5-7 巨人


 そいつは、出し抜けに現れた。


 山の緑と空の青、その境目から生え出すように、ぬうっと首が覗く。

 心構えがあっても驚嘆を覚えざるを得ない、一枚の絵に異物を貼りつけたような、どこか現実味のない光景。


 ぎょろっとした目だけで人の頭ほどもある。落ちくぼんだ眼窩に高い鼻、分厚い唇。その周囲を濃い髭が覆い、伸び放題の髪と繋がっている。

 髪と髭は、赤銅色の肌に対してほの白く揺らめく、炎そのものだった。


 そんな頭部に続いて地響きを鳴らしながら、全身があらわになる。筋骨隆々だがずんぐりむっくりの体型で、露出した腕や臑の体毛もゆらゆら燃えていた。

 膝丈の貫頭衣や腰の帯は、表皮を覆う炎で燃えないところを見るに、石綿かなにかでできているのだろうか。似たような質感のサンダルを履いているが、なにか踏んだところで足裏が傷つくわけでなし、靴なんて履く意味あるのかね。


 そして右手には、崖を切り取り棒状に整えたような、巨大な石器を携えている。

 黒光りする表面にも手にした者の熱が伝わっていたなら、質量以上の攻撃力を持っていることだろう。


 横に広めの体型とはいえ、背丈の高さもマルグリットの十倍以上。

 かつてやりあったこともある丘巨人ヒルジャイアントは五倍程度の大きさだったから、同じ巨人といっても完全に別な生き物だ。


「まぁた来たかぁ、人間どもぉ……わぁざわざ俺様にぃ、食われにくるとはぁ、殊勝なことだぁ……」


 巨大な角笛を力いっぱい鳴らしたような音が、山肌を舐めて俺たちの体を震わせる。

 口や声帯の大きさが違い過ぎるため間延びした口調に聞こえるが、やつからしたら俺たちの言葉の方が、耳障りな高音の早口に聞こえるんだろうな。


 それを意識してか、低くどすを利かせながらもはっきりした大音声で、アレクシアが問うた。


「聞けっ、巨人よっ! あたしは今代の勇者、アレクシアだっ! これまで深き山より姿を見せなかった汝が、なぜ今になって、人を襲うっ!?」

「ぶぉっふぉっふぉっ……知れたことぉ、俺様はぁ、思い出したんだよぉ……」


 思い出した? 火巨人ファイアジャイアントは口角を歪めて石臼のような歯を見せつけると、アレクシアに向かって歩き出す。

 一歩一歩の幅が違う、すぐにこちらへ到達するだろう。


 目くらましをかますなら今なんだが、勇者は会話を続ける気だ。

 被害を考えれば問答無用でぶっ飛ばしてかまわない相手だが、謎の幼女オネッタの件があるからな、最低限の情報は得たい。


「ここいらぁ一帯、全部がぁ、俺様のものぉ、だってことぉよぉっ!」


 一見して無防備に立ち尽くす少女を、恐怖に囚われ硬直してしまったとでも誤解したか。

 振り下ろせば人間など瞬時に粉微塵にしてしまいそうな石器ではなく、空いた手の方を無造作に伸ばす火巨人。


「だからぁ、お前も俺様のぉ、餌んなれぇっ」

「なるほどね。よくわかった」


 迫る巨大な手のことなど知らぬげに、つぶやくアレクシア。

 掴まれでもしたらその華奢な体など一瞬で握り潰されてしまうだろうに、悠々と腰の鞘に手を当て──目にも留まらぬ動作で、自分の身の丈ほどもある大剣を引き出した。


「悪いけど、『王様』。ここはもう、お前の領土じゃないのよ」


 そして持ち上げた剣に振り回されるかのように、火巨人の手に突っ込む。一本一本が大剣よりもなお長く太い指に、刃を叩きつけた。


 質量の差を考えれば勇者は、為すすべもなく弾き飛ばされるはず。だが剣の峰から吹き出した光が、まるで彼女に翼を与えたように、剣先を突き刺したまま火巨人の手首を旋回させる。

