016:二人きり、夏祭りの夜

一年に一度、駅前通りは普段とは違う活気に溢れる。街灯のスピーカーから流れるのはいつものBGMではなく祭囃子。午後六時半を回り、薄暗くなってきた通りを照らす提灯の明かり。

つむぎと凛の二人は地元の夏祭りに来ていた。


「おー、やってるやってる。なんか懐かしいな」


凛は辺りを見回しながら呟く。

地元の小規模な夏祭りは神輿みこしやぐらもないけれど、ずらりと並ぶ屋台や行き交う浴衣姿の人々の風景だけでお祭り気分には十分だ。


「な、お前は中学の時も来てたの?」


「ううん、私も小学生以来」


「そっか」


凛が不意に言った。


「…さっきから口数少なくない?つむぎ」


「え、そうかな」


凛はこくりと頷く。

しかしそれもそのはず、この祭りに一緒に来る予定だった翔真とすずらんはお母さんの退院祝いで急遽旅行に行くことが決まり、春雪からは久々に帰ってくる地元の友達と会うことになったと謝罪の電話が来たばかり。


今、凛と二人きりでいるつむぎは妙に緊張していた。


「別に体調悪いとかじゃないよね」


「まさか!元気だよ」


「ならいいけど」


二人きりでこの祭りに来るのは、意外にも初めてである。

小学校低学年くらいまでは親の同伴で来ていたが、それ以降は誘い合わせてクラスの友達複数人で遊びに行くようになった記憶がある。


「あ、わたあめあったよ」


「ほんとだ、買う」


「いい、そこにいて。俺が買ってきてあげる」


二人きりだと楽だ。気兼ねなく並んだりできるし、何より凛はつむぎの好きなものをよく知っている。

現につむぎの好物のわたあめの屋台を、本人よりも先に見つけてしかも奢ってくれるという甘やかしぶり。

露店を見て回り、ゲームをしたり食べ歩きをしているうちにつむぎの緊張もほぐれていった。


途中、二人は射的の屋台を見つけた。的の下にちょこんと座るうさぎのマスコットが目に入り、つむぎは凛にねだる。


「凛、あれ欲しい。うさぎ」


「そうやってすぐ頼る。…知ってると思うけど、俺下手だからな」


気が進まない様子でも、結局はつむぎの頼みを聞き入れる凛。

澄ました顔でコルク銃を構える彼の姿は、何かの映画のワンシーンかと思うほど様になっている。いかにも上手そうに見えるのに、意外と三発連続で外す。


「無理そうなんだけど」とぼやきつつ四発目で無事にうさぎが倒れた。

目当ての物を無事に手に入れ、最後は無難なお菓子に狙いを定める――。


一分後。


「はい、どうぞ」


凛は半笑いで、全く同じ二体のウサギをつむぎの掌に乗せた。

最後の弾は狙いを外し、四つ目の弾が倒した物と同じウサギを不覚にも手に入れたのだった。


「あ、ありがとう」


二体も同じ物を欲しいとは言っていないけれど、最初に自分が頼んだ手前突き返せない。


「…と思ったけど」


凛が一体をひょいっとつまみあげた。


「一匹俺にちょうだい」


つむぎは呆気にとられて凛とウサギを交互に凝視する。


「…凛が取ったし、いいけど」


「ありがと」


凛は満足げにウサギを掌で弄ぶ。凛がこういう可愛いマスコットを好んでいた記憶はつむぎにはないけれど、嬉しそうなので何も言わない。


「ねぇ凛、そのウサギ私が命名してあげるよ」


「そういうのいいよ。ウサギはウサギだろ」


「可哀想だよ、凛だって人間って呼ばれたくないでしょ?」


「……」


「ってことでクロ」


「適当な名付けも大分可哀想じゃない?」


「私のウサギはシロで」


「何で…?」


それから別のわたあめの屋台を見つけて、凛に呆れられながらもまた買って。ヨーヨー釣りなんかもして、綺麗な水風船をもらったり。

楽しい時間が続いた後、その時は訪れた。


通りの向こうから歩いてくる、五人ほどの浴衣を着た若者の集団。その先頭の人の顔によく見覚えがあった。思わずじっと見てしまい、一瞬目が合った気がして慌てて目を逸らす。


琴理ことりだ…)


間違いない、あれは小学校と中学校が同じだった同級生の女子だ。ここは地元の祭り、小中学校の同級生と鉢合わせてもおかしくはないのだ。…けれどせめて、彼女にだけは会いたくなかった。

