7-8 温和


 キュアアアアアアッ!


 聞きようによっては幼児の奇声にも似た咆吼とともに、黒耀竜が左腕を振り上げた。


 右腕の方は翼の根元に、鉄の棒が突き立っているからな、痛みで動きが鈍っているのかも知れない。

 古代竜エンシェントドラゴンの大きさからすれば楊枝が刺さった程度のものだが、人間だって小さなものでも針が打ち込まれたままなら、その痛みは無視し得まい。


 加えて魔物にとっちゃ鉄は毒だ、それが背中に残ったままなのは、さぞつらかろうぜ。

 さっさと抜かないところを見ると、首と違って腕の方は、そこまで関節の可動域が広くないようだ。


 その痛痒を、勝機に繋げたい。もたげた首の先を追うように放たれたまばゆい光が、黒耀竜の眼前で炸裂した。

 キャロラインの〈閃光フラッシュ〉だ、出の早い呪文な上、魔女が使えば常人なら失明するほどの光量を発する。


 空気を震わせ唸りを上げて振り下ろされた竜の腕、家屋くらいひと掴みにできる手が、地を叩いた。

 エンリは──無事だ。うまく横にかわして、そのまま後ろ足に向かって走っている。早歩きかと思うほど遅いが、〈厳峻剛身ミネライズド〉しているからな、仕方ない。


「っだぁああっ!」


 その間に空中から、アレクシアの気合いが聞こえてきた。

 位置的に首の根本あたりに着地するつもりだな、下手に頭部を狙うよりそちらの方がいいだろう。


 俺は懐から、柄と三本の刃が風車のように配された、奇妙な武器を取り出す。

 薄い刃が何枚も重なって紐で結ばれたそいつを、黒耀竜の眼前に向けて投げ放った。


 刃のそれぞれにつけられた微妙な傾斜によって回転しながら上昇し、遠心力に耐えきれなくなった麻紐が千切れると、刃は五組に分かれて飛び散った。

 それぞれが翼を広げた鳥のような形状の刃は、竜の目前から逃げるように高速で飛翔する。


 武器というより曲芸用の道具に近い代物で、本来ならこのあと楕円軌道を描いて時間差で手元に戻ってくるのだが、今はわずかでも怪獣の気が引ければそれでいい。

 はたして黒耀竜はくらんだ視界をかすめた物に対し、首の動きを見てわかるほど遅くした。人間なら目を細めた、というところか。


「食らえぇっ!」


 直後、その首の根本に微細な振動が走り、アレクシアが一撃を加えたことがわかる。

 気合いを入れるためとはいえ、いちいち叫び過ぎだろう。まさかまだ調子が悪いのか?


 分裂した刃が次々落下してくる間を、直進する勢いで速度を増したエンリが突っ込んでいく。あ、一枚、後頭部に当たった。

 しかし体を岩へと変えた拳士は気にも留めず拳を引くと、最後の踏み込みとともに解き放つ。槍投げのような動作で打ち下ろされた拳撃は、黒耀竜の足先、小指の爪にめり込んだ。


 厳族ヨトゥンの体よりなお大きな爪が、銅鑼のような音を立てて割れ砕け、皮に食い込み肉を爆ぜさせる。

 うわぁ、人間の体にたとえなくてもわかる、あれは痛いぞ。


 キュゴルァアアアッ!


 さすがに竜の咆哮にも、悲壮なものが混ざった。ややぎこちない動きで首を巡らせ、怒りに燃える目でエンリをにらむと、大口を開く。

 まずい、また息吹ブレスを吐くつもりだ。


「おれば大丈夫だ、行げ!」


 たしかに鉱物化した体なら毒ガスには耐えられるだろうが、鈍った動きじゃ食われたりしないか?

