第391話・タトリクス・カーン(1)
その劇場は酒場と宿泊施設を有する巨大な建物で、名をルードス劇場と言った。
劇場ホール部分の広さは相当なもので、エスプランドルの傭兵ギルドを彷彿とさせる。
傭兵ギルドの一階フロアは一度に数百人が食事を可能とする広さがあったが、この劇場は客が余裕を持って席で寛げるように間隔を空けていた。
その為、席数で言えば20席ほどしか無く100人収容出来るかどうかだ。
しかし舞台や給仕用のカウンターが在る事、そして給仕担当の女性店員が所狭しと動き回っている事を考えると、丁度よい空間利用と言えるだろう。
またこの劇場ホールは非常に天井が高く、3階建て構造を吹き抜けに改築した様な造りになっている。
この天井の高さを利用して2階に相当する高さへ
そしてこの賓客席にプリームスは案内され、セルウスレーグヌムの高官に接待される状況なのであった。
「プリームス陛下、如何でしょうか・・・ここはアポイナで最も豪奢で高級な劇場となっております。訪れる客層も貴族や豪商と、それ相応の対価が払える者だけが入場を許され、出し物の寸劇や歌・・・どれも一級品で御座います」
と丁寧な口調で説明したのは、セルウスレーグヌム王国の王族であるモーレス・ファトゥウスだ。
彼は国王アンビティオーの実弟、つまり王弟で、市井に降りてプリームスを接待する役割としては適任と言えた。
まず理由として他国の王に対して王族が持て成す事が1つ、加えてモーレスは頻繁に歓楽街を訪れており、市井の世情に詳しいからだ。
「王弟殿は遊び慣れていると見える。そうなると分からない事が有れば、何でも聞けば良い訳だな」
そうプリームスは隣に座るモーレスへ、少し揶揄う口調で言った。
苦笑いを浮かべるモーレスは、やんわりとプリームスの言葉を訂正する様に説明を始める。
「遊び慣れているとは滅相もございません。実は財務長官を担当しておりまして、資産家との交流が多いのです。それでこう言った事も自然と詳しくなった訳ですよ」
多額の税を支払い国庫を支えているのは、国民の1割にも満たない豪商達なのである。
それはどの国でも似たような物で、国庫を預かる長と有力な商人とは切っても切れない関係になるのは必然と言える。
「なるほど、立場ゆえに詳しく成らざるを得なかった訳か。なら失礼な言い様になってしまったな。それにしてもモーレス殿が言う通り、何もかもが一級品で素晴らしい」
その言葉に恐縮するモーレス。
だが満足そうにしている彼を他所に、プリームスの心中は真逆だ。
『確かに全てが一流で一級品だが、ありきたりで面白くないな・・・』
ただ提供された食事はエスプランドルでは食べられない物ばかりで、目新しい上に非常に美味。
そして酒もプリームスを気遣ってか、酒精が弱めで飲み易い果実酒だ。
これらに関しては満足出来る物で、この地域の食文化を暫く滞在して味わいたいと思えるのだった。
舞台で行われる寸劇や笑劇、また歌や演奏を怠そうに見つめるプリームス。
そろそろ接待している側に気遣う気力も無くなり、それがモーレスに伝わりかけ時、状況が一変した。
舞台に艶やかな白のドレスを纏った女性が立ったからだ。
彼女は妙齢で淡い青銅色の髪をし、プリームスに勝るとも劣らない美貌を持っていた。
故に居合わせた周囲の客は騒然となり、見惚れてしまう。
そうするとホール内の喧騒が、固唾を飲む様に一瞬で止んだのだった。
皆常連なのだろうか・・・その表情は彼女が歌い出すのを待ち侘びるかの様に見える。
それら全てを含めてプリームスは、彼女に興味が惹かれた。
「彼女はタトリクス・カーン・・・魔導院出身の歌い手だそうです。一週間ほど前に突然現れて、この劇場で歌い出したのですが・・・見る見るうちに人気者になりましてね、かくいう私も彼女の愛好家の一人ですよ」
と小声でモーレスがプリームスへ告げる。
『魔導院・・・政変があって5年程度経つようだが、他国で活動せねばならぬ程に困窮しているのか?』
舞台に立ったその美女を見て、これ程の器量でも苦労しているのかとプリームスは心配になった。
人は、特に女性であれば容姿が優れているだけで優遇され、より良い人生を歩める可能性ある。
飽く迄、可能性の問題であって、結局は置かれた環境と本人の意志や行動に最終的には左右される。
それを鑑みても、”これ程”とプリームスに思わせる美しさがタトリクス・カーンにあった。
透き通るような声が劇場ホールに響き渡る。
女性特有の音程の高い歌声だが、不思議と耳障りが良く心地よい。
歌唱の技術も然ることながら舞台だけの経験だけでは無く、人生経験の重厚さから来る抑揚・・・情緒がそうさせるのかも知れない。
『そうか・・・客たちが魅了されるのも分かるな・・・』
プリームスはタトリクスの唄う詩に心を惹かれた。
切なく、寂しくも有り、また勇気付ける・・・小叙事詩と言って良いだろう、その物語はまるで自身の人生を語るようであった。
こうして20分程だろうか、タトリクスは3曲を歌い切ると徐に首を客席に垂れた。
その素晴らしい歌声に観客達が総立ちになり、ホールを埋め尽くす拍手喝采になると思いきや、みな大人しく柔らかで控えめな拍手を送るだけだ。
その状況を不思議に思って居ると、
「タトリクスは騒がしいのが嫌いなようで、皆それを心得ているのです。ですので大声で賛美したい所をグッと堪えて、こうやってうるさく無い程度に拍手で讃えるのですよ」
そうモーレスが控えめの拍手をしながら、プリームスへ言うのであった。
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