第六十九話 書類仕事のやり過ぎで、視力が少し落ちただろうか?



 週が明けて、公爵邸は表面上の平静さを取り戻していた。


 秘密結社が報復に来ることもなく、敵対貴族が乗り込んでくることもなく。

 悪役令嬢が空中殺法を披露することもなく。

 ごくごく穏やかに見える日常風景が広がっていた。


 しかし穏やかに見えるだけで、実際には結構な修羅場を迎えている。


 俺たちが襲撃した研究所は、禁忌に触れるような悍ましい実験をしていた。だからアルバート様としても、陛下の元に報告を上げざるを得なかったのだ。


 揉め事を起こしたくないからと事件を揉み消せば、何かの折に発覚したとき、公爵家の関与まで疑われるのだから当然だ。



「あの、こんなことになってしまって、本当に……」

「別にお前が悪いわけじゃないんだ。気にするなって言ってんだろ? 」

「で、でも……」



 ウッドウェル伯爵がハルの暗殺を・・・目論んだ・・・・際と同じように、王宮では又してもお家取り潰しだ、連座だ出家だ粛清だと大騒ぎになったようである。


 そして「話が違う」とひと際大騒ぎしたのが、誰あろうウィンチェスター侯爵本人だった。


 侯爵はクリスが作った魔道具を超える性能の商品を開発するために、研究者としてパトリックを貸し出す約束をしたそうだ。


 大口の支援者が現れ、「ご子息の才覚があれば、魔道具屋(仮)の製品など恐れるに足りませぬ」などと煽ててきたとかで、侯爵はまんまと乗せられたのだと言う。


 それが大きな魔力を持った少年を攫うための計略だなどとは、露とも思わなかったそうである。


 この発言は当然の如く疑問視され、追及の嵐に見舞われたのだが。

 侯爵の返答は非常に歯切れが悪く、そのため侯爵家が関与していることも疑われたらしい。


 しかし、研究所から押収……又は強奪した証拠の中には、ご丁寧にパトリック誘拐の計画書まで入っていたのだ。

 それがクライン公爵家の当主から提出されて、しかも陛下が証拠能力を認めた。


 誰もこれに異論を唱えることなどできず、侯爵家は一応の許しを得たらしい。



「本当にご迷惑をおかけしました……偉そうに条件なんて付けた自分が、恥ずかしいです……」

「いいって言ってんだろ?」



 ……騙されて息子を犯罪組織に身売りするなどという、特大のポカをやらかしたのだ。

 ウィンチェスター家がこれからどういう目で見られるかは不安が残るところだし、貴族として終わったも同然と見られて、仕方がない面はある。


 だが、違法な研究をしていた貴族が数家ほど失脚したくらいならリカバリー可能だとしても。

 パトリックの実家が没落するようなことになれば、確実に乙女ゲーム本編への影響が出る。


 ウィンチェスター侯爵家は絶対に。

 何があろうと。

 どんな手を使おうと救わなければいけない。


 俺はそう決意を新たにしていた。

 今日の午後にはウィンチェスター家を救うため、早速折衝に入る予定でいる。



 ……そして余談ではあるが。ワイズマン伯爵に提出する資料を作るとき、クリスに「魔道具(仮)の収益予想を作ってくれ」と手紙を送ったのだが。


 店の名前が本当に「株式会社 魔道具(仮)」で登録されてしまったという珍事件があった。

 彼は俺の発言に、もう少し疑問を持った方がいいと思うのだが。

 それはさておき、俺はパトリックに言う。



「まあ、約束は約束だ。侯爵家を潰させやしないさ」



 「原作」通りに事を運ぶためにな。

 という副音声が脳内で流れるが、それはご愛敬だろう。


 ここだけ切り取れば、実に歯の浮くようなセリフを言ったと思うのだが。パトリックは困惑したような表情をしている。



「自分で言うのも何ですが、ボクにそこまでの価値があるとは思えません。何故そこまで?」

「お前が自分をどう思おうが、俺はお前のことを買っているんだよ。お前を失うなんて、世界の損失だ」

「そこまで、わ……ボクのことを」

「ああ。何としても、お前が欲しいと思ったんだ」



 パトリックの出番・・が失われたら、世界崩壊の危機である。誇張でも何でもなく世界の損失だ。

 俺に嘘を吐いている様子が無いと見たのか、パトリックは感動したように俺を見ていた。



「レインメーカー子爵……」

「湿っぽいのは止せよ。この後は……あいつら・・・・への対応と、お前の実家への対応が待っているんだからな」



 パトリックから視線を外してテラスの方を見れば、ハルとラルフがリーゼロッテに詰め寄っているところだった。


 俺とパトリックは三人から少し離れたところで待機して様子を見ていたのだが。

 特にラルフなど、鬼気迫る迫真の表情である。



「リーゼ嬢! そんな大捕り物があるって知っていたなら、どうして俺たちを呼んでくれなかったんだ!」

「そうだよリーゼ、僕らだってもう十分に戦える! 野盗如きに遅れは取らないさ!」



 あの二人は、俺とリーゼロッテが人知れず悪漢と戦いを繰り広げたと聞きつけて、公爵家へ駆けつけてきたのだが。


 話の内容は「どうして俺を参戦させなかったのか」というものだった。


 怪我の心配をする前にそれかよ。

 と、残念な気持ちになったのはさておき。

 

