朝練![1/2]
火曜日にあった体育祭の種目決めでみゆきちゃんと私はめでたく二人三脚に出られることが決定しました。予想通り障害物競走は人気が出て、逆に二人三脚はすんなり決まったので、私流のじゃんけん必勝法を試す機会を失ってしまったのは、非常に残念でした(腕慣らしに由美ちゃんとしたらあっさり負けてしまいましたが、公式戦ではないのでノーカンです)。それとあと私はムカデ競争にも出ることになりました。由美ちゃん佳菜子ちゃんみゆきちゃんを含めた女子六人チームです。きっと体育祭後には私は人と歩幅を合わせる天才になっているでしょう。
「へーこだま、みゆきと二人三脚出るんだ」
「二人なら息ぴったりだから全米一位も狙えるね」
「いや、さすがにそれは狙わんでいい」
いつものように二人は菓子パンを頬張りながら言いました。
「うん。みゆきちゃんにペース合わせられるか不安だけど、全米一位目指して頑張るよ」
「……全米一位がそんな弱気でどうするのよ」
「みゆきりん短距離速いもんねえ。ペースを合わせるのは至難の技だねえ」
「いっそのことみゆきが担いで走れば? 二人三脚じゃなくなるけど」
「もう、お祭りじゃないんだから」
そう言いながらもみゆきちゃんは考えるモードに入りました。一体何を考えているのでしょう。
「二人は何に出るの?」
「え? こだまちん気になるの? しょうがないなあ。特別に教えてしんぜよう」
「……こいつは二百メートルとムカデとリレー。うちは百メートルとムカデとリレー」
「あ、由美なんでネタバレするのさ!」
「特別に教えることでもないからさ!」
「なんだよ! もう由美は千メートルムカデリレーにでも出とけよ!」
「何それ超楽しそう!」
なんだかんだ二人はとても仲良しです。そんな中みゆきちゃんが誰にも聞こえないような小さな声で「理性を保てるかしら」と言ったのはたぶん別の話でしょう。
――そして時は流れ……
というほど流れてはいません。次の日、体育祭の朝練をするというので、私はいつもより三十分早く電車に乗りました。三十分も違うと、電車に乗る人も、景色も、違う世界みたいです。人の数はいつもより少し多く、四両編成の電車は密度が高くなっています。でも電車は重くなったからといって、いつもより遅く走るかといえばもちろんそういうことはなく、普段通りのスピードで私たちを運んでいきます。その安定感はさすがというところです。
私は電車に乗っている時は、ドアの脇に立って外の景色を見ることにしています。座席に座れることができるなら本を読みたいのですが、まず座れないですし、座れたとしても乗り物酔いをしてしまうので、結局外の景色を見ることになります。電車から見る景色というものは毎日見ていても、あまり飽きることはありません。建物、車、人が左から右に流れていき、景観が少しずつ移り変わっていきます。初めは市街地だったのが、次第に住宅地になっていき、田園になり、川を渡って、最終的にはまた市街地になります。この車窓の一つ一つを先代の方々と広大な自然が作り上げてきたと思うと、私はどこにも足を向けて寝られないでしょう。それほど雄大なビジュアルなのです。人類の叡智が詰まった、芸術作品なのです。
私がその芸術作品に惚れ惚れとしていると、「まもなく亀池~亀池です」というアナウンスが聞こえてきました。
電車は「まもなく」と言ってから、五十秒ほどで亀池駅に着きました。間も無く。もし五十秒は無いものとして扱われているなら不憫です。例えば五十秒あったら、数学のテストの見直しで計算ミスを見つけることができます。見つけることは、できます。これを消して書き直そうか? いやいや間に合わないだろう、このまま出して部分点をもらおう。何いってるの、間違いを見つけたのに直さないのはもったいないでしょ(以下エンドレス)という葛藤が起きて、結局テスト終了のチャイムが鳴ります。私にとって五十秒というのはそういう時間です。あるに越したことはないが、あって何かができるわけではない。みゆきちゃんみたいに頭の回転が早ければ違うのかもしれませんが。