このまま行けば確実に対面する。引き返すか…でも万が一向こうも気づいてたら、それもそれで不自然だし。


「…つむぎ?」


急に俯きがちになり歩く速度の落ちたつむぎに、凛は心配そうに呼びかける。


「あれー?つむぎじゃん」


前方からの声に、びくりと肩が跳ねる。意を決して顔を上げ、つむぎは前から歩いてくる昔の友達に笑いかけた。


「琴理。久しぶり」


琴理の周りにいる人たちも、小学校や中学校で見覚えのある人たちばかりだった。


「卒業式以来だよね?…それともしかしてと思ったけど、やっぱり芹宮くん!?」


凛も微笑んで挨拶をする。もちろん凛も琴理のことを覚えているのだろう。…つむぎの親友だ、と。


「帰ってたんだね!?もっと早く会いたかった〜!ねぇつむぎ、折角だしうちらと一緒に回らない?ちょうど小学校からのメンツばっかだしさ。もちろん芹宮くんも!」


「いいじゃん、久しぶりに話そうよ」


周りの友達もそう同調する。凛はつむぎの方を見た。どう返すのが正解なの、という表情をしている。判断はつむぎ次第のようだ。


「いいよ、そうしよう」


あまり居心地は良くないかもしれない、けれどいきなりこの雰囲気を壊すようなことはつむぎにはできない。少しの辛抱だ。



♦︎



大方は予想通りだった。琴理はつむぎのことなどお構いなしに凛の隣を占領していて、つむぎはあまり喋ったこともなかったような同級生の中に放られて気まずい思いをしていた。


「えっと…瀬名さんって明翠高だよね、すごいね。うちの中学から数年ぶり?とかだっけ」


「あ、ありがとう。そうらしいよね」


何とか拙い会話を続けながら、水風船を右手にやったり左手にやったり。


しばらくすると、長らく凛と会話をしていた琴理がつむぎを振り返って言った。


「髪のセット崩れてきちゃった。つむぎ、一緒にあっちのお手洗い来て直してくれない?」


「…いいよ」


通りを外れ、公園のトイレまで来た。二人きりになるやいなや、琴理は嬉々として言った。


「ちょっとー、何で教えてくれなかったの?芹宮くん帰ってきてるなんて」


「…琴理の連絡先なんて、とっくに持ってないよ」


元はと言えば、琴理から一方的にLINEをブロックされたのだが。


「え、そうだっけ。まぁいいや、今教えてよ。あと芹宮くんも」


つむぎはため息をつく。案の定といったところだ。


琴理とは普通の友達なんかではない。

小学校の頃は親友だと思っていた。凛を除けば一番仲の良い友達。しかし中学に上がると、彼女の態度が一変した。冷たく接され、仲の良い友達内で一人だけ遊びに誘われなくなり、自分のいないところで陰口を好き放題叩かれ。

『正直、前までは芹宮くんと仲がいいからつむぎとも仲良いふりしてたんだよね』なんて言われる始末。


今、琴理がそのような過去の言動を忘れたかのごとく、あたかも仲の良い友達のように話しかけてくるのは勿論、つむぎの隣に凛がいるからに決まってる。


「…もうやめようよ。友達ごっこ」


「え?」


「そもそも、先にやめたのは琴理だけどね。…凛の連絡先なら自分で聞いて」


特に髪のセットに崩れたところは見られない。二人になるための口実だろう。

つむぎはそれだけ言うと、さっさと外に出た。慌てたように琴理が追ってくる。


「待ってよつむぎ。今更そんな昔のことさぁ、蒸し返されても困るというか」


「仮に今日会った時、どうせ凛がいなければきっと話しかけてこなかったでしょ。…利用されて捨てられるのはもうごめんだよ」


「うっわ、はっきり言うなぁ。それならこっちだって言うけど」


琴理の呟きに、つむぎは立ち止まって振り返る。


「最初から…小学生の時から、大ッ嫌いだった」


冷たく突き放すようにそう言う琴理。

友達どうし好かれたり嫌われたりは仕方がないことだし、いちいち嫌いだと言われて落ち込むことなんて馬鹿馬鹿しい。


けれどつむぎは、少なくとも小学生の頃の琴理が大好きだった。内気なつむぎに積極的に話しかけてくれて、徐々に打ち解けて。…後にいいように利用されてたと知っても、例え偽善の友情だったとしても、彼女がよくしてくれた事実には変わりはない。少しくらいは純粋な友達として接してくれた部分もあると密かに信じていた。


だからその言葉で、過去の思い出を全て否定されたような気がした。思いの外ショックが大きく、つむぎは何も言い返せない。


「ずっと好きだったの、芹宮くんのことが。あんたは初めから目障りだった、だからせめて利用しようと思った。芹宮くんって基本、周りの人間に素っ気ないじゃん?でもあんたと、あんたの友達にだけは人並みに構う。あたしはあんたに取り入ることで、芹宮くんのただのクラスメイトよりも少し親しい関係になれた。それだけ」


