第15話 朗人、夢、そしてアメリカンコーヒー

――― それは幼き頃、小学校入学直後の日の記憶


『朗人、なんで友達とケンカしたんだ? 』 

『あいつら、ハナを馬鹿にしたんだ。「ひとり言ばかり言ってて、気持ち悪い」って』

 父は顎に手を添え、遠くを見ていた。


『そいつはオレでも腹が立つな。だがよ朗人、お前はオレに似て人様より身体が大きいうえ、腕力も強い。そんなお前が人に力を振るえば、相手はケガしちまうのは分かっているだろ? 』

『父さんも先生たちと同じように“暴力はいけない”って言いたいんだろ? でも、相手は五人もいて、そのうえモップとかを振り回して来たんだ』

 ハナをイジメたグループのリーダー格のヤツは突き飛ばし、泣かすことが出来た。

 だが所詮は多勢に無勢。しかも、相手は武器までを手にしており、最後には囲まれ返り討ちに合った。アキはその悔しさと怖さを思い出し、涙を流した。


『悔しいか? 怖いか? それが戦うって事だ、よく覚えておけ。だがな、朗人、オレは暴力は良くねえと思うが、戦うこと自体は悪いとは思っちゃいねえ』

『暴力はいけないのにどう戦うのさ? 』

 涙を拭くアキの頭を撫でる父の大きな手。


『実はオレにもその辺の事は上手く説明出来ねぇんだけどよ、まぁ、言うなれば“てめえの背に護りたいものがあるのなら、その時は腹ァ喰くって全力で戦え”って事よ。そして、その時の覚悟こそが強さってヤツだとオレは思うぜ』

『なんだよ、それ。意味がぜんぜん分かんないよ』

 アキは唇を尖らし父を睨んだ。だが、父は相変らず笑顔だ。


『朗人、お前にもいずれ自分の全てを懸けてでも護りたいものが出来る。そん時には今の言葉を思い出せ。そうすりゃ、戦うって事の意味が少しは分かるようになる』

『父さんは、いつもそんな事を考えながら、火と戦ったり、人を助け出したりしているの? 』

『ああ、その通りだ』

 再び父は大きく笑った。そして、次に悪戯っぽい表情を浮かべると、アキの肩に手を回し耳元で小声で囁き出した。


『それとな朗人。いざっての時の為にケンカに役立つ技をひとつ教えてやる。母さんにはナイショだぞ。こいつは武器なんて無粋なもの使わなくてもスゲエ破壊力だから、弱い奴には絶対に使うなよ』

『そんな凄い技なの? 』

『おうよ! その名も「伊多巌いだいわおスペシャルⅢ」だ! 』

『父さんの名前が入った必殺技なの? なんかカッコ悪いなぁ』

 アキの不満にも父は笑顔見せていた。


『まぁ、技名はダサいかもしれねぇけどよ。この技はたたくかためるうつなげるの四連コンボが結構簡単に出来ちまう上、喰らったヤツまず立てねえ。だから自分より大きくて強い奴や卑怯な野郎にだけしか使っちゃダメだ。約束できるか? 』

『うん。約束する』

 父を見据え、アキは大きく頷いた。


『よしっ! じゃあ教えてやる。まずはワザとらしいくらいの―――  』



 口の中に広がる生温い鉄の味にアキは目を覚ました。

 薄ぼんやりとした灯りの中、徐々に甦る記憶。


「ハナっっ‼ 」

 慌てて飛び起きると身体中に痛みが走った。

「まだ横になっていた方がイイ。かなりボコボコにやられたみたいだからな。ったく、人の店の前に子供を放り投げておくなんて、いい迷惑だ」

 不満げに語る男性の言葉から判断するに、あの男にやられた後、処置に困った店の人間が、どこかに放り投げたという事なのだろう。


「お騒がせ致しました」

 軽くお辞儀をしつつ、立ち上がると水月に引き攣るような痛みが走る。アキが痛みに顔を顰めつつ眺めた店内は、キレイに清掃されたログハウス調の喫茶店で、窓からは朝の陽射しが入ってきていた。更に店内を見回すと店主の男の他に女性がひとりカウンターの隅に腰を降ろしているのが目に入る。その女性はアキの視線に気が付いたのか、軽く笑いかけて来た。


「オマエを手当てしたのはそいつだ」

 アキに水を差し出した店主の口調は何故かぞんざい。


「ありがとうございます。自分は日南大付属中にちなんだいふぞくちゅう二年伊多朗人いだあきらと言います」

 お礼を述べ、下げていた頭を戻すと女性の口元は小さく綻んでいた。

の中等部に夜の『おろし通り』をうろつける子がいるなんて驚きだわ」

 

