99、やけ食いだ



「とっても困ったことになった」


 剥不はがれずさんの考察を聞いた帰り道、二葉先輩はあからさまに困惑していた。


「まさか自分が本当に死んでいるとは思わなかったんだ。……どうしてこんなことに」


「俺も同じ気持ちです。どうしてこんなことに」


「……ごめんね」


「いや謝らないでください。二葉先輩が悪いわけではないので」


「うん」


 そう言いつつも、彼女はやはり物げな表情で歩いていた。


「剥不さんも、何か抜け道があるかもしれないって言ってたじゃないですか。まだ全部決まったわけじゃないですから」


「そう……だけど」


「何か美味しいものを食べましょう。話はそれからです」


 彼女は肩を落として沈黙した後で、ふっと顔をあげた。今度は明るい口調だった。


「確かに。腹が減ったら、何とやら。ご飯を食べないのが一番良くないって、どこかで聞いた気がする」


「そうですよ。何、食べたいですか」


「うーん」


 先輩は首を傾げると、クンクンと鼻を動かした。ちょうど近くの家から、食欲をそそるスパイスの匂いが、漂ってきていた。


「カレー」


「良いですね」


「人の家のカレーの匂いって、どうしてあんなに美味しそうに思えるんだろうね」


「きっとスパイスに麻薬でも入ってるんですよ」


「そんなバカな……」


 先輩はまゆをひそめながら、またクンクンと匂いを嗅いだ。


「いや、そうかもしれない。頭の中がカレーでいっぱいになった」


 お腹すいた、と彼女は俺の手をにぎった。


 電車に乗って、制服のままスーパーに行った。玉ねぎとにんじん、カレーのルーを買い込んでおく。


「ジャガイモ入れます?」


「欲しいけど、皮むくの面倒くさいよね。なくても良いよ。後にんじんもいらない」


「にんじんは食べてください」


「食べたいものって言ったのに……」


「それはそれです」 


 栄養バランスを考えるのは、ちゃんとやる。言うことを全部聞いていたら、肉と炭水化物ばかりになる。ただでさえ身体が弱いのに、だ。


「ま、カレーに入れたら何でも美味しいですよ」


「そうかなぁ……まずいものもあると思うけど」


「例えば、何です?」


「のど飴とか」


「……あー……」


「でしょ」


「だからって、にんじんがダメな理由にはなりませんね」


「そうかぁ……」 


 豚肉が安かったので、ポークカレーにすることにした。


 ルーは市販のルーに加えて、ナツメグとオールスパイスを入れた。辛みを増すチリペッパーを振りかけて、煮込めば完成。簡単で間違いがない。


「できました」


「わー、おいしそー!」


 部屋中に広がっていくカレーの匂いに、先輩は幸せそうに微笑んだ。


「本当に麻薬でも入っているみたい。麻薬シャブカレー」


「やめて下さい」


「いただきまーす」


 パクッとカレーを食べて、先輩は顔をほころばせた。


「おいしいー」


 スプーンをせっせと動かして、彼女はご飯の山を崩していった。とても良いことに、ちゃんとにんじんも食べていた。2杯お代わりして、彼女はお腹をさすった。


「カレーを食べたら、元気が出てきた」


「良かったです。あの……」


 食器を片付けながら、先輩に声をかける。


「しますか。これからの話を」


「……いや」


 二葉先輩は首を横に振った。


「先にシャワーを浴びる」


「そうでした。どうぞどうぞ」


「のぞかないでね」


「あの時は不可抗力で」


「パンツも奪った」


「奪ってないですって」


 上機嫌に鼻唄を歌いながら、彼女は脱衣所に入っていった。 


 お風呂から出た後に、紅茶を沸かした。くまさん柄のパジャマを着た二葉先輩が、俺の横に腰掛けた。


「二葉先輩」


「ん?」


「あの、これからのことについて……」


「……いや」


 二葉先輩はブンブンと大きく首を横に振ると、言った。


「その前にデザートが食べたい」


「……冷蔵庫にシュークリーム買ってあるの見ました? あれ明日のお昼のおやつに食べてもらおうと思って」


「とても食べたい。今食べたい」


 結構大きめのシュークリームを、二葉先輩は「やけ食いだ」と言いながら、ペロリと平らげてしまった。


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