ep.10

   


「いやあ、わりぃわりぃ。まさか荷台で轢きかけて、その上馬糞までかけちまうとはな」

「今日はとんだ災難の日だな」


 ガハハハハと笑い合う大柄の男に挟まれて、肩を遠慮なくビシバシと叩かれる。本気で悪いとは思ってないだろうその言い草に、ノアはジト目を送った。


 周りと同じ作業着に身を包んだノアのその腕には、「ケリア牧場」の文字。そう、ここは「ケリア牧場」と呼ばれる牧場の、敷地内に建てられた屋舎。先程ノアが遭遇したのは、生乳を出荷途中の一隊だったらしい。


 荷台が襲ってきた原因は何でも、繋ぎ止める金具のネジが緩んでいたとかで、お詫びとして15地区の町まで送り届けるという約束が交わされた。ただ、出発は今すぐではなく、翌々日の朝と指定されたのだった。



 この牧場に到着した時、ノアはどれだけ見渡しても被害をかすりとも受けていないその様子に驚いた。疑問に思い尋ねると、あの爆発のような風の脅威にさらされたのはノアの住む村周辺のみで、16地区より内側の地区からは同じような被害の情報などは一切出ていないとのことだった。

 それよりも今は、塔が光ったことに関する話題で町は持ち切りなのだという。ノアはそれを受けて、一か月前身の回りで起きた出来事を説明すると、驚かれた。そして無理も承知で、物資を村に届けて欲しい旨をお願いしたところ、そこに居る者全員が快く承諾してくれたのだった。

 ノアが地面に地図を描くと、こんな場所に村があったとは、と声が上がっていた。




 風呂上がりで束になったノアの髪の先から頬へと滴が伝い、首にかけたタオルまで落ちていく。


「おっ、ローズもあがったぞ」


 ノアが前髪をタオルでガシガシとかき上げたタイミングで、誰かが太い声を上げた。


 タオルで髪を雑に拭いながら、少女がひと塊になっている男の集団に近づいていく。一同の視線が少女に注がれる。


 ローズと呼ばれる少女の目が、ノアを捉えた。


「いやー、散々だったね」


「…もうあんな思いしたくねぇよ」


「…にしても、まさかあんなところに人がいるとは」


「俺だって、森のど真ん中で荷台が飛びかかってくるなんて微塵も思っちゃいなかったよ。」


「あはは、たしかに。私よく移動中昼寝してるからさ、たまたま起きてる日でよかった。寝てたらどうなってたんだ。」


「今頃死んでたわ…」


「何言ってんの、大袈裟だなあ。そんな事で死にゃしないよ。」


 笑いながらノアの肩をどしどし叩く。ノアの右半身が途端に急角度を付けていく。


「い…っ、おま、まじ…手加減しろよ。力強すぎんだって。」


 じんじんした痛みが残る右肩をさすりながら、ノアが顔を顰めて訴えた。


「はは、ごめんごめん」


「兄ちゃん、さっからローズちゃんに押されてばっかで世話ねえな」


 どこからともなくガヤが入る。途端に、どすどすとした低い笑い声が天井まで反響する。


「うるせえ!悪かったな!」


 体格差も相まって、馬鹿にされている感満載である。


「出発って、いつになるんだっけ」


 周囲の笑い声につられつつも、ローズが尋ねる。


「明後日の朝だってよ。」


「じゃあたっぷり時間あるじゃん!ねえ、パン作るの教えてよ」


「さっきからそればっかだな……まあいいよ、他にやることないし。」


「よっし!」


 さっきまでタオルを掴んでいたローズの手が、がっしりとノアの手首を掴む。


 するとたちまち、語気を荒らげた男の声が響いた。


「おい!ローズ!!お前は仕事あんだろ!暇じゃねえぞ!!」


 声の主に、ローズが背中越しに振り返る。


「だってこの人……パン作れるんだよ!?この手を離して仕事に向かうなんて、…っ、私には出来ない…っ」


 ローズが目をぎゅっと瞑って、安っぽい演技をする。

 たちまち、二人を取り囲む男達の笑い声が響く。全員ツボが浅いのか、ここではすぐに笑いが起きる。響く笑い声で、床が僅かに振動する。

 野郎のまとまった笑い声、という迫力ある体験に、ノアは圧倒され若干顔が引きつっていた。


 すると今度は、横から優しそうな深い声が入った。


「いいじゃんいいじゃん、今日くらい。こんな機会滅多にないんだし。教えてもらいなよ、ローズちゃんの食い物好きは俺たちが一番よく知ってるでしょ。ローズちゃんの分は俺が担うよ。


 …あ、でもその代わり、最後の掃除くらいはやっておいてね。その時間は僕にも仕事があるからさ。」


 男達の並んだぶ厚い壁から、一人の男が踏み出した。むさくるしさを感じさせない、むしろ紳士ささえ漂う、頬髭を生やした男だった。いわゆる普通体型だが、この並びでは細身のようにも見える。