 博打好きなあいつのことだ、一か八か、なんて考えてないといいけど。


 ともかく行けと言われた以上は、信頼して行動するしかない。俺は鉤縄を竜の尻尾に撃ち込むと、収納の勢いで一気に接近し、そのまま尾の上を駆け上る。

 アレクシアを探すと、大剣から光を発しながら首より下、肩甲骨あたりを何度も突き刺していた。


 ちょっと穴掘りみたいな風情になっている勇者の所まで、急な斜面を必死に登る。

 道中で翼の根っこに刺さったままの鉄の棒を見つけたので、氷河の足鎧サバトンで蹴りまくって凍らせておいた。これで簡単に抜けたりしないだろう。


「アレクっ、無事か!」

「さすがに、完全ってわけじゃ、ないっ!」


 ようやくそばまで辿り着いたアレクシアは、穴掘り作業を止めぬまま答えた。衣服はずたずただし、額からは血が流れた跡が残っている。

 黒魔術の回復呪文は敵から生命を吸収したり、傷を他人に移し替えたり、直接的なものじゃないからな。マルグリットの完璧な治癒に慣れていると、いかにも物足りない。


「いま〈修繕メンディング〉を──」

「それよりイアン、爆弾まだ持ってる? 穴を空けたから、ここ吹っ飛ばしちゃいましょう」


 おおう、冴えてるな、悪辣で良い案だ。剥がれた鱗とえぐれた肉で、子供が身を屈めて収まるほどの空間ができている。


圧縮解放ストレージ命令オーダー、〈宝箱アイテムボックス〉」


 異空間にしまっておいた炸薬の詰まった樽を、その隙間に突っ込んだ。

 こいつも氷河の足鎧で凍らせて、竜が激しく動いても落っこちないようにする。


「いったん離れるぞ、着火はヘレネーナに任せよう」

「了解……って、くさっ!」


 勇者が顔をしかめて鼻を押さえる、俺も同感だ。気分の悪くなる吐瀉音とともに、黒耀竜が毒ガスの息吹を吐いたのである。

 さっきより粘性の高い煙が足下に立ちこめており、さすがにあそこへは降りていけない。エンリは大丈夫か、生きていても当分は近寄れない有様になっていそうだ。


 大剣を納めたアレクシアを抱きつかせて、俺は籠手から撃ち出した鉤縄を頼りにその場を離れた。

 こいつを使った移動は立体的な機動ができるので重宝するが、左肩への負担が深刻なんだよな。あまり調子に乗ると関節を痛めかねない、頼り切るのは控えないと。


 中層階に辿り着くと、羽音のしない静かな飛翔で漆黒の鷹が近づいてきた。

 キャロラインの使い魔、影鷹シャドーホークだ。俺の影と一体化すると、念話が聞こえる。


『イアン、なにか埋め込んでいたけど、どうするんだい?』

『目ざといな。ありゃ爆弾だ、ヘレネーナに火矢で射ってもらってくれ』

『少し気になったんだけれど、それって息吹で噴き出した毒気に引火しないかな?』


 え? あの毒ガス、可燃性なのか?

 それだとエンリが巻き込まれる危険があるな、やつが離れるのを待って……しかし今の鈍重なやつに、竜の攻撃範囲から逃げおおせるほどの速度が出せるだろうか。


 誰かが突っ込んで回収、ってだからあいつ以外が毒ガスを食らったら死ぬっつーの。

 逃走速度を上げるために遷祖還りサイクラゼイションを解除させるのも、同じ理由で駄目だ。


 仕方ない、炸薬樽はいったん放置して、別な策を練るか。せっかくアレクシアが発案してくれたんだ、後に生かそう。

 そう考えて身を翻しかけた俺を、唐突な衝撃が襲った。


「イアンっ!」


 アレクシアに突き飛ばされた、そう気づいたときには俺の眼前に黒光りする岩の塊が叩きつけられ、吹き飛ぶ瓦礫でしたたかに打ちのめされている。

 なんの予備動作もなく振るわれた黒耀竜の尻尾が、ちょうど俺たちが立っていた場所に命中したのだ。


「あっ……アレク?」


 目の前にそびえ立つ、黒い壁。もうもうと巻き起こる砂埃を引き連れて壁は、尻尾の先端は、ゆっくりと持ち上がる。

 竜はこちらを狙って尾を振るったのではない、足下のエンリを狙おうとして、姿勢を変えただけなのだろう。


 だから殺気の欠片もなく、俺も勇者も大質量の襲来に気づけなかった。

 それでも彼女だけなら避けることはできただろうに、間抜けな支援職を助けようとして、自分が潰されてしまった。


「アレクシアっ!!」


 崩れ落ちた床に飛び込み、壁や柱を蹴って加速、最短距離で底まで到達する。足を捻っちまったが、些細なことだ。

 必死に少女の姿を探す。いた、瓦礫に埋もれるように、血だまりに沈んでいる。


 目眩がした。視界が歪む。

 露出した肌はずたずたに裂け、手足がおかしな方向に曲がっていた。勇者の称号は魅力を損なうような負傷に強い防護を発揮させる、その効果か顔は少し汚れた程度で無事だが、そこだけじゃなく全身を守れよ畜生。


