第17話 朗人、ガオの叫びを追う

 自転車が橋の中腹を越えると吹き抜ける風が一層強くなった。

 アキは自転車のハンドルを絞る様に握り込み、踏み込む足に力を込めると、昨晩あの男、梶優雄かじゆりおにやられた脇腹が引き攣るような強い痛みを起こす。アキは思わずペダルから足を外し、右手で脇腹を押さえた。手には小夜子さんが貼ってくれた湿布の感触。

 「打撲だろうな。鍛え方が足りないな」

 アキはそう独り言をつぶやくと、再度ペダルを踏み込んだ。


 橋を渡りきると、不思議な事にそこから続く歩道の所々が黒く濡れている事に気が付く。その点々とした後を視線で辿ってゆくと、それは大きな屋根を持つ建物の角の先へと続いていた。建物は藤川さんの言っていた『彷徨える人形』というコーヒー関連の店なのだろう。その証拠に豆の焼けるいい匂いが漂ってくる。


 自転車を停め、首筋の感覚に意識を集中する。


 ――― 少し乱れ気味だけど、怪我とかはしてない。そして、この感覚‥‥‥ かなり近くにいる筈だ。


 首筋を押さえながら周りを見回していたアキはひとりの男と視線が重なった。髭面の大男。男は何故かアキを待っていたかのようにこちらに向かい駆け寄って来る。近寄ってきた分かったが、身体の線の座り方が日本人離れをしているうえ、髪型はドレッドヘアーだ。


「キミ、伊多朗人いだあきら君? 」

 その大柄な体格からは想像もつかないような高く優しげな声にアキは静かに頷いた。


「ボクは館山たてやまトマス信治のぶはる。そこの店のなんちゃって経営者さ。保のヤツから話は聞いてる。キミ、何かやっかいごとに首を突っ込んでるんだって? 」

 保。藤川さんの下の名前がそうであった事を思い出したアキには話が少し見えた。


「失礼ですが藤川さんの知り合いですか? 」

「ああ。藤川保はボクの古くからの友人であり、ウチからコーヒー豆を仕入れてくれている大切なお客さんだ。そんなヤツから『チャコとオレのお気に入りが困っていて、そっちへ行くだろうから手助けしてあげて欲しい』って頼まれた」

 藤川さんらしい根回し。アキにとってもありがたい話だった。


菊川美愛きくかわみあさんと梶優雄かじゆりおっていう人物の住まいを教えてください」

「それも聞いている。梶って男は金髪ロン毛の胡散臭い男だろ? いて来なよ」

 大きく頷いたアキに対し、館山さんは手招きをすると小走りに駆け出した。


「場所を教えて頂くだけで構いません」

 アキは自転車を手押ししながら、館山さんの横に並びそう告げる。

「オートロックのマンションに君はどうやって入るつもりなんだい? 無理に入れば不法侵入だぞ? 」

 正直そこまでは考えてもいなかったアキは言葉を失う。


「そんなに凹まなくてもいい。ボクが一緒なら正々堂々と入れる。なにせボクもヤツと同じあのマンションに住んでいるんだから」

 そう笑いながら館山さんはカード―キーを取り出すと、自分の店の隣に立つマンションを指差し、言葉を続けた。


「厄介ごとに人を巻き込みたくないって、思っているのなら気にしなくていい。ボクは厄介ごとに首を突っ込み続け、そこで出会った人たちのおかげで自分の店をここまで大きく出来たんだ。まぁ、厄介ごとに首を突っ込むのはボクが成長するためのエネルギーであり趣味なのさ」

 厄介ごとに首を突っ込むのが趣味だという人物にアキは初めて出会ったが、そこで出会った人たちのお陰で自分は成長できたと語ったその言葉には不思議な重みがあった。


「それにさ、ボクもあの金髪野郎は前から気に入らなかったんだ」

 言葉を結ぶようにそこでウィンクして見せた館山さんは、気にするなとばかりアキの肩を軽く叩く。


「ひとつだけお願いしたい事があります」

 アキは一呼吸置いたうえでそう告げた。

「何だい? 」

「万が一、アイツとやり合ってボクが負けそうになっても、館山さんは手を出さないで下さい」

 出た言葉は誇り。アキの言葉に館山さんの表情が一瞬だけ固まり、そして、直ぐに弾けた笑顔となる。


「なるほど。あの保やチャコちゃんが気に入る訳だ」

 その優し気な視線が照れ臭くも感じたが、アキは直ぐに気を引き締めた。藤川さんが教えてくれたように梶がいない事がベストではあるが、先程、自身で告げた通り、ヤツと遭遇しやり合う可能性はゼロではない。そして、それがハナを救う道であればアキは躊躇するつもりはなかった。


「じゃあ、と行こうかぁ」

 リラックスさせる為だろう、館山さんがそう嘯いた時にアキの耳にが届く。


 犬の咆哮。


「ガオっ! どこにいるっ⁉ 」

 突然、アキが飼い犬の名前を叫び辺りを見回した為だろう、館山さんは目を白黒させていた。


「今の声、自分の所で飼っている犬の声です! 」

「犬って、もしかして耳が小さく尖っていて、黄色とも茶色とも取れない色をした少し大きな犬の事か?」

「その通りです」

 ガオの外見的特徴を見事に言い当てた館山さんの言葉に今度はアキが驚きの表情を浮かべた。次の瞬間、再度聞こえたガオの咆哮。再度辺りを見回すが、やはりガオの姿は見あたらない。


「その犬なら少し前、ボクの前を通って行ったぞ! 」

「えっ! あいつもハナを追ってここまで辿り着いたのか‥‥‥ 」

 アキの背筋に怖さからではない鳥肌が走る。そして、三度みたび聞えたガオの咆哮。


 声が聞こえた方向であるマンションの上方を見つめるアキ。

「とにかくキミの面倒事は犬を追えばいいんだな? 今の声はマンションの上からだっ! 行くぞっ! 」 

「は‥‥‥ 」

 走り出す館山さんの背に向かいアキは大きく返事をしようしたが、直後に感じた全身の痺れにそれを遮られる。


「どうした? 」

「何でもありません」

 ハナの身体に何かが合ったのは分かったが、説明している時間がないと判断したアキは短くそう答えた。


「ったく、この『ととと』の営業車、こんな所に路駐しやがって! 」

 館山さんはマンション前の歩道に乗り上げるように停まっている『心身体健康食事』の黄色い営業車を怒鳴りつけ、玄関横にある機械にカードを翳した。


「ナイスタイミング! 片方のエレベーターが一階に止まっている。金髪クソ野郎は八階だったはずだ」

 自動ドアを潜り目の前にある二機のエレベーターを見つめた館山さんは素早くボタンを押した。ますます強くなる首筋の感覚。


 ――― ハナ、待ってろよ! 今、行くからなっ!


 アキはハナがその身に何かの衝撃を受けた事を悟り、焦る気持ちを抑えながら、エレベーターに乗り込み素早く八階のボタンを押した。

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