第2話

 学校に行くべく蓮見邸を出る。


 僕はこの家に呼ばれたことを心の底から感謝していた。


 もし自分の家に残っていれば、母が死んだことを日々実感しながら生活していただろう。ただいまを言ってもおかえりの声はない。出かけるときも、いってらっしゃいとは誰も言ってくれない。ひとりで住むには広い家だ。きっと気が滅入っていたにちがいない。その末にこの神戸という街を去れば、そのまま二度と戻ってくることはなかったにちがいない。


 だが、蓮見家にきたことでそれは避けられた。今もなお、あの家は母との思い出の場所として残り、足取りが重くなるようなこともなく週末には祭壇に手を合わせに帰っている。本当にありがたいと思っていた。


 この蓮見邸は、神戸市営地下鉄西神・山手線の名谷駅から徒歩圏内にあり、僕はその名谷へと足を向けた。


「真壁!」


 駅に着いたところで名を呼ばれる。


 声が聞こえたほうを見れば、クラスメイトの直井恭兵がいた。


 彼について端的に表現するなら、イケメンリア充だ。

 整った容姿の爽やかな好青年。学業の成績もよく、放課後は部活に励んでいる。聞いたところによると、所属するハンドボール部の次期主将候補なのだとか。当然同学年どころか、下級生、上級生も含めて、学校中の女子生徒から絶大な人気を誇っている。


 言わば、男版瀧浪泪華か蓮見紫苑か、といったところである。


「おはよう」

「おはよう、直井」


 今まさに改札を通ろうとしていた僕は、駆けてくる彼を待ち、合流する。


 僕の前で足を止めた直井が、素早く目だけで回りを見たのがわかった。


「蓮見先輩ならいないよ」

「……君は意外といやなやつだな」


 その意図を察して僕が言えば、彼はそう苦笑する。


 直井恭兵は蓮見先輩と同じ中学の出身で、そのころから彼女に憧れを抱いていたらしい。だから、今も蓮見先輩が近くにいるのではないかと期待したのだ。


 だが、その憧れが原因で、一時期直井は蓮見先輩の弟となった僕に嫉妬し、憎悪してしまった。幸いにしてその件はどうにか解決し、今はこうしてクラスメイトとして接している。


「もう一本か二本後の電車だろうね」

「そうか」


 直井はそう言ったものの、僕と一緒に改札を通った。蓮見先輩を待つ気はないようだ。


「でも、どうして一緒に行かないんだ?」

「そりゃあ僕が毎日のように蓮見先輩と並んで登校してたら変だからね」


 そんな光景が続けば不審に思われるし、いずれ追及される。そうなれば嘘で誤魔化すか、蓮見家と真壁家の家庭の事情を話さざるを得なくなるかで、どちらにしてもいい結果になるとは思えない。


「それに僕が蓮見先輩の横にいるなんて不釣り合いだよ」

「そんなことはない。君は蓮見先輩の弟に相応しい男だ」


 直井は迷いなくそう言い切った。


 こんなことを言うのは直井くらいのものだろう。というのも、どうも先日の騒動を経て、彼の中で僕の評価がぐっと上がってしまったらしいのだ。ありがたいと思う一方、振り幅が大きすぎてついていけないところもある。まぁ、そもそもきらわれていなかったということなのだろうけど。


「直井、声が大きいよ」

「あ、悪い……」


 僕が注意すると、直井はばつが悪そうに謝った。


 とは言え、今は朝の通学ラッシュ。熱のこもった直井の声もホームの喧騒にかき消され、誰の耳にも届かなかったようだ。


「まぁ、でも、僕が直井の半分でも自分に自信がもてたらよかったんだけどね」


 程なくして電車が滑り込んできて、僕たちはそれに乗り込んだ。




 僕たちが通う茜台高校は学園都市にある。


 学園都市は名谷からふた駅。その名の通り高校や大学などの多くの教育機関が集まった街だ。


 車内は多くの学生――主に高校生で混雑していて、僕と直井は誰に聞こえてもいいような当たり障りのない話をした。


 そうして学園都市に着くと、ここからはまた徒歩だ。


 こちらは名谷の蓮見邸とはちがい、いちおう徒歩圏内といった感じの距離で、夏本番の七月に歩くのは少しうんざりする。尤も、そう思っているのは僕だけで、運動部に所属する直井は苦にならないようだ。


