第八十七話 脱獄
俺が地下牢に収監されて、数日が経った。
更なる吊るし上げや拷問があることも覚悟していたのだが、呼び出しを受けることすらなく放置されている状態である。
地下牢と言ってもただの個室で、公爵家の使用人寮よりもゆったりと過ごせるくらいの部屋だ。
逃走防止のために扉には鍵がかかっているし、歩哨も立ってはいるが。中で過ごす分には何ら問題はない。
ここは貴族の犯罪者を収監しておくための牢屋だとか。
虫や鼠が出ることは無いと言われてはいたが……連行された当初は、意外と快適で驚いたものだ。
仕事をしなくて良いどころか、食事は定期的に運ばれてくるし、洗い物も王宮のメイドがやってくれる。それに日がな一日寝ていたとして、誰も咎めることはない。
そんなこんなで俺は、人生で一番だらけた時間を送っていた。
……しかしそれでも。一週間何もせず、横になっているだけでは飽きてくる。
仕事を減らしたいと常に願っていたが、何もなければここまで退屈なものかと気づかされたくらいだ。
ぼんやりとそんなことを考えていれば扉がノックされて、一人の若手騎士がワゴンを押しながら入ってきた。
「レインメーカー子爵。昼食をお持ち致しました」
「おう、そこに置いてくれ」
太陽が見えないので時間の感覚も曖昧だが、昼食が運ばれてきたところを見ると今は昼なのだろう。
さて、何もやることがないので、俺は地下牢に入ってからひたすら思考を繰り返していた。
この状況は一体誰が描いた絵図で、どういう意図があるのかを。
まず、メリルにはサージェスを攻略する気が無い。だから一緒に消えたとなれば、何かの思惑があってのことだと推測できる。
二人が別々に行方を眩ました可能性もあるのだが、ヒロインと攻略対象がセットで居なくなったのだから、何かしらの関連はあると見ている。
そして俺にサージェス誘拐の容疑を被せた男は、奇しくもウォルター男爵だ。
「原作」では俺を罠に嵌めて国外追放した男なのだが、本来の登場予定より一年も早い段階で仕掛けてくるとは思わなかった。
ウォルター憎しで考えを曇らせるわけにもいかないのだが。
どうしても禍根というか、遺恨があるので。どんな可能性を考えるにしてもあの男の影がちらつく。
むしろウォルター男爵の登場で、全てが奴の策略かもしれないという考えにまで至っているのだ。
とまあ色々と考えはしたが。
しかし今は、目の前の飯である。
無実を証明した暁には必ず落とし前を付けることを心に誓いながら、俺はパンを二つに割り、
「用意のいいことで」
ワイズマン伯爵、ウィンチェスター侯爵を始めとして、俺の味方に付いた貴族たちは、毎回の食事に何らかの形でメッセージを仕込んでいた。
無実を信じてくれるありがたい存在……ではあるのだが。
これにより、少し困ったことにもなる。
「……今回は六通か」
パンよりも手紙の面積の方が大きいくらいであり、食事の量が少しばかり減っている。そして、保管場所にも困っている。
……貴重な外からの情報源なので、無碍に扱うわけにもいかないのだが。
毎日どんどん積み重なっていくため、隠しきれる枚数でもなくなってきたのだ。
とは言え、牢屋を出ていく時に持ち運べる量なら問題はないだろう。
何故なら。
「いやぁ、愛されていますね。子爵」
「うるせぇやい。看守ならきっちり仕事をしろよ」
「看守じゃなくて騎士なんだけどなぁ」
ここには看守の代わりとして騎士が配置されているのだが、もちろん買収済みだ。
彼は食事をしている俺の対面に座り、時折茶々を入れてきたり、欠伸を噛み殺したりしている。
俺が何をしていようと一切ノータッチな上に、本やレターセットの持ち込みすら自由なのだから、本当に一切不自由しない有様だった。
「昼食中には返信書いてくださいよ?」
「分かってるよ。すぐ読むからちょっと待ってくれ」
目の前の騎士は年齢が近いこともあり、幾分気安い関係ではあるのだが。囚人との癒着を防ぐために、一週間刻みで看守は変わる。
……しかし、既に三週間先の看守まで買収済みだ。
実際には癒着し放題なのが身分社会である。
それはさておき手紙の確認に入ろう。
ウィンチェスター侯爵からは今後の弁護方針などが書かれた書状が届いていたが、法律論に疎いから全てを任せるといった内容を書き上げて、次に取り掛かる。
ワイズマン伯爵からは気遣いの手紙が送られてきたのだが、「エミリーを泣かせたら殺す」という意訳が、ところどころに付けられそうな手紙である。
