第二章 神様は全部リセットしたい

第十七話 それから二年の月日が流れた……



 月日が経つのは早いもので、俺が公爵邸に来てから四年が経った。


 リーゼロッテは今年で十四歳。

 俺は十七歳だ。


 公爵家から執事として勤めてほしいと言われている期間は八年間。

 任期はあと四年と少しで、そろそろ折り返しという時期になる。


 リーゼロッテは年齢を重ねるごとに、大人になっていった。


 ……少なくとも、外見だけは。



 しかし中身は、何一つ変わることは無かった。


 年中無休で体を鍛え続けた結果。

 もう同世代の女子で、彼女の身体能力を上回る者はいないくらいに成長している。


 それはそうだ。

 莫大な資金をつぎ込んだトレーニングルームはその後もアップグレードを繰り返し、国内最高峰と言えるくらいの環境が整っているのだから。


 その上、ハルにくっ付いてくる近衛騎士たち。

 戦いのプロから直々に稽古をつけてもらうことがあれば、高名な武人を招いて指南を受けることもあった。


 九歳から身体を鍛え始め。

 五年間ひたむきに鍛え続けたのだ。

 その土台に技術が乗っかれば、一角の武将・・のできあがりである。



 ……まあ婚約者であるハルが「そのままのリーゼでいい」なんて言っているのだ。

 今さら無理に矯正することもあるまい。


 とは言え、リーゼロッテも勉強をサボっているわけではない。


 公式の場ではきちんとした言葉遣いができるようになってきているし、その気になれば礼儀作法も完璧だ。

 少しは淑女らしい常識も身についてきた頃かと思うのだが。



「アラーン! お昼は串焼きが食べたい! 屋台に行きましょ!」



 やる気が無いときの言動は、相変わらず貴族令嬢のそれとはかけ離れている。


 ……まだまだ先は長そうだ。







 買い食いに付き合って街をぶらぶらしていると。

 後方からふと、きな臭い気配を感じた。


 さりげなく視線をやれば、そこには身なりの整わない若者が三人。

 また・・身代金目的の人攫いだろう。



 リーゼロッテが年齢を重ねる毎に、知らぬ間に消えて表をほっつき歩くことが多くなってきた。

 少し前のことになるが。



「護衛も付けずに街を歩くのはお止め下さい」

「じゃあアランが護衛してよ」



 こんなやり取りがあった。


 まさか。そんなことが罷り通るか。

 俺も筋力はついたし、魔法の扱いにも長けているが、まだ十七歳だ。


 プロに襲われたら、守り切れるか怪しい。

 俺が執事と兼任して護衛に付くなんて、そんなことはあり得ない。

 護衛には近衛騎士のようなプロを雇うべきだ。


 そう思っていたら、旦那様ったらあっさりとお願いを了承してしまったので。

 俺は護衛も兼務することになった。



 はいどうも。執事見習い兼。教育係兼。護衛に昇格したアランです。


 執事の教育と一般教養の勉強。

 その上で貴族の教育を受け、追加で武術の訓練まで課されていたアランです。


 各種の訓練は厳しかったが。危険手当が出るようになったので、収入が少しばかり増えた。


 だから最初は嬉しかったのだが。

 本当に最初だけだった。



 ひっきりなしに襲われる俺たち。

 護衛の俺を差し置いて、嬉々として悪漢を迎撃しようとするお嬢様。

 仕事の難易度が跳ね上がったことは言うまでもない。


 今では、正直割に合わないと思っている。



「お嬢様」

「ほえ? 何? アランも串焼き食べたいの?」



 俺が神経を尖らせている間も、リーゼロッテはもぐもぐと食事していた。

 このお嬢様はこう、危機感が無いところも狙われやすい理由だ。

 

 リーゼロッテがこれだから、俺がしっかりしなければいけない。

 外では周囲の目があるので、一応執事モードで彼女に耳打ちする。



「そうではなく。怪しい奴らがこちらを伺っています」

「そう。つまり戦う時が来たと」

「は?」

「タイガードライバーを実践投入する日が、とうとう来たということね?」



 脳内でどう変換したら、そういう意味に取れるのだろう。

 発想からして既に、高貴なる令嬢の考え方ではない。


 今までリーゼロッテの教育にかけてきた。俺とエドワードさんとマーガレット先生の苦労は何だったのだろうと、頭を抱えたくなる。



「あ、待った。今のナシ。えー……こほん。時は来た、それだけだ!」

「違いますと申し上げました。行きますよ、お嬢様」



 いっぺんしばくぞ。何でわざわざ言い直した?