 なんで腹を貫いて、折れた柱が突き出しているんだ。

 勇者は、致命傷を受けないよう幸運に恵まれるんじゃなかったのか。


『キャロっ、ゴスっ。急いで来てくれ、アレクがやられたっ!』


 悲鳴のような念話が響く。なんだ今のは、俺の心の声か。

 情けねぇ、初めて小鬼ゴブリンに遭遇した田舎のガキだって、もう少し勇ましいもんだぜ。


「アレクシア様は、存命か」


 不意に傍らに影が渦巻き、そこからずるりと黒装束の男が姿を現す。

 痩身から絞り出すように問うてきたゴスに、かっとなって怒鳴りつけた。


「死ぬわけがねえだろっ! こいつが、簡単にくたばるかよっ! いいから早く治せよ、そのためにお前を連れてきたんだろうが!!」

「……おれには、無理だ。〈伝傷インフェクトウーンズ〉は既に使ってしまった、同じ人間に間を置かず傷を移すことはできん」


 珍しく長々喋ったかと思えば、くだらねぇことを抜かしやがる。

 傷を移す呪文は、先ほどの竜の頭突きで食らったものを引き受けたから、自分には使えねえってか。


「だったら、俺に移しゃいいだろうが!」

「馬鹿を言え。アレクシア様だから、この傷でも生きているんだ。これを移せばお前は、死ぬより他ないぞ。この呪文は傷の一部だけ移動させるような、便利なものでは──」

「んなこた、わかってんだよ! こいつを助けるためなら、俺のちんけな命なんて要らねえんだよっ!!」


 いらいらする、わかりきったことをぐだぐだ喋っている暇があるなら、一秒でも早くできることをしろよ。

 黒魔術の回復呪文はある種の呪いだ、生命樹の理から外れた術である以上、白魔術のように都合が良くないことくらい百も承知している。


 だからどうした、この戦場で一番の役立たずが脱落するだけじゃあないか。

 勇者と支援職、どちらを優先すべきかなんて子供にだってわかる。


「本当に、いいんだな」

「しつけえぞ、手前」


 殺意すら込めて、ゴスをにらむ。覆面の隙間から片目だけを覗かせた妖族イブリスは、短い溜息の後に詠唱を始めた。


「……血肉よ蠢き痛みを忘れ、忘我の果てに其を移せ、移せし傷よ贄へと宿れ」


 くそ、一文が大魔術の行使より長く感じる。もし間に合わずにアレクシアの命が尽きるようなことがあったら、こいつも殺してやるからな。

 焦れながら待つ時間が終わり、ようやくゴスの呪文が完成しようとした、その瞬間。


 俺の視界は光に包まれ、暖かな波が体じゅうに広がった。なんでえ、さんざん脅したわりに白魔術並に心地よいじゃあねえか。

 この快さに包まれてくたばるってのは、痛ぇ思いをしたアレクシアに悪いな。もし蘇ることができたなら、いの一番にあいつに謝らねえと。


 そう思ったのはいいが、一向に意識が遠ざからない。

 はて、前に死んだときは一瞬で意識が失せて、夢うつつに暗くて寂しい場所でうだうだ彷徨ったような記憶がある。


 次に目が覚めたときは生命樹教会の聖堂で横たわっていて、抱きついてきたマルグリットの暖かさと柔らかさを感じながら、二度とあの場所には行きたくないと思ったもんだ。

 そうだ、この温和な感覚は。


 気づいたときには光は量を減らして、あたりを穏やかに照らしていた。

 その中心で宙に浮かんで横たわるアレクシアを、両の手でふわりと浮かび上がらせて。


「もう大丈夫ですよ、イアン」


 光り輝く聖女が、微笑んでいた。

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