第06話 朗人、姉の影を追う

 八畳間に勉強机と本棚、それにダンベルとセラバンドと呼ばれるゴムチューブが何本か転がっているだけ。それが朗人アキの部屋だった。

 タオルや着替え、水筒などの必要最低限のモノを愛用のリュックに次々と押し込む。無論それらは明日からの塾の合宿に参加するための準備ではなかった。


「こんなモンだな」

 朗人アキは荷物を詰め終わったリュックをひとつ叩くと、机の上にあるメモ帳に走り書きを残す。今日の家の中はバタバタしている。タイミングさえ間違えなければ、家を出てもしばらくは誰も気づきはしないだろう。


 ――― 待ってろよ! ハナ。


 逸る気持ちを抑える為、アキは勉強机と対になっている椅子に腰かけ、ひとつ深呼吸をする。

 ハナが無事である事、それには確信があった。そして、現在ハナが受けている心身のストレスが小さい事も。双子の姉弟として生活してきた十四年間、ハナがその心身に大きなストレスを受けた時、アキはそれを必ず感じ取る事が出来た。今、首筋に感じる熱の具合は薄く、ハナが攫われた直後に感じた頭の奥の方まで響いてくるイヤな感覚も無い。


「ハナは俺が必ず見つけるよ。父さん、母さん」

 机の上に飾られている家族四人での集合写真。それはハナがカメラと目線が合っていないが、アキが一番気に入っている写真でもあった。

 身体を起こしたアキがそれに向かい決意にも近い独り言を洩らした時、部屋をノックする音がひとつ。


「朗人くん。神奈川県警の阿部と言う者だけど、少し話を聞かせて貰えないかな? 」

 あの一番若い刑事の声だ。そう思ったアキは、机の上に置いておいたメモを引き出しへと隠す。


「どうぞ」

 ドアを開けるとやはりそこに立っていたのはあの若い刑事。年齢的には二十代中盤に見える。


「ありがとう。それじゃ失礼するよ。ヘぇ〜 さっぱりとしたいい部屋だね」

 無駄なモノをおかないのが信条と言う訳では無かった。ただ、祖父の家を自分の家のように扱う事に抵抗がある。ただそれだけだった。


「ボクの部屋なんて、ごちゃごちゃしていて汚くてね。遊びに来る妹たちによく怒られるんだ。『もう三十過ぎなんだから整理整頓くらいしなさい』ってね」

「三十過ぎ⁉ 」

「そう、ボクは今年三十三歳だよ。若く見えるかい? 」

 そう笑う阿部刑事の視線が床へと動く。


「おっ、ダンベルかぁ。鍛えてるんだね…… むっ、結構、重いな」

「三キロですから軽い方です。低負荷高回数の方が自分くらい年齢の人間には良いそうです」

 足元に転がっていたダンベルを持ち上げながらの阿部刑事の感想に朗人はそう返す。


「詳しいねぇ。その身体はトレーニングの賜物って訳か…… 」

「聞きたい事があるから、自分の部屋に来たんじゃないんですか? 」

 距離を近づけようとしている。もっと言えば、ハナの事が聞きたいのだろう。


「バレバレか。実はボクが一番若いって理由でキミの相手に選ばれた。それにボク自身もキミとは縁を感じているんだ。だから力になりたい」

 含みのある言いかたが気になったが、話しておくほうがハナが見つかる可能性が高くなるのは間違いないだろう。そう考えた朗人は息をひとつだけつく。


「キミなら協力してくれると思ったよ」

 こちらの呼吸の間隙を狙って出して来たその笑顔と合いの手に朗人は目の前の男性のしたたかさを見た気がした。


「実はさっきのキミの話なんだけど、ボク個人としては興味深かった。と言うより共感できるんだ」

「どういう意味ですか? 」

 再びの含みのある言葉に朗人は言葉を挟む。


「ボクにはがいるって言ったと思うんだけど、覚えてるかい? 」

 まさか。そんな言葉を呑み込み、朗人は目の前で笑顔を見せる刑事の目を見つめる。

「今、キミの思っている通りさ。ボクの妹たちは双子なんだ。だから、さっき君が話してくれた事に近い内容をボクはよく妹たちから聞かされているし、実際に不思議な現象も目撃している。だからボク個人としてはキミの話が信じられるんだ」

 ネットなどでも見かける双子の不思議。身内に双子がいるのであれば経験があったとしても不思議ではない。


「少しはボクの事を信用もしてくれたかな? 」

 驚きの表情を浮かべた朗人に笑顔を向けて来る阿部刑事。その間の上手さは警察官特有のものではなく、この柔和な笑顔を浮かべる人物の人柄なのだろう。


 話しておくべきだ。

 そう考えた朗人はゆっくりと口を開いた。


「さっきも話しましたが、ハナは今それほど離れていない所に無事にいます。怪我とかもしていません。おそらくは誰かに攫われて寝むらされている状態です。裏を返して言えば、相手はハナが自閉症でどんな症状なのかも知っていたんだと思います」

 朗人は結論から伝えた。阿部刑事の目が厳しいモノに変わる。


「君は計画的な犯行であると言いたいんだね。それで、その論拠は? 」


「ハナは予定外の事が起きるとパニックになり、大きな声で泣きだします。それは一般の人では驚く程の声の大きさです。僕らがまだ小学校低学年の時なんて、あまりにも泣き声が大きくて、親が虐待をしていると勘違いされ、パトカーが来た事すらあります」

