はじまりの向こうがわ
今夜も月がのぼっている。
◇◇◇
タカヤ一家と町で暮らした日々はあっという間だった。
毎日子ども達を学校に、タカヤを仕事へと送り出して、ママさんと朝の時間をゆっくり過ごしてからユキと散歩に出かける。
「今日はちょっと寒いね」
「うん、春が待ち遠しいな」
そんな話をしながら、町の人や動物達に挨拶したり、季節ごとに咲く花を眺めたり、色んな匂いを運んでくる風にふたり並んで吹かれたり。なんてことのない瞬間かもしれないけど、ぼくはとっても好きだし、ユキもいつも楽しそうだ。
そんなふうに過ごした数年は、ほんとうに飛ぶように去っていった。
ルカは大学に進学した時に一人暮らしを始めたし、ショータも就職したタイミングで家を出ていってしまった。
賑やかだった
やがて子どもが生まれて――そんなことさえも、もうずっと昔のこと。
ぽつりとユキが言う。
「時間は風みたい」
「ほんとう」
今、ぼく達は田舎の長田家の縁側から、夜空にぽっかりと浮かぶ月を見上げていた。昔ながらの古い家じゃなくて、数年前に改築したばかりの2階建ての新しい本家だ。あちこちがまだピカピカで、新しい家特有の香りもうっすら残っている。
今日は親族が集まる日で、家の中からは子ども達の立てるバタバタという足音や、大人達の談笑の声が聞こえてくる。混ざるようにしてカチャカチャ鳴るのは食器だろうか。ごちそうがいっぱい並んでいたもんね。
そんな響きを背中に受けつつ、瞬く星々やまん丸の月に目をやっていると、これまでの日々がぼんやりと蘇ってきた。
ご飯を一緒に食べて、
跳ねまわって遊んで、
子どもには勉強を教えて、
やわらかな体に寄りそって眠り、
大きな手に撫でられて、
時にはイタズラして怒られる……どれもが長田家のみんなとの記憶だ。
きっとこれからもそうやって生きていくんだろうな。そんな気持ちに連れられて、ふっと浮かんできた思いがあった。気づいたユキが首をかしげて見詰めてくる。真っ白な体に良く似合う青い目には、真っ黒なぼくがくっきりと映っていた。
「ナオ?」
「ぼく、どうして『今のぼく』になったのか、分からなかったんだ」
親と離れ、ひとりぼっちで泣いていたあの時。まだ小さくて分からないながらも「終わり」を感じ、嫌だ、寂しいと思っていた。そんなぼくに伸ばされた人間の手はあたたかくて、向けられた笑顔はやさしかった。
「一緒にすごすうちに、もう離れたくないと心のどこかで祈っていたんだと思う」
だから『今のナオ』になったんだね、とユキが続けた。
自分でも気づかないうちに抱いた願いを、誰か――神さまかな?――が叶えてくれたんじゃないかな。
「あ、ナオ、ユキ。何してるの?」
走り回っていた子どもの一人がぼく達を見付けて隣に腰かけた。ふたりで再び夜空を見上げると、昔のショータそっくりのその子も顔を上げて「うわぁ、きれいな月」と小さな歓声をあげた。
「えっ、月? 見る見る!」
「ちょっとそこ空けてよー」
ほかの子もどんどん加わって、そのうちになんだなんだと大人達も近付いてきて、やがては長田家勢揃いの月見会になった。
月はいつになっても変わらない。
細くなって消えても、またあらわれては膨らんで、満ちた月になる。
「長田家のみんなみたい」
「そうだね」
冷えた夜風にヒゲを揺らしても、こころはポカポカあたたかだった。
《完》
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