第九十四話 私の忠義(後編)



「貴様の価値など誰も認めなかった。そうだろう? 金食い虫の落ちこぼれよ。家族ですらお前と、お前の研究を疎ましく思っていたではないか!」

「そ……れは」

「クリストフ。お前はこの世界に恨みを抱いていたはずだ。思い出せ。貧しさと無能を蔑まれた……あの屈辱の日々を!」



 アーゼルシュミット伯爵家は領地経営が上手くいっておらず、下手な男爵家よりも経済基盤が弱かった。

 全く社交界に出ていない、一介の使用人だった頃の俺でも知っていたくらいだ。

 どんな扱いを受けていたのかは想像がつく。



 それに魔術とは、「魔法が使えない人でも魔法が使えるようになる」技術のことだ。クリスがそれを研究していたのは、自分が必要としていたからである。


 ……貴族なら使えて当然とも言える魔法を、クリスはほぼ使えない。

 「原作」でも魔道具の補助なしで発動できるのは、レベルを最大まで上げたとして中級魔法までだったはずだ。


 魔術師としては超一流だが、魔法使いとして見れば三流。

 今でこそ周囲の人間の価値観も変わっただろうが。以前までの彼が、周囲から落ちこぼれと見られていたのは間違いない。


 そんな過去を思い出したのか、醜悪な方のクリスが優勢になる。

 しかしそれでも、本来のクリスはすぐに気を取り戻した。



「確かに俺は、一向に報われないこの世界を、恨んでいた。憎んでもいた。だが、今は違う!」

「違うものかよ。一度根付いた恨みは、そう簡単に消えはしない! ……お前にも分かるはずだ、自身の持つ仄暗い感情が、私を呼んだのだとな!」



 クリスは愉快そうに顔を歪めてあざけり笑う。



「周りの人間は、貴様に利用価値があるからと、すり寄ってきているだけだろう? 力を失えば、いずれまた離れていく! そこにいる男だってそうだ。お前の力を利用しているに過ぎない! お前を搾取している存在だ!」



 そう言って、凶悪な顔をしている方のクリスが俺を指す。


 ……確かに、否定はできない。

 時には彼の研究を止めてまで、俺のために力を振るってもらっているのだ。

 俺はクリスの技術力をアテにして、利用するだけ利用している。それは事実だ。


 だが、クリスは。頭を振ってそれを否定する。



「利用されているだと? ……それがどうした。俺の力は全て、アラン様のために使うと決めたんだ!」

「愚かな奴め。その男は、口封じのために金を出しただけなのだぞ? 貴様が使えるようになったから、恩義を着せて縛っているだけだ!」



 あれがクリスの深層意識なのか、それともどこかで見ていた別人なのかは分からない。

 だが、発言の内容自体はその通りだと思う。


 だから俺には何も言えないのだが、しかしクリスは反論した。



「違う! アラン様は一度たりとも、俺に恩を着せたことなどない! いつだって、頼りにしていると――俺の力が必要だと、言ってくれたんだ!」

「何を言っているクリストフ。思い出せ。誰もがお前を見下し、不要な人間だと嘲笑あざわらった。心の奥底では皆、あの醜い感情を隠し持っているのだ! 変わろうとして、何も変えられなかったあの無力感を! あの絶望を忘れたか!」



 クリスと接点ができたのは入学後だ。

 俺は一番苦しかった時期の彼を知らないし、アーゼルシュミット伯爵家の事情も全く知らない。

 知らないところで、彼は想像以上に多くの重荷を背負っていたようだ。


 かける言葉が見当たらないでいたのだが――クリスは満足げに笑っていた。

 クリスは自分の胸元に手を置いて、独白するように言う。



「そう。アラン様はあの日々から救い出してくださった恩人だ。俺に希望の光を与えてくれた、唯一無二の人だ。……理由などどうでもいい、俺は――俺は救われた!」



 そして、俺の血で濡れた剣を逆手に持って。何かに抗うように振り上げた。

 何かを決意したように晴れやかな顔で、彼は自分に巣くう存在に向けて、堂々と宣言をする。



「頼ってもらえる。必要だと言われる毎に生まれる、この満ち足りた気持ちが。お前には永遠に分かるまい! 俺はこの人のためならば、命を捨てても構わないんだ! 見ていてください、アラン様。これが私の――忠義です!」



