5-8 操作


 火巨人ファイアジャイアントの言う『しばらく前』ってのは、どのくらい前の話だろう。遊牧民が襲われだした日数から察するに、およそ十日ほどか。


 ともかくその魔王軍の使い、とやらと話した後から空腹感が高まったのだという。

 周辺の支配を任せると言われたのもあって、今まで籠もっていた洞窟を出て山中を歩き回り、目についた人や家畜を食い始めたそうだ。


 肝心の魔王軍の使いについては、特徴を聞いても、いまひとつ要領を得なかった。小さくてキンキンした声だった、くらいでは正体が判然としない。

 お前それ大概の人間相手に同じ感想を抱くんじゃねえの? という。


「そもそもキミ、なんでその相手が魔王軍の一員だと思ったんだい?」

「あれが何者でもぉ、俺様には関係ねぇ。魔王軍なんぞにぃ、言われるまでもなくぅ、ここいら一帯はぁ、俺様のもんだったんだぁ」


 あ、その意識は元から変わってないのか。

 まあこいつくらい強ければ――勇者一行にはあっさり負けたが――視界にあるものは全て自分の所有物、くらい傲慢になっても、おかしくはないわな。


 それでもこれまでは、人間の営みにちょっかいを出そうとは思っていなかったそうだ。

 人間は数が多くてキーキーうるさい、目につけば食らっていたが、わざわざ自分から探すようなものでもなかったとのこと。


「だけどぉ、腹が減ったからなぁ。俺様がぁ、俺様のものをぉ、好きにしてぇ、なにが悪いぃ」


 野生動物というか、自然災害みたいなもんだな、こいつ。

 良識や倫理などはない、ただそういう生き物なのであって、魔王軍の手先は飢餓感を煽り誘導しただけだった。


「人間はお前のおやつじゃないし、やられたらやり返すわ。操られていたら可哀想かもって思ったけど、同情の余地なしね」


 弱肉強食は世の常だが、それはつまり、より強いやつにはなにをされても文句を言えないってことになる。

 火巨人は今まで無敵であったから、その理屈を周りに押しつけられていたんだろうがな。


「一応、最後に聞いておくけど……魔王軍の手先ってのは、こんな顔をしてたか?」


 駄目でもともと、というつもりで手配書を見せるが、火巨人は不思議そうな顔をするだけだった。

 こいつからしたら豆粒程度の大きさの絵な上、そもそも人間の顔の区別がついていなさそうだもんな。


 まあいい、こいつ自身の記憶や認識が曖昧であっても、キャロラインの〈降憶エボケイトメモリー〉で記憶を探ればいいのだ。非道な呪文なのでマルグリットの前では使いづらいが、事態が事態だ、看過してもらうしかない。

 とりあえず聖女には森に隠れたハッケルト隊長と従騎士君を呼び戻してもらい、その間に情報収集といこうか。


「言い残すことはある?」


 巨大な頭部の横に回り込んだアレクシアが、冷淡に聞く。そちらに顔を向けた火巨人が、地べたに頬を這わせながら、哀れっぽい声を上げた。


「死にたくぅ、ねぇよぉ……!」

「お前に食われた人たちも、そう思ったでしょうね」


 勇者の掲げる『吹き散らすものエクスティンギッシャ』が、まばゆい輝きで覆われる。

 断頭の一撃が、火巨人の太い首に振り下ろされた。


 * * *


 滝のように噴き出す鮮血にまみれ、絶望を浮かべた顔のまま、火巨人の首が転がっている。


 魔物でも人間でも死体なんて見慣れたものだが、人間の十倍もの大きさを持つ人型生物が目の前で横たわっている姿には、なんとも言えないおぞましさがあった。

 むせ返るような血臭に思わず口元を抑えてしまうが、それはアレクシアたちも同様のようだ。


 ちょっと血が流れきるまでこの場を離れるか、と森の方へ向き直ると、意外な光景がその先にあった。


「お、お前たちっ! 動くなっ」


 息も絶え絶えで身動きできなかったはずの従騎士君がいつの間にか下馬しており、マルグリットを背後から押さえつけている。

 一方の手で彼女の腕を掴み、もう一方の手に握られた短剣の切っ先は、聖女の細い喉に突きつけられていた。


「トゥーニスっ! 貴様、なにをやっている!?」

「隊長も動かないでくださいっ。あんな……あんな、人間離れした連中を、街に帰すわけには、いかないっ」


 あいつトゥーニスって言うのか、名前は真面目に聞いてなかったな。


「おいお前ら、武器を捨てろっ! いや、服も脱げ! なにもかも隠すな!」

「馬鹿か。そんなことするわけないだろ」


 呆れつつも、大股に歩いて従騎士君に近づく。きょとんとしていたマルグリットがこっちを見たので一応、喉だけは気をつけるようにと手振りで示した。


「動くなって言ってるだろ! こいつがどうなっても」

「いいわけなかろうがっ」


 そのまま走り寄る。投石なり投げナイフなりで黙らせてもいいんだが、万が一にでも狙いが逸れて聖女に当たったら困るからな、注意を引くことに徹しよう。

 トゥーニスがなにを考えて人質を取ろうとしたのか不明だが、従騎士ごときがマルグリットを押さえ込めるはずもない。状況がいまいち掴めなかったか、されるがままだった彼女も、気を取り直して自由になる方の手で相手の腕を掴んだ。