 この呼び方をするという事は、日南大付属にちなんだいふぞくの関係者である事は間違いが無い。やや薄めのメイクが似合い、腰のラインがクッキリと浮き出る黒のジーンズを卒無く着こなす姿からすると、もしかしたら高等部の教員か学校職員なのかもしれない。アキは学校名を告げた自分の迂闊さに唇を噛みしめた。


 聞こえた女性の薄い笑い声。

「大丈夫よ。言いつけチクったりはしないから。私は日南大付属高校にちなんだいふぞくこうこう二年F組・藤川ふじかわ千夜子ちよこ。さっきからお店で偉そうにしているソコの人は藤川ふじかわ保。私の父親よ」

 高校二年生と言えば自分より三つ年上。だが目の前で笑顔を見せる藤川ふじかわ千夜子ちよこはどう見ても二十歳はたちを越えているようにしか見えない。


「チャコのメイクや服装が高校生には見えないって、このあんちゃんは言ってるぜ。オレも毎度言ってるだろ? 十五、六の娘は化粧なんぞしなくても十分キレイなんだって。だいたい、何の為にクソ高い学費払ってお嬢様学校に通わせてると思ってるんだ」

 そう語る店主も服装のせいもあるかも知れないが異様に若く見える。こう言っては何だがとても高校生の子供がいる年齢には見えない。

「古ッ! 今どきメイクをしていない女子高生なんている訳ないでしょ。それに日南大付属高校ウチには、お父さんが考えているようなお嬢は存在しないわよ。ねぇ、朗人あきらクンからも言って貰える? 高等部の子たち中では私なんて地味な部類だって」

 完全に親子の会話に巻き込まれる形となったアキは肯定するでもなく否定するでもなく軽く首を傾げた。


「曖昧な返事は良くないわね。女の子に嫌われるわよ」

「チャコの言う通りだ。コウモリ野郎は男にも嫌われっぞ」

 何だかんだで息の合った会話を見せる親子にアキは思わず頬を緩め、それがその場にを作った。


 店の外を車が一台、大きな音を立てて通り抜けて行く。窓から見えるその黄色い車には『心と身体と健康と食事』の文字。音の伝わり方が乾いて聞こえたのは雨が止んだからなのだろう。


「自分は『ノアール・パートⅡ』というお店で背の高い金髪の男とケンカをして負けました。今すぐにでも、その男を追いかけなくてはいけません」

 アキは肩や膝を回し、痛みの具合や身体がどの程度動くかを確認していく。身体は痛むが、動くには支障はなさそうだ。


「半グレどものたまり場のあの店か…… ったく、雨の中、子供を放り出すなんて何考えてんだ。だから何時迄経っても、この辺りは悪い評判が消えねぇーんだよ」

「藤川さん、『ノアール・パートⅡ』ってどっちの方角にありますか? 」

 意外と言っては何だが、常識人らしい発言をする店主・藤川さんにアキは尋ねながら出口へ向かい歩き出す。


「西へ百メートルも行きゃあ見えて来るが…… って。おい! まさかオマエ、また乗り込むつもりか? 馬鹿! やめろっ! チャコもボサっとしてないで、そいつを止めろっ」

朗人あきらクン! 止めなさい。身体にあれだけの痣を作っておいて、何を考えてるの! 」

 入口を塞ぐように立つ娘とアキを羽交い絞めする父親。


「ったく、行動の読めねえ奴だな」

「ホントよ。だいたい朗人あきらクンは『ノアール・パートⅡ』がどれだけ危ない店だか分かっているの? 」

 危ない店。ふたりが自分を必死に止めた理由はにあるのだろう。アキは分かりましたと言う意思表示代わりにバンザイをするように両手を上げる。


「あの店がバカラやポーカーでの賭博をやっている事はこのあたりの連中ならみんな知っている。そんな店だから、他にも合法・非合法問わず、色んなモノを捌く中継場として売人やらブローカーやらも出入りするようになり、今じゃの奴らのギルドみたいになっちまっている。あの店で暴れて、その程度のケガで済んだってのは、ハッキリ言ってオメエを相手にしてなかったからなんだぞ」

 その言葉にアキは思わず唾を飲み込んだ。つまり次乗り込んで、また騒ぎを起こせばタダでは済まないという事なのだろう。怖さはある。だが、それでもアキの決心は変わらなかった。


