第42話 魚谷くん!赤ちゃんはまだ早いわよ!?

「見ての通り私は黒髪ロングヘアーなわけだけど、やっぱり夏になると暑くて仕方ないのよね。魚谷くんが次の髪型を決めていいわよ。その代わりに私の要求にも答えてもらうけどね。おはよう魚谷くん」

「おはよう」


 長い挨拶だったな……。

 鳥山さんの要求なんて、答える勇気も無い。断ろう。


「あの」

「言っておくけど、もう今日の放課後に、美容院を予約してあるの。後戻りはできないわ」

「別に予約キャンセルすれば……」

「いるわよね! そういう、別の予定が入ったからって、平気で美容院の予約を取り消す悪魔!」

「あ、悪魔?」

「許せないわ……。そういう人たちが、美容師の間で、なんて呼ばれているか知ってる?」

「知らない」

「私も知らないわ」


 不毛な会話が生まれてしまった。


「でもさ。要求云々は別にしても、荷が重いって。人の髪型を決めるなんて」

「別に、似合ってないと思ったら、伸びるまではウィッグを着けて登校するから、何も問題ないわよ?」

「そこまでして、俺に決めさせなくてもいいのに」

「魚谷くん。夫に髪型を決めてほしいという欲求は、とても自然なものだと私は思うのだけれど」」

「夫じゃないからさ」

「ぶー!!!」

「うわっ、汚っ」


 いきなり唾を吹きかけられた。プロレスラーの毒霧じゃないんだから……。

 これはもう、毎度のことだけど、受け入れないと話が終わらないな。うん。諦めましょう。


 とはいえ、髪型……。そんなに種類なんて知らないぞ。


「鳥山さん、俺、女の子の髪型とか、詳しくないんだけど」

「大丈夫よ。イメージで言ってくれれば伝わるわ。まず、長い短いその中間。ここを最初に選んでちょうだい」

「えっと……」


 なんか、テストを受けてるみたいな緊張感があるな。

 選択肢を間違えたら、めちゃくちゃ怒られる、的な。


 夏だから髪を切りたいと言っていたし、やっぱり短めがいいだろう。


「じゃあ、短めで」

「あなたは正直者ね。切った髪の毛を差し上げるわ」

「何の話?」

「そうだ! 切った髪の毛で筆を作ってあげるわよ」

「赤ちゃんとかでやるやつだよねそれ」

「魚谷くん! 赤ちゃんはまだ早いわよ!?」

「鼻息荒くしないで」


 どこにスイッチがあるのかわからないから、この人は怖い。


「短めというと……。おおまかにわけて三つね。可愛い系、お姉さん系、ワイルド系」

「そうだな……。まぁ、お姉さん系が、一番いいような気はする」

「魚谷くん、ドMだものね」

「関係ある? それ」

「大丈夫よ。同棲したら、毎日虐めてあげるんだから!覚悟しなさい!」


 女王様だ……。

 なんで髪型の話してるのに、こんな方向に話題が展開していくんだろう。


「短いお姉さん系となると、片方耳にかけるショートカットなんかがいいかしら」

「そうだね」

「じゃあ決まり! 私の要求を聞いてもらうわよ!」


 最初からそれありきで話が進んでいた気がする。もういいですけどね。


「できればあんまり精神的に疲弊しないやつにしてね」

「へへっ」

「へへっ。じゃなくてさ」

「魚谷くん……。これ、私が昔から使ってるヘアゴムなの」


 昔から、というだけあって、随分しなびたヘアゴムだった。


「それがどうかしたの?」

「これでね。魚谷くんの髪を結びたいの」

「結ぶほど長くないんだけど」


 いや、問題はそこだけじゃないけどね。


「私、気が付いたのよ……。最初はね? 私の下着を魚谷くんに履かせるためには、どうしたらいいのかってところから発想したんだけど、どうしても合法的な方法が思いつかなくて……」


 逆に言えば、違法な手段ならいくらでもあるということだ。恐ろしいですね。


「次に、服はどうだろうって考えたの。でも、どちらにせよ、違法になってしまう……。でも、ヘアゴムはどう!? これを強引に付けさせることは、何も犯罪じゃないものね!? 文句があるならどうぞ!」

「……随分年季が入ってるように見えるけど。あの、失礼だけど、昔って、それ何年くらい使ってるのかな」

「十年くらいね」


 ……汚そう。

 買い替えてくれよ。そんなの。金持ちなのに。


「どうしたのかしら。怯えた表情をして」

「まさに怯えてるんだよ」

「でも、私は明日からショートカット美人お姉さんになるから。その点、魚谷くんは、今このヘアゴムを、五分付けるだけでいいの。こんなに魚谷くんが有利な交換条件って無いと思うわ」


 有利とかないんだけどなぁ。

 でも、確かに、たった五分で許してもらえるのなら、悪くない話かもしれない。


「……わかったよ。付けるから」

「イエス! 高○クリニック!」


 かなり強引に、俺の髪の毛をまとめ……。ヘアゴムを結んだ鳥山さんは、満足そうな表情をしている。


「……しまったわ。白飯を用意しておけばよかった」


 理由は訊かないでおく。


「……あのさ。じっと見つめてくるの、やめてくれない?」

「一瞬でも目を離した隙に、何かアクションがあったらどうするの?」

「無いよ。何も」


 アニマルプラネットじゃないんだから。


 そして、ようやく五分が経過した。


「鳥山さん。もういいかな」

「えぇ。十分よ。あ~むっ」

「っ……?」


 鳥山さんが、俺の髪から外したヘアゴムを……。自然な動作で咥えた。


「んっ……。ぢゅう……」


 ――吸ってる。


「あれ? おかしいわね。こないだ、女子のモテ仕草の中に、ヘアゴムを口に咥えるっていうのがあったのに」

「それ、ラーメンとか食べる時に、髪を結ぶために、一旦咥えるとか、そういうやつでしょ?」

「そうだったかもしれないわ。うん。でも美味しいからいいや!」


 次の選挙は、これをセクハラと認定してくれる党に投票しようと思いました。

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