第百七話 普通の兄弟



 俺には物心ついた時から、ある疑問があった。


 母親の身分に大した差など無い。

 俺自身が、兄に劣っているというつもりもない。

 だが、たかが数か月先に生まれたというだけで、兄は全てを持っていた。

 

 王位継承権一位という圧倒的なブランド。

 それ一つで、どうしてここまで差がつくのだろう。



 俺に近づく人間は、第一王子の側近争いに負けた落伍者だけだ。

 誰もが皆、仕方がないから二番手の俺を担ぐ。

 そんな意図を持っているように見えた。


 俺の能力を見て支持する人間もいるにはいたが。

 人間、裏で何を思っているのかなど分かったものではない。



 俺は、人間を信じられない。



 特に女は駄目だ。

 権力を夢見て甘言を囁き、俺を持ち上げた次の瞬間には、第一王子に取り入ろうとして俺をけなす。

 家の意向次第で、毎日意見を変えて擦り寄ってくる。

 そんな瞬間を何度も見てきた。


 何かにつけて、兄を持ち上げるために俺を貶す者が後を絶たず。

 そう言った人間ほど二枚舌を使い分けて、俺にも調子のいいことを言ってきた。


 そして、権力に目が眩んだ人間は、どこまでも残酷になる。

 事実は未だに闇の中だが、母の死は後宮の争いのせいだと。そんな話は嫌でも耳に入った。



 貴方こそが王に相応しい。

 母上の無念を。

 王になるために。

 兄を蹴落とすために。



 全て、聞き飽きた。



 実のところ、第一王子派閥が言う通り、長子に跡を継がせるべきだという意見には俺も賛成だったのだ。

 その方が後腐れも無ければ面倒も無い。子どもの頃は、本心からそう思っていた。



 ……しかし、十歳を迎えた辺りだったか。俺の考えにも変化があった。


 それまでは。俺とエールハルトは一定の距離を保ちながらも、互いに意識をしていたところがある。

 見方によっては、ライバルとも言えただろう。


 だが、ある日を境に、兄は俺の方を見向きもしなくなった。

 公爵家のリーゼロッテと、縁談を結んだ辺りからだと思う。


 戦いの最中だというのに、そんな昔の記憶が頭の隅をかすめていく。



「俺は、貴様だけには!」

「僕だって、負けるわけにはいかない!」



 打ち合ううちに互いの剣が砕け、俺たちは取っ組み合いになった。

 この距離では魔法を使うよりも、殴った方が早い。


 奴の顔面を殴り、反対に殴られ。

 もう武術だとか技術だとかは何もない、ただの殴り合いになった。


 そんな中でも、俺は過去を想い続ける。



 エールハルトが変わってからというもの、俺は以前にも増して孤独を感じるようになった。

 兄は未来に希望を持ち。明日を夢見て。前だけを向いて生きるようになったのだ。


 まるで、俺のことなど忘れてしまったかのように。


 俺は奴にとって、見るべき価値も無い。過去の存在になったのか。

 そう思わずにはいられなかった。



 父もそうだ。

 戦争に明け暮れて、気づけば妻に先立たれ。

 どう接していいか分からない、などと言って、息子の方を見向きもしなかった。


 幼いながらに父から気に入られようと、武芸に励んできた時期もある。

 だが、ひ弱な兄が鍛錬に目を向けて、己を鍛え始めてからというもの。父の興味は完全に兄に移った。

 ……なんだそれは。俺の努力は何だったのか。



「貴様と俺で! 何が違う!」

「違うさ、全く違う! 僕はお前みたいな独りよがりな人間じゃない!」



 誰も彼も、どうして俺の方を見ようとしない。

 そんな恨みの感情を載せて殴れば、奴は反論しながら殴り返してくる。



「僕はもう、何があっても彼女を幸せにすると決めたんだ!」

「愛の力で人が変わるだと! そんなものはまやかしだ!」



 甘言を囁く裏にはいつも打算がある。俺には無償の愛など信じられない。

 異性との愛だけではない。

 人生の中で、家族愛を感じる瞬間も無かったのだ。


 普通の家族のように、一家団欒で共に食事を取るような光景も。

 悩みを相談したり、困った時に助け合うような関係性も。

 喜びを分かち合い、苦難を分け合うような心温まる物語も。


 そんなもの、俺の人生には存在しなかった。


 もしかしたら兄も。父も。歩み寄ろうとしたことはあるのかもしれない。

 だが、周りは。状況はそれを許さなかった。

 否応なく派閥争いに巻き込まれ。心無い言葉で、行動で。傷つく限り傷ついた。


 どうして皆、俺に争いを求める。


 薄汚い権力への執着心。

 欲に塗れた視線も、派閥争いも。

 もうたくさんだ。



「俺を見ろ! 俺は、ここにいるんだ!」

「何を言って――」



 第二王子でもない。政争の駒でもない。

 俺という一人の人間を、どうして誰も見ようとしない。



 いや。アランは。奴だけは違った。

 立場や肩書などを気にしなかったのは、あいつくらいだろう。


 男爵だろうが王族だろうが、貴族は貴族などという訳の分からない考え方をする男だ。