人の流れに流されるようにして、駅の南口まで来ました。今日は制服の下に体操服を着ているので、歩くと変な感じがしたのですが、歩いているうちに慣れてしまいました。
空を見上げると、雲が多めであることがわかりました。空全体の六、七割くらいを占めているでしょうか。あまり上ばかり見ると首を痛めそうなので、ほどほどにしておきます。みゆきちゃんはもう学校にいるでしょうか。私は早足で学校に向かいました。
西門を通ると、体操服を着た男子数人が昇降口から駆け出していくのが見えました。昇降口は二つあって、一年生の昇降口は中庭を抜けた所にあるので、あの男子は二年生か三年生でしょう。三年生は受験があるから、朝練の参加には消極的かといえば必ずしもそうではなく、最後の体育祭に燃える人も多いです。先生方も「体育祭が盛り上がる学年は進路実績もいい」とか言って、むしろ参加を奨励しています。適度な運動は勉強にも良い影響を与えるのかもしれません。
下駄箱に入ると何人かの人が外に出ようとしているところでした。私と同じ七組の生徒もいたので、私は軽く挨拶をしてからスリッパを履きます。みゆきちゃんの下駄箱を見ると、黒い革靴があって、体育用の白い靴がなかったので、もうグラウンドに出ているのでしょう。とにかく私もすぐに着替えて練習に合流しなければいけません。
グラウンドに出ると結構な人数が朝練をしていました。走り幅跳びや棒高跳びといったものからムカデ競争やリレー、大縄跳びをしているクラスもあります。みなさん朝早くから気合を入れて練習に取り組んでいるようです。
しかしこれだけ人数がいるとみゆきちゃんを見つけるのも大変そうです。「ウォー○ーを探せ」ほどではないですが、「初めて入る大きな本屋さんで、好きな小説が置いてある場所を探す」くらいには難しいかもしれません。まあそれを探している時間は、結構楽しいわけで。私は持ち前のキョロキョロスキルを発揮して、ザクザクと音を立てながらグラウンドを歩きます。
グラウンドの土は明るい茶色をしていて、少なくとも柔らかくはないので、転ぶとたいそう痛いだろうことは容易に想像できます。しかし想像ができても、それを避けられるかどうかは別問題なのです。転ぶ時は転ぶし、痛い時は痛いのです。痛いだろうなとわかっていながら転ぶというのはどのような気持ちなのだろうと、私は地面と、週末買ってもらった新しいスニーカーを見ながら思いました。
スニーカーは白がベースでピンクと水色のラインが入っています。これはお母さんに「体育祭があるから新しい靴が欲しい」と言って買ってもらったものです。彼女は私が体育祭を楽しみにしていることに驚き、喜んで私の買い物に付き合ってくれました。(二週間前の私は大変落ち込んでおりましたのでお母さんにはとても心配をかけました。本当になんと言えば良いのかわかりませんが、私にできることは元気に学校に行くことくらいでしょう)この靴は体育の時専用にする予定です。そうすれば憂鬱な体育も少しは楽しみになるのかもしれません。
さて、ミッション「みゆきちゃんを探せ」なわけですが。
私は見覚えのある人影を発見しました。彼女は見るからに元気そうな様子でトラックの少し内側に立っています。胸のあたりに「東野」と書いてあるのを見て、私は近づきました。
「おはよう、佳菜子ちゃん」
「お、こだまちんおはよう。今日は早いねえ」
「佳菜子ちゃんの方が早いでしょ」
「え、うちそんなに速い?」
「うん。速いよ。日本一だよ」
「いやあ、朝からそんなに褒められるとは、早起きもいいものですなあ」
佳菜子ちゃんはけらけら笑いました。
「今、何やってるの?」
「何やってると思う?」
「……えっと、誰かを待ってる?」
佳菜子ちゃんはにこにこして言いました。
「うん。正解。ほら、さえっち来た」
佳菜子ちゃんが指差す先を見ると、紗枝ちゃんが優子ちゃんに、バトンを渡しているのが見えました。
「今はリレーの練習してんの。八時までは個人種目の練習で、八時から十分間は大縄跳びやるらしいよ。……これは特別な筋から聞いた話なんだけど」
