13-4 変貌


 魔王の本体が魔族マステマでなかったからといって、討伐をためらうわけじゃあない。

 これまでだって盗賊や悪徳貴族など、人間を殺めたことはある。


 問題は、事前に立てた策が、完全に無意味になってしまったことだ。

 俺の不在時にマルグリットが〈顕現アドヴェント〉を用いて、“黄奪おうだつ”ジョタを人間に戻したという話を聞いて、思いついた案。


 黒耀竜の魔石から作られた巨大魔精石を使って、魔王も人間に戻しちまえ、と目論んだのである。

 成功すれば一瞬で勝負がつく、電光石火であったが……まさか魔族と魔物を率いる異能の王が、ただの人間だったとは。


 ああいや、たしか異世界から転生したとかなんとか言ってたし、『ただの人間』ってわけでもないのか。

 なんの慰めにもなりゃしねえけどよ。


「まいったね、完全に想定外だ」


 動揺から立ち直れたか、キャロラインは調子の戻った声を上げた。

 強がりではない、臨機応変は俺たちの持ち味だ。見ればアレクシアもマルグリットも、呆然としていたのは一瞬だけで、顔つきを改めている。


「ふん。オレが人間だとわかったなら、少しは手加減してくれるってのか?」

「冗談。大人しく首を差し出すってんなら、受け取ってやらなくもないわよ」


 緩んだ空気が、再び張り詰めていく。

 再生したばかりの手で魔王が指を突き出すのと、双剣を構え直す勇者が床を蹴るのは、ほぼ同時だった。


「マジカル〈封絶リパルション〉!」

「〈光穿フォトンピアース〉」


 突進するアレクシアを聖女の放った障壁が包み、ツバサの放った光線を防ぐ。

 凄いな、いま完全に魔王のやつの動きを読み切っていたぞ。指で差されたかと思うと光で穿たれているところを、相手の動作や視線から軌道を予測して防いだわけか。


 今のやつは使い魔の体と異なり〈天罰ラース〉が効かない、であればマルグリットには防御と支援に徹してもらい、他の三人が攻撃に集中すればいい。


「はぁっ!」

「凍える牙よ地を満たせ、〈凍嵐フリージングストーム〉!」


 勇者が聖剣で斬りかかり、魔女の呪文がツバサの背後で渦を巻く。

 後退を妨げられた魔王は、前進してアレクシアの攻撃を受け止めるしかない。


 そして俺は上空からシュリケンを投じ、地味に魔王の防御の要になっている、蠍の尾を狙った。

 回転する刃は妖刀を迎撃しようとした尾の関節部に刺さり、わずかながらその動きを阻害する。


 アレクシアとの斬り合いで手一杯になっている魔王に対し、俺が上空からさらなる嫌がらせを試みようとしたところで、さすがに向こうも業を煮やしたのだろう。

 残留する冷気に背中を凍らせつつも大きく後退し、そのまま飛び上がる。


「いい加減に……!」

「しねえよ」


 格納庫手ガントレット・オブ・ホールディングから鋼線を撃ち出すと、槍をかざして向かってきたツバサの周囲を旋回する。

 羽を持っていようが瞬発力はこっちの方が上だ、纏う風を最大限に高めて加速し、槍に絡めた鋼線を引っ張る。


 俺自身が振り子の先端となって、遠心力で敵の膂力に対抗した。

 全身の血が一気に足の方に偏ったような感覚がして視界がぼやけるが、ここで離すわけにはいかない。


「っらぁっ!」


 気息の革鎧ブリージングメイルから注がれる風も最大限まで高めて、ますます速度を上げる。

 左腕が肩から引っこ抜けそうなほどの勢いに、さすがの魔王も空中では踏ん張れず、槍を掴んだまま大きく姿勢を崩した。


「ぬぐぅっ」

「そこだぁっ!」


 跳躍したアレクシアが隼のごとく飛びかかり、伸び切った土手っ腹に対して聖剣を突き込んだ。

 槍を掴んだ手を離すほどの間はない、おそらく魔術で防御するしかないだろう。


「〈霧消ディスパース〉」

「〈焔纏バーニングボディ〉……っ!?」


 だから、満を持して遷祖還りサイクラゼイションしたキャロラインが、先手を打って対抗呪文を放っていた。はたして魔王が纏おうとした紅蓮の輝きは、生まれる端から雲散し、その体を包むことはない。

