最終話 この国の最期に

 老人は目をつぶって、長く沈黙していた。私も、老人が歌った詩を考えていた。

 長い沈黙。


 ふと、沈黙を破って老人は、真剣な表情になって言った。

「お嬢さん、一つ頼まれてくれないかね」

 何でしょう、と私は言った。

「私の馬車の荷物は、全部この国の歴史の記録なんだ。私が長年集めて、書き記してきた。それを、東の町、あるいはもっと遠くの、国に届けてくれないか。私の馬車はお嬢さんにあげるから、逃げるついでに、届けてくれないか」

 私は聞き返した。

「貴方はどうするんです」


 老人はうつむいて、そして顔を上げると、少し微笑んだ。


「私は都に戻るよ」


 私は叫んだ。そんなのいけません。死にに行くんですか、と。

 老人は、答えた。

「まだ、残してきた歴史の資料が沢山あるんだ。なに、死にに行くつもりはない。少しでも多くのこの国の記録を残さないといけない。それを取ってくるだけさ」

 私は懸命に老人を止めようとしたが、老人の決意は固いようだった。

「お嬢さんに会えて良かった。どうか頼まれてくれ。お嬢さんになら、託せるんだ」


 私は、長く沈黙した。色々な事が頭をぐるぐると回ったが、答えた。

「わかりました。任せてください。貴方もどうか、死なないで」

 老人はニッコリと笑い、ありがとう、と深々と頭を下げると、家から出て、確かに都の方へと歩いていった。私はそれを見えなくなるまで、ずっと見ていた。

 

 正直な気持ち、私ももう死のうかとすら思っていた。この村から逃げて、一体何をして生きていくのかと。けれども、老人からこの国の歴史を、この国の思い出を、託された。生きていかなければならないと。


 この村から出て、生きるんだ。そう思った。


 この村を出る。祖母を呼びに、家を出た。相変わらず都を見ている祖母に大きな声で声をかけた。逃げましょうと。


 すると、祖母は、ゆっくりとこちらを振り向くと、倒れた。

 私は、驚いて駆け寄った。祖母は、息が荒く、苦しそうだった。早く出発して、お医者様を探しましょうと言った。


祖母は、ゆっくりと、言った。

「私のことは、いいよ。置いてお逃げ」

何を言っているのと、私は叫んだ。

祖母は言った。

「私は、どうやら、もう死ぬようだ。寿命だよ。死ぬなら、最後に、都を見ていたいと思って、ずっと、都を見ていたのさ。死ぬなら、生まれ育ったこの村で、死にたい。貴方は、元気で生きていきなさい、きっと生き延びて、この国があったって事を誰かに伝えておくれ」

祖母は、ゆっくりと振り向いて、都を見やると、目を閉じた。閉じた目は、開かなかった。私は泣いた。祖母の胸にうずくまって、首を振った。祖母が冷たくなっていく。私は、ずっと泣いて、泣いて、泣いた。


 もうすぐ朝が来る。空は白んでいた。私は、泣き腫らした目をこすり、冷たくなった祖母を、都が見えるように、家の壁にもたれさせた。

 

 私は馬車に乗った。老人から託されたもの、祖母から託されたものを背負って。

 馬はいななき、駆け出した。


 地平線から日が昇り、夜は開けようとしていた。

 進む者、戻る者、残る者を照らして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

落日の幻想帝国 のらくら @Nohohon_Norakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