 一定以上の身分があれば、誰も皆「お偉いさん」という乱暴な括りをしている。


 いつのことだったか。どのような男か興味があり、気まぐれに手紙を送ってみた。

 すると返ってきた返事は、「王宮近くの屋台で出している焼き鳥が美味い」などという、貴族が書いたものとは到底思えない内容だった。


 その後も何とはなしに手紙のやり取りを続けてみたが。

 無遠慮で、ずかずかと言いたいことを言い。

 貴族特有の長ったらしい挨拶など無視して、何でもない近況を記して寄越した。


 第二王子を相手に、普通の友人と同じように接する。

 奴も――俺の初めての友人も――兄の親友だ。


 愛情も友情も、名誉も地位も何もかも。俺に無いものは全部、兄が持っている。



「どうして貴様ばかりが持っている・・・・・。俺にないものばかり。俺が求めるものばかりを!」

「僕だって、望んで得たものばかりじゃない! 王位を期待されることなんて……正直重たいんだよ!」



 ほら見たことか。

 俺が手を伸ばしても、手が届くことは無い王位継承という権利も。この男はすぐに捨てられる。


 持っている物がたくさんあるからだ。

 彼なら、王位を捨てても人は寄ってくるだろう。


 それが腹立たしい。

 王位を望める地位にいるのなら、その責任を全うしろというのだ。

 いつまでも煮え切らない態度でいるから、王位継承争いが終わらない。



「それが第一王子の言うことか! ――火炎の槍ファイア・ランス!」

「ぐあっ!?」



 エールハルトの顔面を殴りつけた後、俺は隙を見て攻撃魔法を叩きつけた。


 至近距離への攻撃で俺にも熱の余波が来たし、先ほどの爆風と今の火炎で、もう体が満足に動かないほどのダメージを受けている。


 だが。これで終わりだ。


 王位を継ぐ気などはないが、決闘の賞品としてアランの身柄でも貰い受けようか。

 リーゼロッテを俺の物に、などと言えば政争の火種にもなるだろうが。いくら力があるとは言えアランは子爵。

 奴を配下にするだけなら許されるはずだ。



 他の物は全てくれてやる。

 望めば何でも手に入る立場にいるのだから、それでいいだろう。


 だが、たった一人。

 友人一人くらい俺が奪っても、文句は言わせない。

 アランは兄にとって初めての友人だが、それは俺にとっても同じことなのだから。



「……俺の、勝ちだ!」



 至近距離で炸裂したせいで、土埃は酷い。

 だが、間違いなく直撃した。もう立つことはできないだろう。

 愛がどうだと吠えてはみても、所詮はこの程度か。と、勝利の余韻よりも先に大言壮語への落胆が込み上げてくる。


 だが、もう終わったことだ。

 後は勝ち名乗りを上げるだけ。それでこの決闘は幕引きとなる。


 ――そのはずだった。



「アラン、もういいだろう。サージェス殿下の勝ちだ」

「いえ。まだです」

「…………何だと」



 クライン公爵が俺の勝ちだと言っているにも関わらず、アランは勝利の宣言をしなかった。

 奴まで、俺ではなく、兄との友情を選ぶのか――と思ったが。違う。

 アランは笑っていた。



「まだ終わっていません。アレで終わるような男なら……うちのお嬢様には付き合えませんよ」



 その言葉を言い終わるか、言い終わらないかというタイミングだ。

 土埃の中から、エールハルトが飛び出してきた。


 魔法も武器もない。

 ただ右手を振りかぶって、俺の方に向かってくる。

 奴の目には、もう俺以外の何も映っていない。



「初めてかもしれないな」



 こんなに、互いのことを見たのは。

 ここまで全力で、ぶつかったのは。


 俺も左手を振り上げようとしたが、先ほどの爆風のダメージはやはり大きかった。

 腕は上がらず、足も動かない。



「ははっ」



 意外と、楽しかったな。



 そんなことを思った直後、あごに衝撃が走る。

 ここまでやれば、もう立つ体力など残ってはいない。

 ……どうやら俺の負けのようだ。



「そこまで! 勝者、エールハルト殿下!」



 外野の歓声も、落胆の声も。どこか別世界のことのように思える。

 今はただ胸の内に、不思議な高揚感と、満足感が広がるばかりだ。

 暴れてすっきりした、といったところか。



 まあ、兄弟なら当たり前にやるのだろうが。

 俺と兄は取っ組み合いの喧嘩などしたことが無かった。

 こんなことは、これで最後かもしれないが。俺たちも最後の最後で、少しは普通の兄弟らしくなれたのかもしれない。


 戦っている最中には不満を爆発させた。

 だが、いざ終わってみれば清々しいものだ。


 勝ったかと思えば落胆し、負けたかと思えば清々しい気分になる。

 ……どうしてこんな感情を抱くのか、自分で自分の気持ちに理解が及ばない。

 今日の俺は、本当にどうかしているようだ。



 柄にもないことばかりを考えたが。

 まあ、長い人生。一日くらいはこんな日があってもいいだろう。


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