 勢いを妨げられることなく、勇者の剣はツバサの胴に深々と突き刺さった。


「がっ」

「つぅらぬけぇぇぇっ!」


 アレクシアが吠える。聖剣が輝き、ずぶずぶと魔王の肉体に沈んでいく。

 そして二人を重力が捉え、もつれ合うように落下した。


 握り続けていられなかったか、槍は俺に繋がった鋼線に引かれて宙に踊る。

 魔王は空いた両手で悪足掻きめいた〈光穿〉を放つが、マルグリットの無音の気合いとともに厚みと煌めきを増した〈封絶〉に、全て弾かれ逸らされた。


 そのまま着地した二人であるが、姿勢を崩しつつもなお正対したままだ。

 腹に突き立った聖剣をどうにか抜かせようと両手で押さえるも、いや増す剣の輝きに、触れることすらかなわない。


「くそっ……痛ぇな畜生……!」

「あんたのせいで死んだ人間すべてが、そう思ってたでしょうよっ!」


 そして勇者は妖刀を構えた左手を上げ、くるりと逆手に持ち変える。

 少々不自由な体勢だが、密着した今の距離なら外しようもあるまい。


「そう……かもなぁっ!」


 青黒い血の泡とともに吠えるツバサ、それにともなって薄暗い玉座の間が、いきなり目映い灯りに包まれた。

 痛苦の念で凝り固まった無数の瞳、おぞましい悲嘆と怨嗟の視線が、一斉に魔王へと降り注いだ。


──痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イイッ!

──憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イィッ!

――死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネェッ!!


 使い魔や部下を乗っ取っているときとは、圧が桁違いだ。

 伝わってくる憎悪と慨嘆の念は俺たちでさえ怯むほどで、一身にこれを浴びる魔王の気分は、いかばかりか。


 それにしても、なぜ今になってを出したんだ?

 訝る俺をよそに、妖刀の切っ先がツバサの喉に刺さろうとして。


「……ここまでか」


 かすれた声とともに、魔王の体から魔力が噴き出した。

 ぶれた剣先は首の皮一枚を浅く傷つけるに留まり、アレクシアは暴れ牛に撥ねられた小石のごとく、握りしめた双剣ごと吹っ飛ぶ。


「なっ!?」

「アレクっ」


 虚を突かれたせいか、受け身が取れるか怪しそうだ。俺は慌てて急降下し、彼女を受け止めた。

 一方の魔王は、聖剣が腹から抜けたことで派手に血飛沫を上げながらも、余裕ぶった笑みを浮かべこちらを見やる。


 尺林豻貌シュリガーラで可視化すると、噴き出す魔力はツバサ自身のものでないとわかった。

 周囲から注がれる痛苦の視線、そいつを通して魔力を取り込んで、体内に収まりきらなかったものが溢れているのだ。


 なるほど、こんな量の魔力を常時浴びていたら、自我など保てはしない。

 やつが引き連れる無数の視線は、その供給路であると同時に、開け閉め可能な堰のようなものであるわけか。


 高度な黒魔術の産物と思われるが、恨みを遺し死んでいった者たちの魂に、酷いことをしやがる。

 魔力の源泉はおそらく精族アールブの聖地だが、そのままでは利用しきれなかったため、こんな手の込んだ手段を用いているんだろう。


「なんて、おぞましいことを……!」


 マルグリットは柳眉を吊り上げ、震える声で怒りを露わにした。

 自分たちの聖地や信奉する生命樹の力が、こうも冒涜的かつ歪んだ形で利用されとあっちゃあ、無理もない。


 対してキャロラインは冷静な表情を維持したまま、斜に被った帽子の鍔で片目を隠すと、もう一方の目で魔王をじっと見据える。


「イアン、わかるかい? ヤツの魔力が、また質を変えている」

「ああ……まるで別人だ」


 キャロラインの問いかけに首肯した。

 尺林豻貌が捉えたところ、注がれる魔力は、おかしな流れで体内を走っている。


 まるで、血管や神経を無理やり動かしているかのようだ。

 注ぎ込まれる膨大な魔力を、受け止められるだけの肉体に改造しているのか。


「見てる場合じゃないわねっ」

「あ、ああっ」


 棒立ちの今を見逃す手はないと、アレクシアが駆け出す。

 そうだ、相手がなにを企てようが、倒しちまえば関係ない。


 走りながら妖刀を鞘に収めた勇者は、両手で構えた聖剣を振りかぶった。

 彼女と逆の側面から俺は、氷河の足鎧サバトンで床を凍らせて滑り、十握凶祓トツカマガハラエで斬りかかる。


「……五つには」


 独りごちる魔王の持ち上げた左腕と、突き出した右手。がっ、と石壁にぶつかったような音を上げ、聖剣と両刃が止められた。

 生身を打ったとは思えない堅い感触に眉を寄せた俺たちへ、やつは淡々と告げる。


「致命傷を受けると、この体の主導権がに移ること。それこそ、貴様らが恭順を示すべきだった、最大の理由だ」


 再び魔力が噴き出した。

 今度はアレクシアもどうにか踏みこたえるが、俺ともども、追撃を繰り出すまでには至らない。


――おお、おおあお……!

――ああう、あああっ……!

――ひいいあ、ああい……っ!


 惨たらしい呻きが場を満たした。

 この世のものとは思えない忌まわしい気配が立ち上り、声もなく見つめる俺たちの前で、魔王の姿が変貌していく。


 大きく。

 力強く。

 禍々しく。


 俺たちはようやく、思い知らされた。

 真の魔王、本当に倒さなければいけない相手が、いかに恐ろしい存在であるかを。

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