「佳菜子ちゃんは情報通だねえ。ってことはみゆきちゃんはもう来てる?」
「みゆきりんなら向こう側にいるよ。リレー終わったらこだまちんと二人三脚するって張り切ってた。やっぱり体育祭に情熱を燃やす学級委員は貴重だねえ」
「確かにね。……セカンドもできる外野手みたいだね」
「ぷ。こだまちんわかってるじゃん」
彼女は笑いながらそう言うと「またあとで」と言ってコースに入っていきました。
しばらくすると、由美ちゃんがものすごいスピードで走ってくるのが見えました。見えた、と思った次の瞬間にはバトンが綺麗に渡されていて、由美ちゃんは息を切らしながらコースの内側に入ります。
「由美ちゃん、お疲れ様」
「お、こだま。いい、ところに」
彼女は息を切らしながら言うと、私の両肩をつかみました。
「はあ、はあ。……どさくさに紛れて、肩掴んでるけど、いい?」
「いいよ。私の肩が役に立てたなら光栄だよ。ボール投げの時はあまり活躍できなかったから、肩も喜んでると思うよ」
「そりゃあよかった」
彼女の息は比較的すぐに整い、顔をあげました。
「由美ちゃん、全力疾走だったね」
「もちろん。授業の体力は残さないつもりだからね」
「……また授業中爆睡するの?」
寝れる授業だけね、と彼女は笑いながら言いました。由美ちゃんと佳菜子ちゃんは居眠りの常習犯で、先生も注意するのを半ば諦めているほどです。
「リレーはもうすぐ終わるよ。佳菜子の次がアンカーだから。ちなみにアンカーはみゆきに決まりました」
「え、そうなの?」
「うん。なんかやる気いっぱいでねえ。最近自主的に走ってるから是非やらせてくれって言われて。メドレーリレーのアンカーって結構距離あってきついと思うんだけど」
「みゆきちゃんすごい気合い入ってるね」
「うん。変に気合い入れすぎて怪我しなきゃいいけど」
と言いますがそれは私にとっては笑えない冗談です。
「みゆきちゃん、大丈夫かな……。二人三脚もあるのに……」
「大丈夫だって! そんな深刻な顔しなくても」
「……私ね、何もないところでも転べるんだよ。転びすぎて、コロンビアって感じなんだよ」
「ちょっと何言ってるかわからないけど、みゆきと一緒ならただでは転ばないから大丈夫だよ」
「でも怪我させちゃったら他のリレーメンバーにも迷惑かけちゃうし……。ちなみにコロンビアの首都はボゴタだし……」
「もし怪我しちゃったらおば佳菜子が走るでしょ。てか地理とか懐かしいねー。首都とか覚えさせられたっけ」
「由美ちゃんにとって地理は懐かしいものなんだ……」
「一応、存在は知ってる」
「何それ。ふふ」
あっけらかんと由美ちゃんが言います。昨日も地理の授業があったのに、そのことは忘れてしまったのでしょうか。
「あ、終わったっぽい」
メドレーリレーの練習が終わったのを見て、由美ちゃんは「紗枝も向こう行くよ」と言って走っていきました。
「紗枝ちゃんも朝から大変だねえ」
「ほんとだよ。いつもならまだ寝てる時間だし」
「え。それで間に合うの。羨ましい」
「家近いからね。……南山さんは家遠いの?」
「ふふ。私のことは名前呼びでいいよ。家はちょっと遠いかな。電車通学だし」
「……そうなんだ」
グラウンドの真ん中あたりに、リレーメンバーが集まっていました。みんな元気そうで雰囲気もいい感じに見えます。
「それじゃあ皆さんお疲れ様でした。八時から大縄跳びがあるのでそれまでは各自個人種目の練習をしてください。それとあとは……みゆきりん何かある?」
みゆきちゃんは話を振られるとは思わなかったのか、一瞬驚いた顔になりましたが、すぐにいつものきりりとした表情になりました。
「今日は朝早くから練習に参加してくれてありがとう。この後も怪我をしないよう、気をつけて練習してください。あとくれぐれも、授業中爆睡することがないように。以上です」
居眠り常習犯の二人は口笛を吹いてごまかしていました。
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