿を見せるであろう国王を迎えるべく、儀仗兵ぎじょうへいが整列しており自分達の出番を静かに待っている。

 彼等の装備は古めかしいものであったが、華美な装飾が施され実用性を持たないものばかりであり、この日に合わせて新たに新調されたものであった。


 この日、現国王エドワードⅠ世の退位と王太子アンソニーの新国王即位の儀式が行われる。

 新国王の即位は、長らくの戦乱で疲弊した国中に新しい希望の燈火ともしびを与えることになるだろう。

 バーニシア城内に設けられた回廊から、中庭で祝う領民達の笑顔を見て、彼はそう思った。


 色白の肌に青味の濃い銀髪を無造作に掻き上げ、南国の浅瀬のような金春色ターコイズブルーの瞳は、歓呼の声をあげる領民を見つめている。

 中性的な面差しとやや細身の体つきをしているので、学者のようにも見えるが、身に纏った衣服から出ている腕は鍛え上げられた鋼のように引き締まっていた。

 その姿は式典に備え、華美な服装をしている者達に比べてかなり地味であり、これから旅にでも出るような出で立ちであった。


 やがて中庭を背にして、彼は静かに歩き出した。

 城内の大広間である『騎士の間』を通り抜け、一階に通じる大階段を下りると、その先には厩舎がある。城にやって来た騎士の従者や衛兵達の声が飛び交い、馬がたてる物音や鳴き声はまるで戦場のような騒がしさだ。


 そんな場所に彼が姿を見せると、二頭の馬の手綱を引いて近づいてくる人物がいた。

 淡い桃色のミニ丈のワンピースの上に、白銀の軽鎧ライトアーマーを纏い、手足には同じ系統のガントレットとグリーブを身に着けている一人の女性だった。

 くびれた腰には細剣レイピアき、額にはオリハルコンのサークレット、青磁色に輝く長い髪と純白のマントをたなびかせ颯爽さっそうと歩いてくる体躯たいくは、兵士や従者といった一見荒くれ者達が集う場所では、ひと際華奢きゃしゃであり、それでいて場違いなほど美しかった。


 周りの男達も、その存在を興味深そうに眺めたり、口笛を吹きヤジを飛ばしたりしてからかおうとするのだが、彼女のブルーダイヤモンドのような澄んだ瞳に見据えられると、どんな荒くれ者でも言葉を失ないうつむいてしまう。


 そんな周囲の雰囲気など意にも介さぬとばかりに、彼女は彼に笑顔を向けた。


 一頭はまるでこのバーニシア城の外壁のように白い毛並みを持っており、もう一頭は相反するピアノの鍵盤の色のように漆黒の毛並みを持っていた。二頭とも十分に手入れされており、今にも駆け出しそうな精悍さを醸し出しているが、手綱を握る主を慕うかのように後に続いている。


「もう良いの?」


 ブルーダイヤモンドのように輝く瞳を向け、長い青磁色の髪を揺らしながら彼女は尋ねた。


「ああ、問題はない。」


 静かに答える彼の金春色ターコイズブルーの瞳には、強い決意が滲み出ているのを彼女は感じた。


「そう、でも良いの?」

「構わないさ。」


 手綱を彼女から受け取りながら、男は曳かれて来た黒馬の鼻先をゆっくり撫でた。


「何だかもったいないわね。せっかくアンソニー様が宰相さいしょうにって、仰ってくれているのに。」


 揺れる髪の毛の毛先を指先で弄びながら、彼女は呟いた。

『宰相』は『特に君主に任じられて宮廷で国政を補佐する者』を意味する。

 彼は、新しく即位するアンソニーⅠ世に、前々から宰相の首席になるよう求められていた。その都度、彼はその要請をかたくなに拒んだのだ。


「独善的なたった一人の意見よりも、多くの人の意見を集めていった方がより公平になるってものだよ。それに……」

――この国には、まだ議会を作るような土壌……教育が……行き届いていない。識字率も低い中じゃ選挙だってできない。


 言いかけて飲み込んだ。

 数多くの冒険の中で、彼自身に取り込まれた『いにしえの知識』が、必ずしも今の世に役立つとは彼自身思ってはいない。

 それでも彼は知ってしまったのだ。

 失われた『いにしえの知識』の中には『常識』だったものが、今ではとても珍しく貴重なものになっていたことに。


 決して過去の世界が、今の世界より断然優れていて素晴らしいものだとは思わない。しかし、彼は思っている。自分自身を形成する数々の要素の中には、それらの知識が多分に含まれているし、自分の行動原理そのものなのだ。