 そういうコメントは、今は置いておく。


 目の前に危機が迫っているのだ。

 問答をしている場合ではない。まずは逃げなければ。



「じゃあ一人だけ! あの弱そうな先頭のヤツだけでいいから!」

「ひと様のことをやつ・・などと呼んではいけません。お行儀が悪いですよ」



 だがリーゼロッテは、彼女を連れて逃げようとする俺の袖をがっしりと掴み返し、プレゼントを強請る駄々っ子のような表情をして、俺に訴えかけていた。



「アランに言われるのは何だけど……そうね、ごもっともだわ」

「それから、人を指差してもいけません。更に言うなら……誘拐犯と思しき人物を指差すのは普通よりも、もっといけません」

「それもごもっともだわ。反省するわね!」



 リーゼロッテは屈託のない笑顔で反省を表明した。


 ……頼むから、もう少し悪びれてほしい。


 とはいえ、こんな悠長に会話をしている場合ではない。

 こちらから大っぴらに指を指してしまったのだから、向こうも尾行がバレたことはすぐに気がつくだろう。



「素直なのは大変良いことですが……あ。あからさまにこちらへ向かってきますね。逃げましょうか」

「そうね、それもごもっとも!」



 リーゼロッテの身体能力は確かに高いし、俺だってそれなりの戦闘能力はある。

 正面からまともに戦っても、恐らく無傷で勝てるだろう。


 だが、このお嬢様の身に、万が一にも、万が一のことがあってはならないのだ。


 ここは安全策で、人通りの多い道を通って屋敷に戻るのが最善だ。



「さ、行きますよ」



 リーゼロッテの手を引いて、俺は駆け出した。

 そして、駆け出した数秒後に手を離した。


 俺が引っ張るよりも各自で走った方が速いのだから、これは当然の判断だ。


 さて、うちのお嬢様の脚力は大したものである。


 俺が全力で走っても着いてこられるどころか、長距離走なら俺よりもいいタイムを叩き出す。

 街のチンピラくらいなら、適当にランニングしていればすぐに撒けるはず。


 ……なのだが。



「あの、お嬢様? 真面目に走っていただけませんか?」

「相手は武器も持っていないし、たった三人……しかも弱そう」

「お嬢様、お諦めください」



 後ろ髪を引かれる思いなのか。

 ちらちらと後ろを振り返り、一向に距離が開かない。



「アルヴィンをタイガードライバーの練習台にしても良いので、ここはお逃げください」

「でも実戦なのよ! 大山倍達だって言っているわ。空手の極意は組手にあり、組手の極意は実戦にありって!」



 誰だよオーヤマ・マスタツ!?


 恐らく格闘家の名前だとは思うが。

 知らない人物の名言を持ってこられても、いまいちピンと来ない。


 喧嘩は場数を踏まないと強くならないという意味なのは、何となく分かるが。



「では、アルヴィンと実戦形式で戦えるようにセッティング致します」

「使用人相手じゃ遠慮が出るのよ。私は! 何の気兼ねもなくタイガードライバーがしたいの! なんて言うかこう……後腐れなく、最高のタイガードライバーを決めたいのよ!」



 今一番に考えてほしいことは、身の安全だというのに。

 そのあくる事なきタイガードライバーへの情熱はどこから来ているのだろう?


 そう思いながら、俺たちは逃走を続けた。



「あ、次の角は左ね」

「お嬢様、何もあんな暴漢を相手にしなくても…………ん? 左?」



 呆れや驚きといった感情を抱いて走っていた俺は、言われるままに左の路地へ入る。

 左の路地に入ってしまう。

 

 記憶が確かならこの先は一本道で、何度か曲がった後に行き止まりだ。



「あーっ、いっけなーい。このろじはいきどまりだったわーっ」



 まさかと思い隣を走る少女の顔を見ると。

 舌をぺろっとだして、空いている左手で頭を小突いていた。



「リーゼロッテ、後で話をしよう。旦那様と奥様も交えての話し合いだ」

「あ、あらー? もしかして、本気で怒っちゃった……?」

「当たり前だ! 行き止まりって分かっていてこの道を選んだんだろうが!」



 路地裏に入って人目が無くなったこともあり。

 俺は普段通りの言葉遣いでリーゼロッテを詰める。


 百歩譲って危機感がないことは我慢するが、自ら危機に飛び込むのであれば話は変わる。


 後で奥様のお説教二時間コースだ。

 覚悟しろお嬢様。



「違うのアラン、聞いて。えっと、まず……貴方は誰のための執事なの?」

「リーゼロッテお嬢様」

「じゃあ私が不利益をこうむるようなこと、言わないわよね? 黙っていてくれるわよね?」

「ダメだ」



 俺がそう告げると、リーゼロッテは。


「いつも背中を預けていた二十年来の戦友から裏切られた、ベテランの傭兵」


 みたいな顔をしていた。



「雇い主に歯向かう気なの!? はっ、まさか反抗期……反抗期なのね、アラン!」



 何故そこまで心外そうな顔しているのだろう?

 当たり前のことだと思うのだが。



「雇い主は旦那様だから。俺は旦那様に報告の義務があるんだよ。……それと、俺の反抗期は終わってるから」



 俺の雇い主は旦那様。

 父親のアルバート様であり、娘のリーゼロッテではない。


 ある時、「実戦空手家の詳細」や「総合格闘家の詳細」など、その正体が公爵夫妻に知られたらマズそうな種目については、その仔細を明かさないと約束した。


 これはハル――エールハルト殿下も交えての約束だ。


 だからそこについては黙っているが。今日のこれは全く話が違う。

 後で存分に説教を受けてもらおう。




 反抗期については特に何事もなく、早めの反抗期が早めに終わった。

 ただそれだけのことである。


 というか、公爵邸で誰に反抗すればいいと言うのか。


 エドワードさん?