 そのままアレクシアは腕の周囲を切り裂き、肘近くまで駆け上った。


「ぐふぉおおっ!?」


 鮮血を撒き散らし、痛みと驚きの咆哮を上げる火巨人。

 朝飯がわりに摘まんで食い散らかすつもりだった小さな生き物に、ここまで手痛い反撃を食らったんだ、そりゃ驚いただろう。


 魔剣『吹き散らすものエクスティンギッシャ』、込めた魔力を質量の伴う光へと変換することができるこの剣は、通常であれば斬撃を飛ばすことに用いられる。

 だが光の吹き出す向きを刃ではなく峰の方に集中させれば、かくのごとく推進力としても使えるのだ。


 振り回した火巨人の腕に押され、アレクシアの体が宙に放り出される。彼女なら着地は問題なかろうが、移動できない空中で攻撃に晒されるのはまずい。


「リット、キャロっ!」

「いと高き生命樹よ、その枝を伸ばし我らか弱き者を邪悪からお隔てください」

「水よ集いて氷に変われ、氷よ凍てつく牙と化せ、凍える牙よ地を満たせ」


 頼むまでもなく、二人は錫杖とステッキを構え、詠唱を開始していた。俺はそのまま火巨人に向かい、その顔面に着火した煙玉を投げつける。


「くぅたぁばぁれぇぇっ!」


 怒声とともに振るわれた巨大な石器は、やつの眼前を覆った煙に狙いを阻害され、それでもアレクシアの体をかすめそうになった。


「〈聖壁ホーリーウォール〉!」

「〈凍嵐フリージングストーム〉!」


 だがその先端が、地面から急速に立ち上がった光の壁に阻まれる。同時に火巨人の胸元に生まれた白銀の塊が膨れ上がり、極寒の嵐となって上半身を覆い尽くした。


「……っ! ……っ!!」


 ちょうど大口を開けていたところだったから、冷気と氷塊が喉の奥で炸裂したのだろう。火巨人は声にならない悲鳴を上げながら、喉元を押さえてのたうつ。


 無茶苦茶に踏み下ろされる足に巻き込まれたら洒落にならない、俺は速やかに待避した。

 逆に悠々着地したアレクシアは、大剣をかつぎ、暴れる火巨人に歩み寄って行く。


大竜グレータードラゴン並みっていうから、一応は警戒していたんだけど……そこまで強くはないかな?」


 そう言って振りかぶった大剣が、先ほどまでに倍する光を宿した。

 違うぞアレクシア、大竜並みの相手でも難なく倒せるくらい、今のお前が強くなっているんだ。


「とりあえず、目を合わせて話そう、かっ!」


 横ざまに振るわれた剣先は、空中に線を引くように斬撃を飛ばした。

 まるで空間ごとずらして離したかと錯覚するほど滑らかに、火巨人の両膝が切断される。うわ、痛そう。


「ぐっぎぁぁぁあぁあっ!?」


 山じゅうを震わせるかと思うほどの大音量で、悲鳴が響き渡る。

 背後の森からいっせいに鳥が飛び立ち、隠れ潜んでいた動物たちも遁走したか、にわかに騒がしい気配で満ちていった。


 体が大きすぎるせいで妙にゆっくりに見えたが、実際にはさほど間を置かず、火巨人は膝から崩れ落ちる。この場合は文字通り、膝から上が地面に倒れ伏した。

 大質量の物体が落下する衝撃は、山全体が揺さぶられたかと思うほどだ。


「いでぇ、いでぇよぉ……! てめぇえ、なんでぇ、こんなぁ」


 食物連鎖の最上位に位置し、これまで苦痛などとは無縁だったのだろう。先ほどまでの高慢な態度が嘘のように情けなく顔を歪め、火巨人は恨み言を吐く。

 比べるもんじゃないとは思うが、足だけじゃなく腕を飛ばされ腹を裂かれてもなお闘志を失わなかった“白撃”は、やっぱりすごかったんだな。


「お前に食われた人たちは、嘆くこともできず死んでいったのよ。思い知りなさい」


 領軍に関しては同情する余地はあるものの、彼らから仕掛けた戦いだ、返り討ちにあったとしてもやむを得まい。

 だがその前に襲われ食われた遊牧民たちには、なんの罪もなかったはずだ。


「人間ごときがぁ、俺様にぃ、ひぃっ!」


 なおなにか言い募ろうとした火巨人の眼前に、アレクシアが大剣を突き立てる。こいつからしたら、俺たちが小さなナイフをかざされた程度のものなのに、滑稽なほど怯えていた。

 これなら、有益なができそうかな。


 やけになって攻撃してこられても大丈夫なよう、少し離れた位置にマルグリットとキャロラインが位置取る。

 俺はといえば、普通に勇者の隣だ。いざとなれば彼女を掴んで、氷河の足鎧サバトンで滑走し逃げるつもりである。


「いと高き生命樹よ、その葉の上の雫の恵みをもって、悪しき力をお祓いください、〈除呪リムーブカース〉」


 少し遠間から、聖句が放たれた。この〈除呪〉の呪文は対象をわずかな光で覆うくらいで、効果が目に見えてわかりづらい。

 そのうえ火巨人は常に体毛が燃えているから、なおさらだ。


「……さて、改めて聞くけど。お前、なんで人間を襲ったのよ?」


 開戦前とは打って変わってざっくばらんな聞き方をする勇者に、火巨人は恐るおそるといった風情で答える。


「このぉ間からぁ、やけにぃ腹が減ってぇ……鹿や熊じゃあ、ちぃとも満腹にならなかったんだぁ」


 間延びして聞こえるのは相変わらずだが、音量の大きさにアレクシアが顔をしかめると、ぼそぼそと声を抑える火巨人。


「原因に心当たりは?」

「……しばらく前にぃ、魔王軍の使いがきてぇ、ここいらぁの支配をぉ、任せるってぇ、言われたのだぁ」


 俺の質問は無視されたが、勇者が口の端を歪めてにらみつけると、火巨人は目を逸らしたまま答えた。


 ちょっと苛つくが、さっきの戦いで俺は、煙玉を投げるくらいしかしていないもんな。そりゃ侮られるか。

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