 もっと具体的に言うなら『自由』と『平等』が存在し得る点において、少なくとも現在の『この世界』よりマシな世界であったのだろうと彼は確信している。

 だからこそ思う。今よりも少しでもその『マシな世界』を実現したい……と。


――それを実現させるためには、人類は未熟で、まだ多くの時間が必要だ。


 黒馬の毛並みを整え撫でながらそう思った。


「それに……何よ?」


 その時、不意にブルーダイヤモンドの瞳が覗き込んできて、彼は思わず頭を掻いた。


「その……えっと……なんだ……宰相なんかになったら、昼寝する時間だって無くなるじゃないか。」


 思わぬ問い掛けに取り繕うような形になってしまったが、幸いな事に彼女に真意は伝わらなかったようだ。


「何を呑気なことを言っているのかな?」


 呆れたように声を上げてしまう。

 彼とはずっと行動を共にしているが、未だにこの男の考えていることが理解できない時がある。


「まったく、そういう所は全然変わらないのね!?」


 左手を腰にあてがって、宰相になるメリットを右手で指折り数えている彼女を眺めて、彼は困ったような笑顔を浮かべた。


「そうかもしれないな……でも、そんな俺に付いて行こうって言う君も相当な変わり者だよ。」


 自身の乗馬となる白馬の首を撫でながら、彼女も笑顔を浮かべた。


「わたしは良いの! わたしは気まぐれな『風』なんだからっ!」


 ひらりと愛馬に跨り、その腹を足首で触って合図を送ると、一足お先にとばかりに駆け出した。

 その軽快な動きは、とても常人のものとは思えない身のこなしであった。


「それに『あの日』からもう決めているのよ……ずっとあなたの傍にいるって……あなたは知らないでしょうけど」


 聞こえないように、自分に伝えるように静かに呟いた。

 柔らかな日差しの中、青磁色の髪が大きくたなびく。


――あなたが愛する『この世界』をわたしも守って行きたいから……


 馬を加速させ、風を感じながら彼女は声にならない言葉を発した。


「わたしはこの世界が好き!」


 彼女の行動が、まるで子供のように無邪気に振舞っているように見える。

 彼は、心が救われたような気がしてならなかった。戦う事しか能の無かった、他に自分を活かせる道を見つける事が出来なかった男に新たな道を示してくれた大切な存在……


「じゃあ、行くか!」


 彼も掛け声とともに、黒馬の腹をポンと叩き、合図を送る。

 王都からヴァストリタヴィス大陸公路へ出るには、まだまだ時間はかかるだろう。そして、この大陸公路の先には、東方三大帝国の一つである神聖メルキア帝国がある。

 西側諸国の動乱に乗じて、いつ戦を起こしてもおかしくはない。


 大厄災により一度ひとたび崩壊し滅び去った『この世界』は『天空神テリー』と『慈母神ソフィー』によって再生したと伝えられており、この二柱の神を総称して『ノイルフェール神』と呼んでいる。

 しかし『ノイルフェール神』を邪神と定め、唯一神たる『アニマ神』こそ絶対と信じる者は決して少なくはなく、むしろそちらの方が今は多いと言われている。


 信仰する心は、時として人間に『狂気』を『正常』と信じさせる麻薬のような効果がある。そして、この世界はそれが魔素マナと同じように蔓延している。

 彼はそれを憂いていた。『あの争い』を二度と繰り返してはならない……と。

 彼の名は、シルヴェスター・シェフィールド。通称『スライ』……彼はハイエルフである。


 好むと好まざるとに関わらずこの世界に生を受け、この世界を渡る『銀翼の賢者』と呼ばれた男である。

 この世界は、一人のハイエルフの登場によって新しい時代へと突入していたのだが、人々がそれに気が付くのは、それからずっと後のことになる。

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