 普段の気苦労を見ていたらいたわりの心しか沸いてこない。


 ケリーさんは子煩悩の塊だ。

 ジョンソンさんは結婚したての奥さんとラブラブ。

 幸せそうな同僚に突っかかるほど、俺は子どもではない。


 お調子者のアルヴィンが幸せそうなのはムカつくが。

 あいつとは持ちつ持たれつの利害関係がある。

 取引相手を攻撃するようなこともしない。


 そもそも公爵家の使用人たちは元貴族だとか、代々使用人の家柄だとか。そんなのばかりだ。

 みんな基本的に大人なので、衝突すること自体があまりない。


 ……公爵夫妻? 反抗したら物理的にクビが飛ぶわ。


 そういった事情で。

 反抗期の到来とほぼ同時に、反抗期が終わった。



「ぐぬぬ……」

「何がぐぬぬだ。お説教は後で考えるとして……あ、いいところに。ちょっと先に行ってくれ」

「ん? 何それ、革袋?」



 ポケットに入れていて良かった。

 頼れる庶民の味方、小さめだが頑丈な革袋である。


 俺は最後の曲がり角の道沿いにあった花壇――砂利が敷かれた良さげな花壇――から、石ころ十数個を拝借して袋に入れる。


 そして革袋を右手に持ち、左手で土を掬う。



「なるべく乾燥していて、砂に近いものを掬って……と」



 よし、間に合った。

 準備完了だ。

 穏便に済ませるのなら、やはりこれが一番だろう。



「さて」



 どたばたと、足音が聞こえてきた。相手はもうすぐそこだ。

 まずは土。

 こぼさないように気を付けながら、先ほど拾った土を構える。


 そのままタイミングを見計らい。

 曲がり角から三人組が姿を現した瞬間に、顔を目掛けて土をぶちまけた。



「てい」

「ぐおあ!? 目、目が!?」

「ぺっぺっ……目潰し!?」



 目に異物が入ったとき、人間はどうするか。


 大抵の場合は両腕で目を庇い、次に目をこすろうとする。


 意識の大半を目に持っていかれるし。

 土が口の中に入れば、そちらにも意識を持っていかれる。


 目の痛みに耐えて即座に反撃できるような猛者など稀だ。

 反射でやってしまう動きなので、特殊な訓練でもしなければ中々制御できることではない。


 つまり、今から数秒。


 ほぼ反撃の恐れがないボーナスタイムが始まる。



『ヒャッハー! てめえらみたいな、街の汚れは消毒だぁ!』



 と、この戦法を教えてくれた、生まれつきのナチュラル・ボ社会不適合者ーンヒャッハーたちの声が頭に響く。


 彼らの教えを実践すべく。

 俺は石の詰まった革袋を力いっぱいに振り回して、暴漢を襲撃した。



「くたばれや!」

「ぐはっ!?」



 適当な袋に重り――できれば硬いもの――を入れて口を縛れば。


 即席でブラックジャックを作れる。


 これは街角の不良御用達アイテムだ。

 作り方は簡単だが、当たり所が悪ければ悲惨なことになる、立派な鈍器だ。

 俺はせめてもの情けで頭ではなく、腹を殴打してやった。


 無論、攻撃そのものには一切の加減をしていない。

 まずは一人がうずくまり、ノックアウトだ。


 恐らく肋骨が折れたか、そうでなくともヒビくらいは入っただろう。


 さて、土を放り投げて左手がフリーになったため。

 残る二人にはブラックジャックを両手で、丁寧に振り下ろす。


 ただのチンピラならこれで終わりだ。








 三人組だって、誰何すいかも問答も無しにいきなり攻撃されるとは思っていなかったのだろう。


 奇襲はバッチリハマり、反撃らしい反撃をされることもなく終わった。

 戦闘時間は十秒にも満たない早業である。



「はっ、ダボが……。まあいい、後は通報したら一件落着――」



 流石はスラム街伝統の教え、世紀末式世渡り術だ。

 こんな状況でもなんともないぜ。

 と、久しぶりに貧民街のやり方を通して気が尖っていた俺の背後で。



「あ、こいつまだ息があるわね。よーし、行くわよ、タイガードライ」

「止めろ、もう虫の息だぞ」



 すげえよ当家のお嬢様。

 鈍器で殴られて悶絶している男に、遠慮なくトドメを刺しにいけるんだもの。

 スラム街の人間だって、そこまではやらない。


 俺は軽い戦慄を覚えながら……この危険なお嬢様を野放しにしてはいけないと再認識する。


 俺が、他でもない執事の俺が、社会復帰させてやらねばならないと。

 そう、俺は決意を新たにした。


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