 そうしてふたりで肩を並べて歩いていると、




「直井君、おはよー」

「直井先輩、おはようございます!」




 当然のように直井は女子から声をかけられる。しかも、同学年だけではなく、上級生や下級生もいた。新入生の女の子など、憧れの直井先輩に挨拶できたことに舞い上がり、走り去ってしまった。さすが直井恭兵と言うべきか。


「みんな知り合い?」

「もいる」


 つまり割合的には知らない女子生徒のほうが多いわけか。


 瀧浪先輩もよくいろんな男に挨拶をされているので、直井がそうなるのも当然と言えば当然か。


「おはよう、直井君!」


 言っているそばから、また声をかけられる。

 ただし、今度は僕も知っている子だった。クラスメイトの新堂アリサだ。


「一緒に行こ」


 後ろから駆けてきた彼女は、直井の横に並ぶ。


「悪いけど今、男同士の話の真っ最中なんだ。先に行ってて」

「えー、何それー。やーらしー」

「そうだよ。男同士のいやらしい話。だから、また今度」


 可笑しそうに笑う新堂さんに、直井も冗談で答える。だけど、そこには取りつく島もないような雰囲気も滲ませていた。


「ふうん。そうなんだ……」


 それを新堂さんも感じ取ったようで、彼女は直井の向こうからちらと僕を見た。


「じゃあ、学校で」


 ついにはそう言って、早足で前に進んでいく。しかも、最後に僕を睨みつけてから。反対に僕と直井は歩くスピードを落とした。


 新堂アリサという女の子は美人で、クラスの女子の中心的な存在だ。


 ただし、人気があるかというと、必ずしもそうとは言い切れないところがある。というのも、少しばかり性格に難があるのだ。


 彼女は陰口が多い。それも自分のグループの中だけで言っていればいいのだが、周りにも聞こえるように言ってしまう。これは本当に周りに聞かせたいわけではなくて、単純に人の目や耳を意識していないのだ。或いは、できないと言うべきか。


 いちおう直井の前では猫をかぶっているが、詰めの甘い彼女のことだ。果たして直井に通用しているかどうか。


 では、なぜ新堂アリサが女子の中心的存在になっているのか? それは単に彼女の自己中心的な性格によって勝手にその座についただけで、周りがそれに異を唱えることで波風が立つのを避けた結果に過ぎない。おそらく近い将来、何かトラブルが起きるにちがいない。巻き込まれないことを祈るばかりだ。


「一緒に行けばいいのに」


 遠くなっていく新堂さんの背中を見ながら、僕は試しに言ってみる。彼女は友達でも見つけたのか、さっそく今度は女子生徒に声をかけていた。


「今は先約がいるからな」

「僕のことなら気にしなくていいけど?」

「真壁のそういうところさ――」


 直井は僕の言葉に被せるようにして発音した。


「あまり感心しないな。真壁に俺が俺がなんて似合わないのはわかってるけど、何でもかんでも自分が一歩下がって丸く収めるのはちょっと安易なんじゃないか?」

「そうかな?」


 僕は問い返すが、直井は自分で考えろとばかりに黙ったままだった。まぁ、僕とて反問のかたちはとっているが、そうだよとダメ押しで言ってほしいわけではない。


「それに彼女はちょっとな」


 直井は言葉を濁したまま苦笑する。


 新堂さんが直井にだけは隠そうとしている裏の顔を、やはり彼はしっかりと見抜いていたようだ。


「よし、じゃあ、男同士の話をするか」


 直井が仕切り直すように、殊更明るく切り出してきた。


「何について?」

「そりゃあ蓮見先輩と瀧浪先輩のことに決まってるだろ」

「だと思ったよ」


 この後、僕たちは道々瀧浪泪華と蓮見紫苑について話をした。もちろん、よく男子生徒の間で交わされる、どちらがかわいいかなんて話ではない。




          §§§




 程なくして学校に着く。


『ギリギリ徒歩圏内』の距離を歩いた僕はすでにぐったりしていた。一方、日ごろからハンドボール部で鍛えている直井は涼しい顔をしている。当然、額に汗は光っているのだが、それでも爽やかなのだ。いろいろと羨ましいかぎりだ。