 ひと呼吸を置いてから、クリスは自分の身体――胸を、手にした刀で貫いた。



「貴様ッ! 何を――!?」

「アラン様を害そうと言うのなら。この場で、この身体ごと始末してくれる!」

「愚か者が! こうなれば貴様も用済みだ!」



 人の怨嗟えんさ怨念おんねんを象ったような邪悪な塊がクリスの全身から噴き出して、悪魔のような影を形成していく。

 それと同時に、クリスの身体は糸が切れた人形のように倒れ伏した。


 影はクリスを捨て置いて俺に向かい、取り囲むようにして迫ってくる。



「クリストフを殺した程度ではまだ甘い。……全てのイレギュラーの中心よ、貴様さえ殺せば数多あまたの人間が破滅する。それでこの世界は終わりだ!」



 何の目的があって、コイツがこんなことをしているのかは知らない。

 何が楽しくてやっているのかも知らない。


 知ったことか。こんな奴の思考回路など、想像するだけ無駄だ。


 考えるまでもない。

 今、俺がやることはたった一つ。



「……上等だ。やれるもんなら、やってみろや」



 それは。目の前にいる、ウォルターが崇める邪神とやらをブチのめすことだけだ。


 先ほど切り裂かれた左足の怪我も、骨折している両腕も。

 腹に穴が開いているのも、全身ズタボロなのも知ったことではない。

 乙女ゲーム絡みの発言は気になるが、それも今は置いておく。


 怒りで痛みを忘れているだけで、後で酷いことになるのだろうが――今重要なのは、目の前の不快な輩を消滅させて、クリスを助け出すこと。

 それ以外には無い。



「ほう。逃げないのか?」

「逃げねぇよ、このタコ。俺の部下兼友人を、こんな目に遭わせてくれたんだ。……キッチリと、落とし前をつけてもらうぞ」



 身体がボロボロでも魔力は回復しているのだ。

 満足に動けなくとも、魔法で攻撃することならできる。


 俺は即座に魔法を展開して、這い寄る影を迎撃したのだが。



火炎の槍ファイア・ランス! 火炎の槍ファイア・ラ――ぐっ!?」

「くははは! 貴様もつくづく運の無い男だなぁ!」



 入院中で装備を外しているので、装備品で抑え込んでいた俺の固有スキル【不運ハードラック】が発動したようだ。

 魔法が暴発して、俺にもダメージが返ってくる。



「――ッ! それがどうした! 火炎の槍ファイア・ランス!」

「何!?」

「今更ダメージなんか気にするかよ! 致命傷以外は安いもんだ。ありったけブチ込んでやる!」



 クリスに当たらないように気を付けながら、俺は自傷も構わずに魔法を乱射する。


 対して邪神は物量で押し潰す作戦を採ったようだ。

 屋上を埋め尽くすくらいにまで広がった霧が固まって刃を形成し、周囲の床を削り取りながら攻めてくる。


 戦い始めてから一、二分で、既に屋上はただの荒地と化した。

 なりふり構わないという点では、どっこいどっこいだろう。



「無駄だ! 貴様程度の攻撃では、時間稼ぎにしかならん!」

「不死身かこの野郎!」



 折を見て、何度か本体らしき塊にも攻撃をしているのだが。直撃しても全く堪えた様子はない。


 このままではジリ貧だ。

 何か打開策――決定打が必要だろう。


 俺ができる中で最大の威力を持つ攻撃魔法は、ダンジョン攻略で使った、広範囲を爆撃するタイプの魔法だ。


 屋上では逃げ場が無いので、俺も効果範囲に入ってしまう。

 ……しかし、それは逆に言えば、奴にも確実に当たるということ。



「やるしかねぇ! 広域爆撃魔法スプレッド・デストラクション!」


 

 意を決した俺は、即座に空中へ魔法陣を展開させる。

 威力と範囲以外は度外視で発動させた。細部は適当で、非常に荒いし不安定な魔法だ。



「その程度で――!? 待て、貴様っ! 魔法を制御する気が無いのか!?」

「杖も指輪もナシに、二つの魔法を同時制御なんてできねぇよ!」



 装備品があればまともに撃てるのだろうが、もう暴発は覚悟の上だ。

 クリスを覆う氷の隔壁アイス・ウォールの制御は完璧にやったが、爆撃の方は魔力を込めるだけ込めた、ただの爆弾だ。


 もう俺にも止められないし、間もなく屋上を焼野原にするだろうが、建物は崩壊しないだろう。

 入院患者には申し訳ないが、火事になったらうまく逃げてほしい。



 ――さて。



「見せてやるよ……世紀末ってやつをな」



 一発殴られたら二発殴る。

 一回斬られたら二回斬る。

 相手に十のダメージがいくならば、自分に五のダメージが返ってきてもいい。


 見晒せ。これが俺の流儀だ。




「く、た、ば、れ、やぁぁあああ!!」

「キ、サマァァアアア!!」




 次の瞬間、宣言通りに終末の光が降り注いだ。


 俺も発動の直前に氷で膜は張ったが、効果範囲のド真ん中に居てはこんなもの気休めである。

 俺は爆風で吹き飛ばされて転がる羽目になったし、四方八方から爆発音と炸裂音が響き渡り、激しい耳鳴りに襲われることになった。


 数秒経って煙が晴れてきたのだが、周囲には惨憺たる光景が広がっている。


 屋上のフェンスやらベンチやら、入り口のドアまで全部丸ごと吹き飛ばれされた、見事なまでの焼野原が完成したのだが。



「多少、驚いたが。この程度で――」



 邪神はまだ健在で、周囲に散った霧がまた影を作り始めていた。


 それを確認した俺は、即座に攻撃を再開する。



火炎の槍ファイア・ランス!」

「貴様……まだやるつもりか」



 強がってはいるが、奴にもそれなりのダメージがあるように見える。

 あと二、三回繰り返したら勝てそうな気もするが、それまで身体は持つだろうか?

 奴も大技は警戒するだろうから、二発目以降の方が難易度は高いはずだ。


 それに、クリスに被害が及ばないように攻撃を続けながら、彼を人質にされないように牽制射撃をする必要もある。

 状況は非常に苦しい。


 だが。とにかくもう一度、爆撃を行う隙を作るしかない。



「今はとにかく撃つしかねぇ!」



 敵に考える時間を与えず、攻め続けて次の好機を待つしかない。

 そう考えながらもひたすら攻撃していれば、突如として、眩い光が辺りを照らす。


 そして高笑いをしながら。一人の男が降臨した――



「はーっはっは! ようやく見つけたぞ邪神の手先め! 犯人はやっぱりクリストフか。いやぁ、自分の推理能力が恐ろし――へぶっ!?」



 ――のだが。


 運悪く俺の攻撃する軌道上にいたため、あっさりと火炎の槍ファイア・ランスで撃ち落とされることになった。


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