「それでも自分はあの男を追いかけなければなりません」

「男? 」

「はい。バハムート・ワイルドを吸っている金髪の男です」

 店主である藤川さんの顔に一瞬影が差した。


「なぜ、そこまでして追うんだ? 」

「理由は言えません」

 明らかな犯罪行為に人を巻き込むわけにはいかない。アキの返答が即答であった為か、藤川さんが睨むような視線を送って来た。


「お前の言う『男』って、もしかして背の高い、金髪ロン毛の優男やさおとこか?」

「はい」

 その人物を知っているという事なのだろう。藤川さんはカウンターに肘をついて大きく息をついた。


「やっぱりか…… 」

「藤川さん、知っているんですねあの男の事」

 詰め寄るアキに対し、自身を落ち着かせる為なのか藤川さんはサイフォンでコーヒーを入れ始めた。


「知ってるよ。なにせ、オレがこの通りを訪れる連中の中で一番キライな男だからな」

「もしかして、パパが私に『絶対に関わるな。目も合わせるな。話し掛けられたら全力ダッシュで近くの家に逃げ込め』って言ってた人? 」

 小慣れた様子の千夜子さんはカウンターで父親の隣りに立ち、コーヒーカップを並べ始めた。


「ああ。いい機会だからチャコにも話しておく。アイツは…… カジ優雄ユリオは、金に汚く、人を騙す事や傷つける事を屁とも思っていない最低最悪の男だ」

「そんな男、この通りにはゴロゴロしてるじゃない」

 父の言葉に対し娘はあっけらかんと答えつつ、コーヒーを入れたカップを二つ持つとアキの隣に腰を降ろした。軽く首をかしげ、カップを差し出したのは『飲んで』という意味なのだろう。アキは素直に頷き、カップを受け取る。


「質が違うんだよ。この通りを訪れるゴロツキは悪さはしても、そのどこかに良心の欠片かけらや思いやりってのが、必ず残っている」

「その口ぶりだと、カジ優雄ユリオって人には良心の欠片も残ってないように聞えるケド」

 コーヒーが熱いのか、千夜子さんはカップに何度も息を吹きかけていた。


「‥‥‥ ねえんだよ」

 藤川さんの短い言葉がアキの背中に鳥肌を走らせる。


「チャコの言う通り、アイツにはねえんだよ。良心や思いやりってモンが…… 普通、酒を持ってくるのが少し遅くなっただけで、店員を2階の窓から蹴り落としたりするか? 道を歩いてる時、クラクション鳴らされだけで『カチンときた』とか喚きながら、飯場はんばからダンプかっぱらって、相手の車追いかけまわしたりとか…… あと、自分の事を好いてくれる女性に毎月ン十万と貢がせておきながら、自身は働きもせず遊び惚けて、その女性の事を『オレのATM』呼ばわりしたり、そんなエピソードばかりなんだよアイツは」

「最低最悪じゃない、そんな男。今の話、マジなの? 」

 そんな人間の存在自体が信じられない。千夜子さんはそんな口ぶりだった。


「マジだよ。何も考えていないし、何も感じていない。そんなヤツなんだよ。梶優雄は」

 短絡的な凶悪さ。ある意味一番、たちが悪い。アキの脳裏に昨晩、梶優雄が見せた道化師のような笑顔が蘇る。


 ――― 急がないといけない。


「ごちそうさまでした…… 藤川さん、その梶優雄とかいう人の家って分かりますか? 」

 アキはコーヒーを一気に飲み干すと、カップをカウンターに置きそう尋ねた。


「今までの話、聞いてなかったのか? 」

「聞いていました。梶優雄が短絡的で暴力衝動の塊のような人だって…… だからこそ自分は急がないといけないんです」

 首筋の感覚は不思議な事にハナの心身が穏やかな状況に置かれている事を告げていた。だが、話に聞くような男が側にいるのであれば、一刻も早く助け出せねばならない。アキは真っ直ぐに藤川さんを見つめた。


