4 嫉妬と惚れ込み


 理央が再び紗綾子と乃慧美のもとを訪れると、紗綾子が膨れっ面でひとにらみしてそっぽを向いた。


「オネーさんがー、外人さんの相手をしてるところ見たら、機嫌悪くなっちゃったんスよー。まるでキャバクラのおっさんス」

「私おっさんじゃないし! 気持ちはうら若き乙女だし!」


 紗綾子が乃慧美の露出した太ももをつねる。乃慧美が悲鳴を上げた。


「……マジごめんなさいっす」

 ――嫉妬してる紗綾子さん、めちゃくちゃ面倒くさくてめちゃくちゃかわいい♡ 帰ってきたら涙目になるまでイジってあげようっと♡


 理央が心の中でドSの気持ちを広げていると、紗綾子のブスッとした声がした。


「お姉さん、3杯ちょうだい」


 かたくなに理央のほうを見ずに、3杯分のお代を差し出す。


「ノエミはもう飲めないからいいッスよー」

「そう……全部私が飲むからいいわよ!」

「何ムキになってんスか」

「ムキになってない!」


 紗綾子は1杯目を一気飲みし、カップホルダーに荒めに突き刺す。ちょうどよく2杯目も出来上がり、腕だけ伸ばそうと受け取ろうとしたが、左の胸辺りに違和感を感じ、慌てて腕を引っ込めた。どうやら、乃慧美が応援グッズを落として拾おうとした際に、顔面に左胸が当たってしまったらしい。

 乃慧美が頬に手を当てながら、


「シャコさん、またでかくなってません?」

「そ、そんなことないわよ!」

「ノエミに隠れて恋人なんていたら、容赦しないッスよ~」

「いないったら!」


 ビールの2杯目も一気に飲み干し、カップホルダーに突き刺す。


「ほら、売り子さんもめっちゃ笑ってる」


 紗綾子は理央に恨めしげな目を向ける。「半分アンタのせいでしょ!」と言いたげな目だ。


「おかしいかしら?」

「いえ、いい先輩後輩の関係だなと。売り子はみんなライバル同士なので、あまりこういう風に話せないんですよ」

「え? そうなの?」

「そうッスよー。前にテレビでやってましたもん。みーんなバッチバチに火花を散らしてるっていうか」


 理央が家でお客さんや選手の話がよくしていても、同僚の話が出てこない理由がここでようやくわかった紗綾子は、労うように理央の目を見て言った。


「大変なのね……」


 紗綾子は3杯目をちびちび口に含む。


「もう慣れっこですから~♪」


 そう言い残すと、理央がお客さんの元へ駆けて行った。




 理央が周りのお客さんの注文を受けながら、練り歩いていると、


「こーこまで持ってこいほーりゅー」

「コーコマデモテコイホーリュー」


 ふたりの外人が流暢と片言で砲流のホームランの求めるコールが聞こえてきた。


「何を教えたんですか?」

「んー? 関西仕込みの応援スタイルやで。あとなぁ、ヤナがキミに言いたいことがあるんやって」

「アナタ、トッテモカワイイ! メッチャカワイイ! トモダチニナッテクダサイ! アト、ビールクダサイ!」


 スマホを見ながらヤナが想いをぶつけてきた。先ほどまでのクール――不愛想――な印象は微塵(みじん)もなく、まるで別人である。そこにはひまわりのような笑顔があった。

 理央は何気なくヤナの足元に視線を送る。空いたカップが山となって積み重ねられていた。


「いいですよー。またベイスタに来たらサービスしてあげますよー」


 ビールをカップに注ぎながら理央は嬉しく思った。


 ――酔っ払って険が取れたのかな。すごく陽気になってる。思った通りだ。この人は笑ったほうが素敵だな。

「ヤナ、よかったなぁ。好きになる順番がおかしかったのは、この際どうでもええわ」

「おかしかったというのは?」


 沙蘭はニヤリとしながら理央に顔を近づけた。


「おいしいビールをしょってるから、あの娘(こ)が好きや! いや、待て待て。よく見たらメッチャかわいいやん! ビールも飲んでテンション上がったから、お礼を伝えとこ! こんな感じや」


 理央は思わず手を叩いて笑った。


「おもしろい人ですね」

「普段はあんな感じやけど、酒を飲むと底抜けに陽気になるんや。悪酔いなんかせーへんみたいやし、いい飲みトモっちゅーやつや」

『握手して!』


 ヤナはチェコ語とともに手を伸ばしてくる。


「握手してほしいみたいやわ。よかったらしたって」


 理央が手を差し出すとなかなかの力で握ってきた。負けじと理央も力を込めると、ヤナはパッと離してビールを全部喉に流し込んだ。


『手が小っちゃくてかわいいと思ったら力は大人並みとかもう、それだけでギャップで1杯一気に飲めるわ!』


 一気にまくし立ててズイッとカップを渡される。理央は意味がわからずポカンとしてしまった。


「えーっとな……要はその……君の瞳に乾杯! ってやつや! ネーちゃん、ウチにも1杯!!」


 そのまま訳するわけにもいかず、沙蘭はヤケクソ気味の訳を理央に教えてやった。


「ああ、はい。ありがとうございます」


 当惑した理央は愛想笑いでそう言うしかなかった。




「あっ、あの外人、売り子のオネーさんと握手してる!」

「……もう! あの人ったら!」


 紗綾子のビールを飲む手が止まらない。


「なんかカノジョみたいな反応ッスね」


 飲んでいたビールが気管に入りそうになり、紗綾子がむせる。


「ま、あのオネーさんはかわいいし、気立ても良さそうだし、超イイ人がいるに決まってるッスよ」


 紗綾子は理央と自分が褒められてうれしいのだが、馬鹿正直にお礼を言うわけにもいかなかった。一応、そこらへんの理性はまだ残っている。それゆえに、ごまかすかのように別の売り子を呼び止めた。

 ワアアアァァアアァアアッ―――!!

 客たちの歓声が一斉に上がり、上空を見上げている。


「ほら、シャコさん! 上、上!」


 乃慧美の興奮した声に、紗綾子も遅ればせながら見上げると、白球がみるみるうちに落ちてきて通路を挿んだ空席に落ちた。

 ドンッ!

 誇張抜きにこぶし大の石が当たったような音に、紗綾子がビビッて悲鳴を上げた。


「いいぞ、いいぞ日向(ひゅうが)―――っ! 砲流とのアベックアーチ最っ高―――っ!!」


 喜びが爆発した乃慧美が紗綾子とハイタッチし、売り子ともハイタッチした。


「お姉さんも、ハーイ♪」


 売り子が紗綾子に両手を差し向けてくる。よくよく見ればかわいい顔立ちをしている。


 ――それでも理央ちゃんが1番という事実は揺るがないけどね。


 そんなことを脳内会議で結論付けつつ、紗綾子も笑みを作って売り子と手を合わせた。


 ――あっ、でもこれって、理央ちゃんに見られてたらすごくヤバいわよね……。

「なーんだ、シャコさんもハイタッチできるんスね」


 売り子が去ってから乃慧美がからかってきた。心の中ではバツが悪そうにしていることも知らずに。


「こうなったら、今日はとことん飲むわよ!」

「はいはい。でも、ちゃんと応援もミリ単位でもしてくださいよー」


 その後紗綾子は色んな売り子からビールを買い、その都度がぶ飲みし続けた。結果、試合が終わったころには、乃慧美に抱えられて帰宅したのだった。


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