「くそっ、こうなったら――いだだだっ!?」


 そのまま強引に腕をもぎ離し、掴まれていた方の腕も振り払う。あっさり拘束から抜け出したマルグリットは、痛みに喚くトゥーニスに向き直った。


「あの、ごめんなさい。折れてはいないと、思うんですけれど」

「あんた、どんな力して――ふがっ!」


 なにか言いかけたその鼻面に、ようやく俺の拳がめり込んだ。手加減してやったが、鼻骨は折れたと思う。

 断りもなく人の女にべたつきやがった罰だ、痛みにのたうって反省しろ。


「魔術で眠らせた方が早かったんじゃないかい?」

「イアンに任せた方が確実よ」


 キャロラインとアレクシアが危機感のない調子で会話しながら、のんびり歩み寄ってきた。


「いやっ、勇者様! 皆様! これは、そのっ、なにかの間違いで……!」


 慌てて馬から下りたハッケルトが、混乱しきった口調で自分の潔白を訴える。そりゃそうだ、さっきまで勇者一行と巨人との常軌を逸した戦いが繰り広げられていたと思ったら、唐突に従騎士が聖女を害そうとしたのだ。

 混乱するのはよくわかる。実際マルグリットだって咄嗟には対応できず、あっさり捕まったし。これで敵が魔族や高位の冒険者とかだったら、危ないところだった。


 俺もさすがに血の気が引いたが、捕まったはずの聖女が平静な顔をしていたので、どうやら大した相手ではないと安心したものである。

 後はまあ、間抜けな加害者を叩きのめしておしまいだ。


 それにしても、なにを考えてこんなことをしたのやら。最初にほざいていた戯言からすると、あまりに強力なアレクシアの戦闘力を目の当たりにして、カントストランドの街に危険をもたらすと恐れた……といったところか。

 こいつも例の謎幼女の支配下にある、と考えた方がしっくりはくる。だがたまたま同行した正規の騎士でもない若造が、じつは操られていましたなんて、あり得るか?


「隊長。こいつを従騎士にしてから長いんですか?」

「あ、いえ……トゥーニスは本来、第一隊付きの従騎士です。前回の戦いで私の従騎士は、犠牲になってしまいましたから……」


 そう言えば出発前にそんなことを、本人が自慢げに語っていたっけ。となると今回の討伐行に同道したのは、操られた上でこいつ自身が企んだって可能性が高いな。


「とにかく〈除呪リムーブカース〉をかけて話を聞くか。リット、念のため隊長さんにも〈除呪〉をかけてあげてほしい……隊長、かまいませんね?」

「ええ。身の潔白を証明したく思います」


 細かい事情は話していないが、これまでのやり取りで火巨人や従騎士を操作する存在がいることを、察したのだろう。ハッケルトは重々しく頷く。

 その後マルグリットに〈除呪〉をかけられ、正気を取り戻したトゥーニスに尋問を行った結果、やはりオネッタと接触していたことがわかった。


 こいつが単にアレクシアを過剰に危険視していただけでないとわかり、かえってホッとする。勇者自身が以前、己は普通の人間に混ざって暮らしてはいけない、と独白していた。

 だが、それは今ではないと俺は思う。まだ彼女には、普通の少女が体験するような楽しみや喜びから、距離を置いてほしくない。


「たしかに、アレクシア様のお力を見て、私は恐れを抱きました。この方の機嫌を損ねれば、街にどれだけ被害が出ることだろうと」


 俺に折られた鼻の方も〈除呪〉のついで治してもらった従騎士君は、木の根本に座り込んで火巨人の首なし死体を眺めやり、すっかり打ちひしがれた様子で自身が凶行に至った心境を語る。


「ですが今になって思い返すと、それは国王陛下や領主様でも同じこと。振るうのが暴力か権力かの違いであって、強者には強者の責務と自制が求められます。そんなことすら、わからなくなっていた」


 たしかに権力者がその気になれば、アレクシアがただ暴れるより、大きな災厄をもたらせるかもしれない。だが権力は個人で完結するものではないから、気まぐれに振るわれることもないだろう。

 個人の思想や感情だけで大きな破壊がもたらされるかもしれない、という意味ではトゥーニスの抱いた危惧も、もっともなんだよなあ。


 極論、キャロラインが憎しみに囚われたりすることがあれば、〈隕石メテオストライク〉の連発で王都くらいは壊滅させられる。


 従騎士君の抱いた恐怖や、それに押されて取ってしまった行動。あれは本意ではなかったかもしれないが、考えすらしなかったことでもないだろう。


 どうも一連の騒動を鑑みるに、オネッタによる精神操作は、本人の頭にないような行動は取らせられないようだ。

 取り得る選択肢を極端なものだけにするとか、それをしたらどうなるかという想像力を奪うとか、そんな感じか。


「にしても、思ったより面倒ね、今回の敵は」


 アレクシアがぼやく。本当にな、搦め手から攻められるなんて、考えてみれば初めてのことじゃないか?

 なんせ今までは、強大な敵に対して、こっちが策を練る側だったからな。

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