 教室に入ると、ちょうど話の切れ目だったこともあり、それぞれ自分の席に向かう。


 軽く見回してみると、僕たちよりも先を行った新堂さんは当然もう着いており、さっそくクラスメイトとおしゃべりをしている。


 僕の向かいから泉川寿が、太り気味の体を揺らして歩いてきた。彼はリア充集団である直井グループの一員で、別に僕に用があって近づいてきているわけではなく、ただ単に直井のところに行くルートがここだったというだけだ。その証拠に、僕の顔を見て「ふん」と鼻を鳴らしている。


 そうしてすれちがいざま、


「よっ」

「ぐぇ」


 僕のラリアットが泉川の喉に炸裂し、彼は情けないうめき声を発した。


「何すんだよっ」


 当然のように文句を言われる。


「ちょっとした冗談だよ。友達だろ」

「だ、誰がお前なんかとっ」


 泉川は吐き捨てるように言うと、ドスドスと足取りも荒く去っていった。向かう先は直井のところだ。


 僕も自分の席に行く。そこで制鞄を置くと、椅子には腰を下ろさず今度は別の場所へ向かった。そこには男女一組のクラスメイトが。


「おはよう、ふたりとも」


 刈部景光と辺志切桜だ。


 ふたりは縦に並んで席に座っていた。辺志切さんは自分の席だが、その前の刈部は人の席に勝手に居座っている。体を横に向け、後ろの辺志切さんと何やら話をしていたようだ。


「おはよう、真壁くん」


 挨拶が返ってきたのは辺志切さんからのみ。省エネ男の刈部は軽く手を上げて応えただけだった。


 ふたりはいつもこうして一緒にいる。それもごく自然に。静かに自分たちのペースで話をしているときもあれば、何もせずただ一緒にいるだけのときもある。ふたりともそろいもそろって整った面立ちをしているのに、賑やかなことや派手なことはきらいなのだ。


「今日は直井くんと一緒だったんだ」

「たまたま駅で会ってね」


 普段なら直井は毎日のように部の朝練に参加していて、ただ最寄り駅が一緒なだけならほぼ会うことがない。だけど、今は期末テストが近づき、その朝練がなくなっているため遭遇率が一時的に上がっているのだ。


「直井はまだわかるが――」


 という出だしで今度は刈部が口を開いたが、言葉とは裏腹にたぶん理解する気はないだろう。非効率的なことをきらい、合理的な考えをする彼は、直井のような高校生活の楽しみ方が理解の範疇にない。延いては直井と積極的に関わろうとする僕も理解できないと思っているはずだ。


「例の噂の出どころは泉川だろうが」

「そうだね」


 例の噂とは、少し前に流れた僕をストーカーに貶めることを目的とした流言飛語のことだ。結局、僕の知名度の低さが災いして、思ったほどの効果を上げなかった――のだが、それが泉川の仕業だったという話は、刈部にはしていなかったはずだ。


 尤も、彼は噂が流れはじめた当初から泉川を疑っていたし、容易に予想できたのだろう。それを僕に確認することなく、確定事項として話をするところが刈部らしいが。


「まぁ、それを考えれば、あいつは真壁にあれくらいされても文句は言えないだろうな」


 たぶん先ほどのラリアットを指しているのだろう。


「いや、僕は純粋に友達として悪ふざけをしただけだけど?」

「……俺は真壁がよくわからん」


 刈部が呆れたように言った。

 どうやらまたひとつ理解できないことを増やしてしまったらしい。


 実際、僕は泉川のことをそれほどきらってはいない。あいつはあいつで友達思いなところがあるのだ。

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