「…私は、そうだとしても嬉しかった」


「あんたと仲良くしたいなんて、一秒たりとも思ったことなかったよ」


グサグサと胸に言葉が刺さる。しんどくて逃げ出したいのに、同時になぜかすっきりと胸が軽くなっていく。


話さなくなってから、ずっと会わないように避けていた。だからこうしてやっと本音を言われてむしろ良かったのかもしれない。

つむぎは冷静に言った。


「…みんなの前では普通に接する。凛は何も知らないから。…でももう二度と、こうやって二人きりでは話したくない」


つむぎもきっぱりとそう本音を言い切る。


「うっわ、言うようになったね。中学の時はあんなおどおどしてたのに」


つむぎは何も言わず背を向けて、公園の出口へ歩き出す。凛たちと早く合流しよう。


「むしろ感謝してほしいくらいだわ、小学生の頃あんたと仲良くしてあげてたの」


「感謝なんてしない」


「生意気」


突然後ろからぐいっと肩を掴まれる。


「…やめて」


「ほんっとムカつく」


ぎりぎりと肩に食い込む指に力が入る。爪を立てられているのがTシャツ越しに分かる。


「…痛い」


その時、背後に早足で迫ってくる足音が聞こえた。


「つむぎ」


「…凛」


琴理がパッとつむぎの肩から手を離し、ほぼ同時に凛がつむぎの手を取った。

つむぎは暖かいその手をぎゅっと握りしめる。


「俺たち、もう行くね。あ、他の人たちならあそこのりんご飴の辺りにいるから」


「え…何で」


呆気にとられている琴理。

凛は手を繋ぐだけにとどまらず、指を絡める。…いわゆる、恋人繋ぎというやつだ。凛はそれを琴理に見せつけるようにして言う。


「こういうこと。じゃあまた」


凛はつむぎの手を引き、屋台の通りの方向とは逆へどんどん歩いていく。無言のままひたすら歩き続ける二人。


人気がなくなって、二人の歩くスピードもゆっくりになった。もう手を繋いでいる必要はないように思えた。凛のその指から力がふっと抜けたその瞬間、つむぎは繋ぎ止めるように反射的に握りしめてしまう。…まだ、そのままでいたかった。すると凛はつむぎの気持ちを汲んだように、絡めた指をもう解こうとはしなかった。


数分間歩き続けた後、先に口を開いたのは凛だった。


「二人が戻るのを待ってる時に聞いたんだけど。つむぎがあの子に嫌がらせされてた、って」


「あー…でも大したことないよ」


変な噂や陰口は中二のクラス替えをきっかけに収まったが、それ以降は特別に仲のいい友達は作らなかった。席が近い人とはたまに会話したくらい。


「我慢してまであいつらと合流する必要なんて…いや、俺が気づけば良かったよな。昔は仲良さそうに見えたけど」


「私はそのつもりだったんだけどね。琴理は違ったみたい」


つむぎはそう軽く言って笑って見せたが、凛はいちいち鋭い。


「…無理して笑わなくていいんだよ」


「ありがとう。…でもむしろ、せいせいした。私も言いたいこと言った」


「そっか」


「うん。…そういえば今私たち、どこへ向かってるの?」


つむぎは辺りを見回しながら尋ねる。登り坂の多い住宅街だ。帰り道ではない。


「本気で言ってる?」


「え?うん。…どこ、ここ」


「ヒント。今日は多摩川の花火」


「…知ってるけど」


地元に花火大会はない。けれど向こう岸の数キロ下流で毎年開催する多摩川の花火大会が、この辺りの住民にとっての花火大会である。河川敷へ行くと視界を遮るものはなく、よく花火が見わたせる。みんないい場所で見ようと、土手一面に早い時間からレジャーシートが敷かれる。


「お祭りと日程被るの、毎年ことだもん。…じゃあ河川敷に行かない?」


「そっか、覚えてるの俺だけか。寂しいな」


「え?話が読めない」


やがて辿り着いたのは、高台にある公園。遊具はブランコと鉄棒があるだけ。フェンス越しに街が一望できる。河川敷も、向こう岸の街までも少し見える。


「…あ!」


つむぎは公園を見回す。眠っていた記憶が呼び起こされる。


「ここ、通ってた幼稚園の近くの公園。帰り際にいつも遊んでた」


得意げに凛を見上げるが、彼は微妙な表情だ。


「合ってるけど…。本当に覚えてない?」


「うん」


「小学生の時。この公園から花火が綺麗に見えるんじゃないかって、お前が言ったの」


突然思い出した。

何でそんな話の流れになったのかは定かではないが夏休みが近づいてきたある日、確かにそんな会話を凛と交わした。開け放たれた窓から蝉の声の響く教室で、内緒話のように顔を寄せ合い、声を潜めて。

『だから今度あの公園に行こうよ、凛』

『お祭りはみんなで回る約束したばっかりだけど、公園もみんなで行くの?』

『それはダメ。二人の秘密の場所だから』

『じゃあ来年?』

『うん』

けれどその次も、またさらに次の年も、お祭りに行ったのは二人きりじゃなかった。いつの間にか忘れてしまっていた。


「…二人の秘密の場所」


「思い出した?」


「うん」


突如、辺りが明るくなった。最初の花火が上がったのだ。


二人はフェンスに寄りかかるようにして、夜空を彩る花火に見入る。数年越しに叶った秘密の場所からの花火。建物で隠れることもなく、想像よりもずっと綺麗に見えた。

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