第12話
いつも通りの朝を迎え、私は学校に向かった。日光が、初めはとても眩しかったのだが、それにも慣れてきた。体調はなぜかとても良かった。けれど学校に近づくたびに、その足取りは重くなった。どこかにこだまがいるかもしれない、そんな不安が頭を渦巻き、鼓動が早くなった。反対に歩調は徐々に遅くなる。陽の光に熱せられながら、私はとぼとぼと歩いた。それでも、前に進んでいる限り学校には着くのだった。
正門を抜け、昇降口に入り下駄箱を見ると、胸が締め付けられるような思いがした。階段を上ると、廊下を歩くと、不安になった。私はここにいてはいけないという非難の声が聞こえる。その声に耐えながら、私は教室の前まで来た。私は入ることをためらった。逃げ出したかった。冷や汗をかきながら意を決して歩を進める。中にはもうこだまはいるだろう。目を合わせないようにして、自分の席に向かう。周りから好奇の目線が突き刺さっているような錯覚を覚えた。教室にいる人が知らない世界の人のように思えた。それでも、自分の席を見つけると、少しほっとした。私がいない間にも、机と椅子は私の居場所を守ってくれていた。
席につくと、教室の喧騒がやけに耳についた。それは些細な安心感すら無に帰し、代わりに大きな憂いを私に押し付けた。授業が始まるまで、まだ時間がある。その間、ひょっとするとこれからずっとこの不安がなくなることがない気がして、戦慄を覚えた。
その時私は誰かの気配を感じた。誰かが近づいてくる。一歩、二歩、後ろから前へ。誰かはそこで止まった。私は恐る恐る顔を上げると、隣に一人の少女が立っているのがわかった。華奢な身体に控えめに膨らんだ胸。そして優しく微笑みながら黒髪を揺らす彼女は、夢にまで見たこだまそのものだった。
「みゆきちゃん。もう熱は大丈夫?」
思いがけない言葉に私は固まるほかなかった。
「あの日、水曜日、みゆきちゃんの様子、ちょっとおかしかったから…。だから、ちょっとふらふらしちゃったんだよね。そうでしょ?」
頬をほんのり赤く染めながら言うこだまは、私に肯定を求めているようだった。私は少し切なくなった。言葉を発せないでいると、彼女は継ぎ足すように言葉を続ける。
「あ、もしかして覚えてないのかな。それならそれでいいや。とにかく、私は全然気にしてないから、ね」
言い終わると彼女は微笑んでから踵を返し、セミロングの黒髪をふんわりと揺らしながら席に戻っていった。
私はしばらく呆然としていた。彼女の言ったことを整理するのに時間が必要だった。
――彼女は私を庇おうとしている。
あのキスを、熱のせいにして、私は悪くないと言っている。そして、全然気にしていないとも。気にしていないはずがなかった。だって、私が席につくとすぐにやって来たのだから。本当は顔をあわせるのも嫌だったかもしれない。それでも、彼女は来てくれた。
だがそれは、少し酷だとも思う。
私は彼女の与える罰なら、なんでも受け入れる覚悟でここにきた。私のした罪を一生背負っていく覚悟でここにきた。でも彼女が与えてくれたのは優しさだった。それはまるで囚人を温かいトーストとコーヒーで迎えるようなものだった。ある意味その仕打ちの方が心にくる。
はあ、と安堵のため息とともに、涙が頬を伝った。
それはひとまずはこだまとの関係が切られることがないことが予感できたからかもしれない。私は根底ではやはり、彼女と離れることを恐れていたのかもしれない。彼女に切り捨てられる覚悟なんて、最初からなかったのかもしれない。
私は安心した。そして同時に、確固としたわだかまりが、心の中にあることにも気がついた。一方では燃えるように熱く、一方では氷のように冷たい。その両方が凝縮してできたそれは、熱が下がってもなお、私の中に残っていた。
危険な恋心だった。そのことを私は冷静に自覚した。
チャイムが鳴ると、古典の先生が勢いよく入ってきた。
放課後、私たちはいつも通り一緒に帰った。休み明けということもあって、こだまは話したいことがたくさんあったらしく、忙しそうに話すのを、私は相槌を打ちながら聞いていた。
「でね、その時熊谷先生が…」
こだまの声が小さくなったことで、昇降口に着いたことに気がついた。
話を再開しようとするこだまより先に、口が動いていた。
「ごめんなさい」
こだまの動きが止まった。まるでそのことに触れるのを避けていたかのように、しまったという顔を一瞬浮かべた。私のかすれるような小さな声を、彼女はちゃんと聞き取っていた。
「いいって」
どこか遠くを見るように彼女は言うと、それをかき消すようにさっきの話の続きをした。そしていつも通り、帰り際に手を振ってくれた。
帰り道は今日の朝のことが嘘のように穏やかだった。
だがその穏やかさは少し、残酷だった。
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