10-3 激突


 エンパシエ巫長国の首都ペン・ボン=ブークはオーホーグ山の裾野に広がっており、段々畑のように背の低い煉瓦造りの建物が密集している。

 中央から南方の諸国に比べると屋根や壁の色が地味で、全体的にくすんだ印象だ。


 その代わりというわけでもないのだろうが住民は、赤や橙や黄色といった暖色系の派手な色合いをした衣を着ており、男も女もじゃらじゃらと装飾品をつけている。

 袖も裾も長いゆったりしたもので、その下にズボンを履くのが一般的のようだ。


 空気は清涼だが高地ゆえに日差しがきつく、昼夜の寒暖差が大きいため、肌を覆いつつ風通しの良い服装になっているんだろう。

 片袖を抜いてそちらの手を懐に入れるのが、粋な着こなしらしい。


 このあたりの人族ヒューマは鼻が低く眼窩の浅い、なんというか平たい顔をした者が多い。

 特に幼少時はそれが顕著で、卵に目口を刻んだような造形の子供ばかり見かけた。


 立ち並ぶ商店を冷やかしながら目抜き通りを歩いていたら、そんな子供の一団が店々の合間から駆け抜けてきて、俺にぶつかりそうになる。

 危ねえなぁ、と眉をひそめたら子供らは、びくっと震えた後で甲高い奇声を上げて逃げ出した。


 失敬だな、獣人セリアンや外国人が珍しいわけでもあるまいに。

 エンパシエ自体は他国と交流の少ない辺境に位置するが、ペン・ボン=ブークの街は巫長一族に詣でる参拝客が逗留するだけあって、他国や他種族の人間も多い。


「ちょっとそこの、おっかない顔した兄さん。子供をにらんじゃ可哀想だよ」


 そんな異邦人相手の商売なのか、色鮮やかな組み紐やその先に提げる護符などを並べた店の、店番と思しき少女がたしなめてきた。


「にらんじゃいねえよ。元からこういう顔なんだ」

「あら、それはご愁傷様」


 けらけら笑う、美人ではないが愛嬌のある顔立ちの少女に、肩をすくめて見せる。


 そうだ、せっかくだからアレクシアたちに土産でも買っていくか。

 首尾良く巫女姫から情報が聞き出せたら、そこからは〈境門イセリアルゲート〉でひとっ飛びの予定だしな。


「姉さん、その紐には種類とかあるのか?」

「おっ、買ってくれるのかい。こういうのに興味なさそうなのにねえ」


 客候補に対しても口調を変えたりしない、さばさばした調子で説明してくれるところによると、欲するものによって紐の色の組み合わせを変えるらしい。


「黄色なら金運、青なら成功、赤なら愛情って感じでね。兄さんなら緑と銀、青あたりがいいんじゃないかい」


 緑は健康、銀は安全を願う色らしい。

 荷物が少なめでも冬山装備に身を包み、いかにもこれから登山します、という格好だもんな。そういう選択になるのはわかる。


「自分用じゃなく、仲間に贈るんだよ。戦士と魔術師と神官の三人だ」

「へえ、仲間思いだねぇ。ちなみにその中に、いい人がいたりするんじゃない?」


 にやにやと、からかうような顔と声で聞いてくる少女。

 照れたり誤魔化したり気まずそうにしたり、といった反応を期待しているようだが嬢ちゃん、それは見込み違いだぜ。


「ああ。全員、俺の恋人だ」

「三人ともっ!?」


 飛び上がりそうな勢いで驚く少女に、からかわれた意趣返しができた気分になる。

 顔を赤くしすっかり落ち着きをなくした彼女と相談して、土産にする三本の組み紐を選んだ。


 俺たちアイハラ猛撃隊の象徴色は勇者に合わせて、なんとなく青色ということになっている。

 だから三本とも青を基本に、愛情を込めて赤、あとは各々見合いの一色を混ぜた。


 アレクシアには堅実を願う黒、マルグリットには健康を祈る緑、キャロラインには知恵を表す紫。

 本当は三人ともに美を象徴する桃色を送りたかったが、せっかくなので各人の髪や瞳の色を思い描いた。


 ペンダントトップに当たる部分の護符は、生命樹教会の聖女のことも考えて、あまり宗教色の濃くない無難なものにしておく。


「ちなみにその、参考までに聞きたいんだけど……四人でとか、どうやっての?」

「え? そりゃ、こうやって、両手と口で」

「いやっ、実演しなくていいからっ!」


 真っ赤な顔を覆う少女。俺も遠い国に一人でいるからと、少々浮かれすぎだな。

 ちょっと多めに代金を払い、店を辞すことにする。


「が、外国の人って、進んでる……」


 そんな少女のつぶやきを、背中で聞きながら。


 * * *


 翌朝、まだ日も昇りきらぬうちにオーホーグ山を登り始めた。

 街から参道が伸びており迷うことはない、はずなのだが登るにつれて急速に天候が悪化し、昼前には吹雪に巻き込まれてしまう。


 山の天気は変わりやすいといっても、いくらなんでも変わりすぎだった。

 どうなっているんだ、と不審がりつつも縦穴を掘って緊急野営を敢行する。


 携帯コンロで湯を沸かし、茶を淹れた。

 雪洞の中で別なポットに湯を注ぐ、なんて優雅なことはやっていられないので、薬缶に茶葉をぶち込んでの雑な抽出である。葉が大きいものを使ったので、茶こしがなくとも注ぐのに苦労はしない。


