同居の季節(10月〜)

35、ささやかな同居生活のはじまり


「お邪魔しまーす」


 俺の家の玄関前で、先輩が小さくお辞儀をする。きちんと靴をそろえた先輩は、そこでしばらく立ちすくんでいた。


「どうしたんですか?」


「いや、ご両親に挨拶してもいないのに、良いのかなと」


「まぁ。どうせ、しばらく帰ってこないですし」


 姉と一緒に、長期海外旅行へと旅立ったので、年明けまで帰ってこない。


「二葉先輩を野宿させるわけにはいきませんから」


「で、ではでは。遠慮なく」


 そう言いながらも、遠慮がちに彼女は、脚を踏み出した。


「知らない家に入るのは、久しぶりだ」


「自由に使ってください。服は姉のがあります。たぶん、背丈も一緒くらいですから」


「お姉さん気にしないかな」


「横着な性格なんで、服がどころか、机が無くなっても、気がつかないですよ」


「あ、ありがと。ちゃんと洗濯して返すからね」


 廊下を抜けて、リビングへ。

 リビングとキッチンはつながっている。その他に両親の寝室、俺の部屋、姉の部屋がある。


 先輩は姉の部屋で寝てもらおう。


 しかし、もう少し掃除しておけば良かった。朝ごはんの洗い物が、まだたまったままだ。


「……ちょっと片付けるんで、どうぞ適当にくつろいでいてください」


「う、うん」


 うなずいた先輩は、荷物を持ったままじっと動かなかった。


「どうしたんですか」


「緊張している」


「……気使わなくても良いですよ」


「そ、そうかな」


 そう言うと彼女は、おもむろにソファに座った。しかし、二葉先輩は何をするでもなく、皿を洗う俺を見ていた。


 それだと、俺が落ち着かない。


「……テレビとか見ても良いですよ」


「テレビ、あんまり見ないから。ラジオしか聞かない」


「じゃあ。ラジオをつけましょうか」


「ううん、大丈夫」


 先輩はずっとぷらぷらと、足を揺らしていた。スカートから伸びる細い脚は、振り子のように一定のリズムを刻んでいた。


「……先輩?」


 呼びかけてもぼうっとしていた。


「……ん?」


 彼女は視線を上げて、俺の顔を見た。


「どうかしました?」


「何でもないよ」


「人の家じゃ落ち着かないですか……?」


「ううん、そうじゃなくて」


 先輩は首を横に振った。


「知らない匂いだから」


 すんすんと、彼女はあたりの匂いをぐ仕草をした。


「匂い?」


「でもナルくんの匂いがする。不思議な感じだ」


「嫌ですか?」


「嫌じゃない。全然、嫌じゃない」


 二葉先輩はくすくすと笑って、言った。


「落ち着くような、落ち着かないような感じ」


「そう……ですか?」


「何だかドキドキする」


 照れ臭そうに言って、彼女は自分の髪に触れた。そわそわしたような仕草をした彼女は、カバンを持って立ち上がった。


「シャワー、借りようかな。少し汗かいちゃったし。良い?」


「あ……もちろん。出て右です。タオルは畳んでるやつ、使ってください。パジャマは姉が使ってやつで良ければ、棚のところに」


「うん、ありがと」


 先輩が部屋を出ていく。


 戸をパタンと閉める音の後で、水が流れる音がした。


「……匂い」


 ふと気になったので、二葉先輩の真似をして、あたりの匂いを嗅いでみた。


 先輩の匂い。


 二葉先輩がまとう空気が、部屋の中に残っている。


 それに、すぐそこで、シャワーを浴びている。


 落ち着かないのも無理はない。

 俺は今、好きな女の子と、同じ屋根の下にいる。

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