「お前、あれだけボコボコにされて、怖くないのか? 」

 険しい藤川さんの視線。

「怖いです‥‥‥ でも、自分は亡くなった父から『自分の背に護りたいモノがあるのなら、その時は腹を括って全力で戦え』と教わりました」

 隣に座る千夜子さんが小さく息を飲むのが見えた。


「逃げないって言いたいのか? その根性は認めるが、今度は腕くらい持っていかれるかも知れねーんだぞ! 」

「足が残っています」

「足もヤられたらどうする? 」

「歯で噛みついてでも立ち向かいます」

 アキがそう答えると藤川さんは大きく息をつく。


「俺がヤツの居場所を話さなかったらどうするつもりだ? 」

「知っていそうな人がいる、『ノアール・パートⅡ』に乗り込むだけです」

 アキは藤川さんを見つめ思ったままを口にする。


「ったく、それはオレに対する脅しかよ」

 そう答えた藤川さんは、静かに笑うと何故か腕時計に目を落とした。


「このまま西へ3キロほど行って、川を越えると『彷徨える人形』って大きな屋根を持つコーヒー豆の輸入会社兼喫茶店がある。奴はそのそばのマンションに住む『菊川美愛きくかわみあ』って女の部屋をねぐらにしている」


「お父さん、何を教えてるのよ! この子、本当に行っちゃうわよ! 」

 千夜子さんが顔を真っ赤にして父親に抗議をし始めた。


 藤川さんの言葉は続いた。


「梶は基本、夜行性で昼間は家で寝ている。だが、今日の様に競馬が行われる日だけは別だ。競馬のノミ行為にも手を染めている関係で、ヤツはその支払いだの集金だので、昼間もほとんど家にいないらしい。アイツから何かを取り戻したいなら、アイツのいない時間に『菊川美愛きくかわみあ』って女性を訪ねるのが得策だ。あの人はお嬢で、少し浮世離れした所はあるが、にこやかで誰にでも優しく接するタイプだ。そして、不思議な事に梶も彼女美愛だけには手をあげないらしい」

 話を聞く限り、梶という男はハナを連れて外をうろつくような男には思えない。もしそうだとすれば、大きなチャンスだ。


「お父さん、梶ってヤローはまだしも、菊川美愛きくかわみあって女についても詳し過ぎない? この子をけしけた事と一緒にママに言いつけてやるから! 」

 許せないという表情を浮かべている千夜子さんの言う通り、アキも詳細を知り過ぎていると感じていた。


「今までの話は全て、千鶴から聞いたものなんだよ」

「えっ、ママから? 」

 父親の返答に対し驚きの表情を浮かべる千夜子さん。情報ソースは藤川家の母という事なのだろう。


「千鶴とオレ、それに梶は学部は違うが同じ大学だったんだよ。今の話も女のネットワークで千鶴が人づてに聞いた話だ。そしてオレらのひとつ上の学年にいたのが‥‥‥ 」

「まさか、その菊川って女の人? 」

「ああ」

 藤川さんは娘に向かい頷くとアキに視線を向けて来た。


「女の噂話は尾ひれは付くが、根っこの部分に間違いはない。つまり梶が菊川美愛の所に転がり込んでいるのは確かって事だ」

 ある程度信用できる情報である事は分かった。あとはマンションの近くまで行けば首筋の感覚がハナまで導いてくれるはずだ。梶がいるかいないかは五分五分と言った所だろう。アキはお辞儀をするとポケットから、自分の財布を取り出し、五百円玉をカウンターに置いた。


「行くつもりなんだな」

「はい。梶ってやつが地の果てにいようとも、自分は追いかけます」

「何なら力を貸すぜ? 」

 店主・藤川保の短い言葉。


「ありがとうございます。でも…… いえ、上手く言えないんですが、人に頼んで良い事では無い気がするんです」

 一瞬、この親子になら話しても良いんでは、頼ってもいいのではないか? そんな思いも浮かんだが、短絡的な悪党と同級生が絡む事となれば、行きつく先は良いものではないのは目に見えている。


 アキは顔を上げると藤川親子と視線を合わした。


「アメリカンコーヒーって、初めて飲みましたけど美味しんですね。またご馳走になりに来ます」

 アキは笑顔でそう告げると、もう一度深く頭を下げ店の外へと飛び出した。



「アイツが飲んだのキリマンジャロなんだけどな…… 舌はひでぇモンだが、男っぷりはかなりのモンだ…… チャコ、結構タイプだろ? 」

「不器用で素直、そして背筋が通った男っぽさがある。そのうえ身体で締まっていて、顔は精悍そのもの‥‥‥ もう、どストライクよ。しかも、あれでまだ中学二年生でしょ? これからもっとカッコ良くなるわ。断言できる」

「もうちょいアピールしても良かったんじゃねえか?」

「無駄よ。あの子は既に誰かの事を見つめていた。あの手の子は一途だから私の入り込む余地なんて残されていないわ」

 藤川さんはその言葉に対して何も答えず、父親特有の苦笑いをみせるとスマホを操作し、どこかへ連絡をし始めた。


「保だけど、信治のぶはるか? ―――――― 」

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