 金属製のカップに角砂糖も何個か入れて、干し葡萄を練り込んだ焼き菓子とともに飲む。口の中が甘ったるいが、奪われた熱量が補充されていくのを感じた。

 予想外の極寒登山となってしまった、空腹を自覚する頃には手遅れになっている可能性も高い、食えるうちに食っておかないとな。


 アレクシアたちは、ちゃんと食事しているだろうか。マルグリットは世話焼きだが家事が壊滅的に駄目だし、キャロラインはなにかと無頓着だからな。

 あの三人だけで旅をさせるのは不安でしかないが、魔王の襲撃を考えると人を増やすわけにもいかない。


 相手が『勇者』自体を標的にしている以上、変装や潜伏は無意味だろう。

 彼女らには都度〈境門イセリアルゲート〉で出発点をずらしながら、目的地であるフォタンヘイブ王国へ向かってもらっている。


 俺も魔王への対抗手段を手に入れ、一日も早く追いつかなければならない。

 くそ、とっとと止め、吹雪。


 文句をつけてもどうにもならない天候を相手に毒づきつつ、茶を飲み下していた俺の耳が、奇妙な震動とかすかな叫び声を拾った。

 すわ雪崩か、と警戒するも震動の方は一定間隔で木が倒れている、あるいは巨大な動物がゆっくり移動しているような感じだ。


「──っ!」


 叫び声の方はそれよりも早く、甲高く、そして一直線にこちらへ向かってきた。


「ひゃああああああっっ!」


 身を起こす暇もなく、頭上に張った防水布ごと、穴の中に飛び込んでくる。

 咄嗟に中腰になって避けた俺の眼前で、紅白の塊が固めた床に激突した。


「へぶぅっ!?」


 端に寄せておいたコンロと薬缶が吹っ飛び、まだ残っていた中身を撒き散らす。

 いくぶん冷めたとはいえ十分に熱を残した茶と茶葉が舞い散り、紅白の塊──白い上着と赤い下衣をまとった人間に振りかかった。


「あっっちゃぁぁぁっっ!?」


 すごい勢いで落下してきたというのに、なにごともなかったかのように跳ね起き、むしろ茶を浴びた熱さの方に悲鳴を上げている。


「あっつ! 熱っ! 冷やさねばっ! そうだ、雪っ!」


 声をかける間もなくわあわあわめき、その人物は黒い胸甲を外すと前合わせの白い上着も脱ぎ、茶を浴びたと思しき首筋から背中あたりを後ろの壁面に押しつける。


「はふー、冷やっこい……」


 俺はひとしきり騒いで勝手に和んでいる珍妙な相手に、呆然とするしかなかった。

 互いの呼気が鼻先にかかるほど密着しているというのに、ここまで無視されると、いっそ清々しいな。


「……落ち着いたか?」

「はあ、どうにか……」


 声をかけると、初めてこちらを知覚した、という風にこちらを見上げてきた。

 おいまさか、本当に今の今まで俺に気づいていなかった、ってことはないよな。


 改めて裸の上半身を晒している相手を見下ろし観察すると、十代半ば……見た目だけならアレクシアとマルグリットの間くらいに見える、人族ヒューマの少女だった。


 栗色の長い髪は耳を隠すように首筋あたりで束ねられた後、赤い髪飾りでまとめられ上に向かって跳ねている。

 短い眉と大きな目が印象的で、このあたりの人間と同様に凹凸は少ないものの、愛らしくも利発そうな顔立ちをしていた。


 肌は雪のように白く、晒された胸はぺったんこだ。

 髪形や顔立ちから少女と判断したが、声もややハスキーだし、少年かもしれない。


 よくよく見ると一見スカートのようにも見えた赤い下衣は、膝下で分割された構造らしく、がばっと足を開いているが中身は見えなかった。

 そもそもスカートだったとしても、女性と限ったわけではない。初対面の相手に俺の狭い常識を押しつけちゃいかんぞ、と自戒しつつ手を伸ばした。


「立てるか?」

「平気でござるよ。どうも、ご親切に」


 にっと笑ってその手を取った少女だか少年だかは、体を起こすべく上体を屈め、自分の上半身が裸であることを思い出したようだ。


「みっ、見ないでくだされっ!」


 一方の手を俺とつないだまま、もう一方の手で胸を隠す。

 こういう反応をするってことは、やっぱり女の子なのかな。だが、男だって乳首を晒すのに抵抗を感じる者がいても、おかしくはないわけで。


「まじまじと観察するのはやめるでござるぅぅぅっ!」


 半泣きになって身を縮めだした。

 いかん、こういうときいつも制止してくれるアレクシアがいないから、判断が鈍くなっているぞ。


「す、すまん。これでも羽織ってろ」


 慌てて外套を脱いで、被せてやった。

 立ち上がると吹雪が上半身を容赦なく襲ってきて痛いほどだが、頭は冷える。


「ううう、ぬくいでござるぅ……」


 鼻をすすって外套にくるまる少女──だろう、おそらく──を足下に、俺は早くも凍りつき始めている汗を拭うのであった。

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