「オスカーさん…!!!ありがとう!この恩は忘れないよ」


 ローズの目に光が集まる。


「はは、大袈裟だなー」


 嬉しそうに、ローズが笑みを浮かべた。


「じゃ、行こ。調理場はこっちだよ」


 ローズがノアの腕をぐいっと引っ張った。その力の強さに足元がおぼつきながらもながらも、ノアは同じように駆けていった。










「んで、パン作りで何が一番重要かっていうと、正確さなんだよ。だから全部ちゃんと量んねぇといけねえの。分量通りに、こうやって……」


 ボウルを乗せた秤に、ノアは強力粉の入った紙袋を揺らして少しずつ落していたが、ふと視界の端に何やら白いものが映ったので横を見れば、隣で大量の白い粉が舞っていた。


「げほ、っけほ、……で?正確さが何って?」


「強力粉全部入れるやつがパンなんて作れねえよ」


 舞った粉の煙を振り払いながらノアが咳き込めば、つられてローズもまた咳を繰り返す。


「けほ、だって、そんなのもっと先に言ってくれないと」


「まさか全部入れるなんて思わねえじゃん。袋にこんなに入ってんだよ?躊躇なさ過ぎて怖ぇよ」


「早く作りたい思いが先行しちゃって」


「にしてもだよ。あーー、まあ戻してもっかいやりゃいいからさ、次はちゃんと聞いとけよ」


 ボウルに高く積み上がった白い山を崩さないように器用に袋へと戻すノアを、机を挟んだ向かい側から、小柄なおじいさんが微笑ましく見つめていた。視線に気づいたノアが、ぱっと顔を上げる。


「あっ、クラークさんもう量り終わりました?もうちょい、待ってて下さい…」


「いえいえ、急がなくてもいいですよ。」


 場を和ませる、落ち着いた声だった。手持ち無沙汰になったクラークが、優しい口調で語りかける。


「……昔、街で出来たてのパンを食べる機会がありましてね、その時の味が未だに忘れられないんです。その店はもう潰れてしまったんですが、ここで調理師として働いている今でも、無性にあの焼きたてのパンを食べてみたくなるんです。

 あの時の味をどうにか再現出来ないかと、たまに時間の空いた時に作ってみたりはしているんですがねぇ。いやはや、パンはなんせ専門外でして。」


「へええ。どんな種類のパンだったんですか?」


「それが、記憶があやふやでして。思い出そうにもうまく思い出せないのです。

 お嬢さんにも散々この話をしているのでね、いつかあの味を再現して、食べさせてやりたいのですが、どうも失敗続きで……」


「じゃあ俺の責任、超重大じゃないですか。」


 鼻先に粉をつけたノアが、手元を見ながら白い歯を見せた。


「いえ、そんなに気負わなくてもよろしいですよ。こうして教えて頂けるだけでありがたいものです。」


「あー、でも、そのパンを再現するのは難しいですけど、明後日までにひと通り出来るくらいのことは教えられますよ。時間だけはめちゃくちゃあるんで。」


「本当ですか。いやあ、嬉しいです。この歳になっても学ぶ機会があるというのは、大変喜ばしいことです。」


「多分すぐ習得できます」


 ほころんだ顔を見せるおじいさんに、ノアが「大丈夫」の意味を込めて親指を立てる。


「にしても、疲れないんですか?ほら、周りこんなだし」


 この広い調理場の端には簡易的な椅子が並べられており、そこでは調理師らが仮眠を取っていた。体勢は三者三様で、ふたつの椅子を並べて横たわっている者もいれば、一つの椅子に頭を置いて寝入ってる者もいた。ぱっと見たその有様は、まるで奇襲にでもあったかのような光景である。

 四方八方から届くそれぞれのいびきをバックグラウンドに、会話を繋げていく。


「私も普段は同じようによく仮眠を取りますが、今日はこうして教えて頂けるというので、疲れよりも意欲の方が上回っております。なのでご心配なさらず。」


「元気っすね……俺なんか、早く歳取って毎日昼寝だけして過ごしたいって思ってますよ。」


「ははは、そんな生き方も良いじゃないですか。ねえ、お嬢さん」


「え、あうん。……パンに夢中であんまり聞いてなかった…」


 もごもごと、こもった声でそう言うのは、口いっぱいにパンを詰め込んだローズ。片腕で、茶色い紙袋を抱え込んでいる。握りこぶしほどの大きさの丸々としたパンを、次々と口の中へ放り込む。


「どっから出してきたんだ。え、てかそれ、朝食用って書いてないか?いいのかよ、勝手に食べて」


 呆れ半分に、ノアが横から小言を言う。


「いいのいいの。いつも食べてるし。」


「お嬢さんが空いた時間に食べに来られるのを見越して多めに買っているので、問題はございません。」


「…つーか、パン食べながらパン作るって意味わかんねえ!もう食った量、今から作る分越えてるし!」


「ま、パンは美味しいからね。」


「全然答えになってねえよ…。自分から誘っといて、もうめんどくさくなってきてるんだろー?」


 ノアが顔を覗き込むように首を傾ける。


「いや、やる気はめちゃくちゃあるよ」


 親指にパンを刺して、ローズがグッドサインをする。


「絶対嘘だ」


 2人のやり取りを見ていたクラークが、髭を震わせながら笑い声を漏らす。


「ははは。ノアさんが来られたおかげで、今日は一段と賑やかですねぇ」


 その後も、会話が盛り上がるあまり3人共が手を止め話に夢中になってしまったり、ローズが道具を破壊したことにより作業が一時中断したりと、紆余曲折あったものの、なんとかタイムリミットである夕食の準備前までに事を運ぶことができ、ノアは胸を撫で下ろすのであった。

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