やたらとエミリーのことを押してくるのだが、彼女の身に何かあったのだろうか。
心配ではあるが……これには、善処します。としか返答できない。
なるべく丁寧な言葉を選んで、俺は次々と返書を書き上げていった。
「こんなもんか? 三枚目、四枚目、五枚目は大したこと書いてなかったな。ただのゴマすりか」
「この状況でもすり寄ってくる相手がいるって、凄いっすね旦那」
「茶化すなよ。どうせ無実なんだから、それを知っている人間ならこうするさ」
俺が誘拐犯だと言うのは状況証拠でしかなく、それもそこまで強くない。
冷静にモノを考えられる人間であれば、俺を有罪に持っていくのは無理だとすぐに分かることだろう。
敵対派閥の人間と親しくしているという理由で疑われたが、それこそサージェスから届いた手紙の内容を公表してしまえば容疑も晴れるはずだ。
また公判が開かれるかは分からないが、不意打ちでなければいくらでも対処できる。
例えば――王族からの手紙を大っぴらにすることができなくとも、宰相と陛下くらいにならば見せても許されると思う。
全ての審判を下す国王陛下の口から、「大したこと書いてねーな」というお言葉があれば、それで俺の勝ちである。
次回呼び出されたときに「サージェス殿下にご友人がいらっしゃらないので、付き合い程度に文通をしておりました」と言ったら、王宮貴族たちはどのような反応を見せるだろうか。
いや、実に楽しみである。
「まあこの辺は当たり障りなく、っと。六枚目は……エミリー!?」
「おっ、噂の婚約者。ラブレターっすか?」
予想外の差出人に動揺したが、彼女からの手紙には気になる事柄がずらりと並んでいた。
クリスの商談相手はウォルター男爵であったこと。
もうじき男爵邸に殴り込みをかけること。
メリルとサージェスは学園内にある地下ダンジョンの攻略をしている可能性が高いこと。
そして、その入口が判明したこと。
……地下ダンジョンの入口など、どうやって調べたのだろうか?
一瞬気になったが、それはどうでもいい。
大事なのは情報の中身であり、入手経路ではないのだから。
あの二人の失踪とクリスの失踪には関係が無いだろうと思っていたが、これでほぼ確定だ。
クリスが俺に隠し事をしてまでメリルやサージェスの企みに乗るなどあり得ないのだから、別個の事件が同時に起きたというだけの話だろう。
なるほど、話が見えてきた。
俺もガイドブックの全てを読んだわけではないし、前世のリーゼロッテが「原作」をクリアしたのは十五年も前だ。忘れている内容もあるだろう。
メリルしか知らないダンジョンのアイテムを取りに行った可能性は十分にある。
だとすれば、メリルはダンジョン攻略の同伴者にサージェスを選んだことになるのだが……何故だろうか?
俺たちに黙って消えた辺り、よからぬことを企んでいる気がする。
「学園の地下にダンジョン……か。俺たちに知られたくない宝があるとしたら、ロクなもんじゃないだろうな」
どのような意図の行動であれ、不穏な気配を感じる。
もう手遅れかもしれないが、今すぐにでも手を打ちたいところだ。
「まだ帰ってきてないってことは、二ターン目に入ったか?」
「何の話っすか?」
「こっちの話だ」
ダンジョン探索は一ターンから、長くても三ターンで終了する。
つまりは最短で一週間から、最長でも三週間で踏破される可能性が高い。
今までに俺たちが攻略してきたダンジョンも、移動時間を含めてピッタリ一週間で終わることが多かった。
これは経験からしても間違いがないところだ。
彼らが姿を消してから一週間。それに加えて数日が経っているのだから、もう最深部に到達しているか、最悪の場合はクリアした頃だろう。
少なくとも、大人しく釈放を待っていては確実に間に合わない。
さてどうしようかと悩みながら、手紙を読み進めると――
エミリーからの手紙の最後には。
またお会いしたい。
寂しい。
という文章が来ていたのだから、俺の腹も据わった。
可愛い婚約者を放っておいて、いつまでもこんなだらけた生活を送っている場合ではないだろう。
状況は刻一刻と動いているのだし、地下牢に居ても特段やることは無い。
ならば、今やるべきことは一つだ。
「よし、脱獄しよう」
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