 どちらかと言えば俺たちの方が野盗だったし、悪漢という意味ではいい勝負だと思う。しかし、まあ、そこは敢えて語る必要もあるまい。


 そう思い黙っていると、リーゼロッテは誇らしげに武勇伝を語り始めた。



「二人にも見せてあげたかったわー。私が悪人たちをバッタバッタとなぎ倒すところを!」



 つらつらと語っている間に、リーゼロッテは段々とふんぞり返ってきており、対照的に男子二人組は肩を落とし始める。



「くそっ! 守るべき相手が俺より先に武勲を立てるなんて……騎士失格だ!」

「ダメだ、こんなことではリーゼをリードするなんて……とても……!」



 この一週間で、俺が抱えていた屋敷の業務は新米の使用人たち引き継いだため、俺は楽をしていた。

 しかし。第一王子御一行がやって来た際に出迎えるのは、相変わらず俺の役目となっている。


 パトリックに気取られぬように小さく溜息を吐いてから、俺は凹んでいる王子と騎士見習いを何とかするべく、現場のフォローに向かった。









 そして、ハルとラルフが立ち直った頃、時刻はお昼時になった。


 リーゼロッテ、ハル、ラルフの三人で仲良くランチと洒落込むのを尻目に、俺はパトリックを伴って応接室に向かう。


 先ほど侯爵家の一行が到着し、まずは公爵家の外交担当であるケリーさんが出迎えるというので、俺たちは大人しくソファに腰かけて待っていることにしたのだ。


 ……だが、侯爵家一行の到着を待っている間、パトリックは俺の方を向いて、かと思えばそっぽを向いて。

 口を開きかけては閉じてと、非常に落ち着かない様子を見せていた。



「何だよ、せわしねぇな」

「あ、あの。父や兄が来る前に、レインメーカー子爵にお話が……」

「分かってるよ。口裏を合わせろってんだろ? お前がスラム落ちしていたのは黙っていてやるよ」



 パトリックも俺の弟分となったのだから、メンツに傷がつくような真似はしないつもりだ。



「そうではなくですね、ええと、その……」

「何も言うな、俺に全てをゆだねろ」

「は、はひっ……あっ、いえ、委ねるのは、やぶさかではないのですが……」



 「原作」ならばこの後「お前、俺のものになれよ」と続けるところではあるが、実際にはもうパトリックが俺のもの・・になった後である。


 研究所から着の身着のまま逃げ出し、スラムで残飯を漁りながら生き延びていたなどと知られた日には、もう侯爵家嫡男としてやっていけないだろう。



「勇ましく研究所から脱出した後は追手を返り討ちにしながら、反撃の機会を伺っていたところで偶然俺と出会った……とまあ、そういうことにしておくか」



 だから彼の名誉を守るため、俺は適当なストーリーを組み立てる。



「え、いや。その、違くて。そういうことではなくてですね?」

「何が不満なんだよ。家族には、俺との出会いをもう少しドラマティックに伝えてほしいってか? ……それとも、やっぱり武勇伝とか入れた方が?」

「あの。全く違います……そうじゃなくて!」



 パトリックがわたわたと手を動かしていると、唐突に応接室のドアが開いた。

 ノックも無しに、バン! と、派手に扉が開く。


 こんなことをする人間は、公爵邸でも一人しかいない。



「リーゼロッテか? おいおいノックくらい……えっ?」



 公爵家にはいないのだが、現れたのは外部の人間だったようだ。

 ドアを開けた人物の姿を見れば、そこにはクリーム色の髪色をした、小柄な少年が立っていた。

 緩いパーマのようなくせっ毛は子犬のようでもあり、癒しのオーラを全身に纏ったような少年だ。


 見慣れないようでいて。

 しかし、この数日で既に見慣れたような顔でもある。



 …………。



 今、俺の目の前に信じられない光景が広がっていた気がする。


 書類仕事のやり過ぎで、視力が少し落ちただろうか?

 そう思い目をこするが、目の前の光景は一切変わらなかった。


 おいおい、少し落ち着けよ、アラン。


 と、俺は気持ちを落ち着けるために、大きく息を吸う。

 そして息を吐く。


 俺は一度深呼吸をしてから、ドアの方をもう一度見た。


 落ち着いて見てもそこには変わらず、髪の毛と同じクリーム色の瞳を持った、癒し系かつ・・・・・子犬系の少年・・・・・・がいた。


 

 そして俺は、横に座っている少年の姿を見る。

 この二人、顔が似ているどころか瓜二つだ。


 横に並ばれたら、多分見分けがつかないだろう。

 そう思うくらいにはそっくりだ。


 パトリックは兄がいると言っていたが、これではまるで――



「ぱ、パトリックが……二人!?」



 そう、攻略対象が二人いるようにしか見えないのだ。

 浮かれた気分だった俺の気持ちは一気に急降下し、手足を謎の冷えが襲った。

 俺が驚いていると、少年はペコリと頭を下げて、一礼してから言う。



「これは失礼しました。てっきり一人でいるのかと……あの、貴方がレインメーカー子爵ですね?」

「え、あ、はい」

「初めまして。ボクはウィンチェスター侯爵家の嫡男、パトリック・フォン・ウィンチェスターと言います」



 俺に挨拶をした後、目の前に・・・・現れた・・・パトリックは。

 俺の横・・・に居る・・・パトリックの姿を確認して、穏やかに微笑む。

 そして、続いて彼の口から出てきた言葉は。



「妹がご迷惑をおかけしています」



 という文言だった。


 俺はゆっくりとパトリックだった誰かの方を向いたのだが。

 そこにいた少年――ではない。

 少女は、非常に気まずそうな顔で目を逸らした。



 妹?



 俺は新たな問題発生の予感を前に、自分の心臓が早鐘を打つのを感じていた。




 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 つまり、僕らが攻略対象だと思っていたパトリックは、偽物だったんだよ!!

 な、なんだってー!?


 というお話でした。

 次回、またしてもアランが窮地に追い込まれます。お楽しみに!

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