 英子の特徴のひとつでもある環境の変化に対する弱さ。泣く事で目の前にある不安というストレスを訴え、和らげる。だから泣いた時には泣く事を止めさせるのではなく、泣きむまで根気強く待たなければならない。これらは自閉症についてネットで調べれば直ぐに出てくる内容だ。


「お姉さんは、パニックになると驚くほど大きな声で泣いてしまう。だから騒がれぬように寝むらせたとキミは思っているんだね」

「はい」

 阿部刑事の言葉に朗人はハッキリと頷いて見せる。


「身体に害なく、しかも近隣となると身代金目的の誘拐の可能性が高くなってくるな」 

 メモを取りながら独り言を洩らす阿部刑事。その言葉はどこか芝居掛かっていたが、朗人もそれは間違いないだろうと踏んでいた。

 資産家で政治家の祖父、相良洋一郎さがらよういちろうの孫を狙う。まるで古臭いミステリー小説だがすべてがしっくりと嵌る。


「僕もひとつ聞いていいですか?」

「何だい? 答えられる範囲の事は答えるよ」

 何でも聞いてくれとでもいうような優し気な表情は浮かべているが、線をキッチリ引かれてしまった。捜査故、話せない事もあるのだろう。


「自分が踏みつぶしてしまった煙草について何か分かりましたか? 」

「今回の件にあの煙草が関係があるかは、まだ分からないよ。煙草の投げ捨ては残念だけど珍しい事では無いからね」

 一方通行のあの道は県道から国道への抜け道だ。そのため多少狭いが車通りもそれなりにあるうえ、川沿いという事もあり散歩などにも好んで使う人も多い。煙草を投げ捨てた人間を特定する事など、容易に出来るものでは無いだろう。


「せめて、あの煙草はなんて言う銘柄なのかを教えて貰えませんか? 」

 朗人の言葉に阿部刑事は左の眉尻をあげた。


「隠した所で今はネットがあるからなぁ。あの匂いは特徴的だし、調べればすぐに分かっちゃうか‥‥‥ まだ解析中なんだけど、多分『バハムート』だね。欧州では昔から人気のある銘柄だよ。臭いの強い煙草だけど日本でも好きな人はそこそこいるんじゃないかな? ボクも大学生の時に一度吸った事があるんだけど、その名の通り口から火を噴きたくなるほどの辛さだったよ」

 父を殺し、自分とハナを窮地に追い込んだ火災の原因である煙草。そんなモノの存在など憎しみの対象でしかなかったアキは、その味を面白げに語る阿部刑事に軽い怒りを覚えた。


 部屋の外からは刑事たちが機材の確認をしているのか、バタバタと忙しく歩き回る音が聞こえていた。その大きな音はおそらく母の部屋にも届いているだろう。


 ―――、母さんのストレスが増える


 朗人は小さくため息をついた。


「…… 机の上の写真、いい写真だね」

「えっ⁉ あっ、ありがとうございます」

 母の事を考えていた為、ふいに掛けられた声への反応が少し遅れる。


「キミとお姉さんとお母さん。それにお父さん …… この方が伊多巌いだいわお消防士長、いや消防司令…… キミのお父さんか」

 殉職での2階級特進を知っているのは、警察官であると同時にを知っていると言う事なのだろう。朗人は声を出すことなく頷く。


 ――― オリオンモール大火災

 四年前、両親の結婚記念日のプレゼントを買う為に訪れたオリオンモールでハナとアキも遭遇した大火災。そして、その時に自分たちや他の要救助者を助けるために出場した父の命を奪った災厄。

 禁煙エリアで複数人が煙草を吸い、それをゴミ捨て場に投げ捨てたのが原因との事だが、詳細は未だ分かっていない事件。


「少し失礼するね」

 そう朗人に声を掛けてると阿部刑事は姿勢を正し、額に右手を鋭角に添えた。

 敬礼。

 自衛官や警察官、そして消防士が行う挨拶であり、同時に相手に対し敬意を示す行為。


「ありきたりな言葉で失礼かもしれないが、キミのお父さんは我々警察官の間でも伝説的な方だ。憧れている人間だって少なくはない。ボクもその一人だ」

 敬礼を解いだ阿部刑事は写真を見たままそう呟く。朗人の脳裏にあの日の燃盛る炎と煙、そして父の後ろ姿が蘇る。


「あの火災とキミのお父さんの事をこの街に住む人間は決して忘れてはならない」

「‥‥‥ 煙草を捨てた人物はまだ見つかっていないんですか? 」

「いくつか証言は出ているけど、情報が錯綜していてね。決定的なモノとなると…… 不甲斐なくて申し訳ない」

 眉に厳しさを宿らせた阿部刑事はすまなそうに頭を下げた。


「いえ、自分やハナも情報を錯綜させた者のひとりですから」

 大火災ののち、その日オリオンモールを訪れた者を対象に行われた事情聴衆。アキはそこで記憶にある限りの全ての人物の特徴を告げ、警察を困らせ、ハナは『きれいな人』と主張し続けていたが、持っている障碍の事が知れると警察官が相手すらしなくなっていた。


「今回の件を起こした人物はもちろんだが、あの火災を起こした人物もボクは許すことが出来ない。これでもボクは小さい頃、正義の味方に憧れたクチなんだ……何か思い出したりした事があったら警察に電話をしてくれ」

 阿部刑事はそう言い残すと、静かに部屋を後にした。


 朗人はその家族四人が揃った写真をしばらく眺めた後、引出しに隠したメモを再び机の上に置くと、リュックを背負い静かに家を出た。


 ――― ハナを必ず救い出す。そう決意して。

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