ⅩⅢ

 挑戦的な瞳で皇妃は、ミアリス達の方へ闊歩かっぽしてくる。

 女王の貫禄というべきか、命令されたわけでもないのに、聖堂内の人々は道を開ける。


「せっかくお天気も良くていい気分でしたのに、嫌な顔を見たわ。ねぇ、私の視界から消えて下さらない?」


 扇でしっしっ、と、犬ころでも追い払うような仕草。


(何なの、この方?)


 ロザリアの頭に血が昇るが、当のミアリスは負い目でも有るのか、何も言わず唇を噛み締めるだけ。


「貴女みたいに卑しい出自の娘が近くにいると、私のドレスに臭いが移ってしまいましてよ。淫蕩で野蛮な、メス犬の臭いが」


(殿下、言い返さなくて良いのですか!?)


 そう眼で訴えるが、ミアリスは涙を浮かべ、肩を震わせるばかり。


 ……ならば。


「お言葉ですが。皇女殿下は、いい匂いです。どこを嗅いでも、薔薇のような、砂糖菓子のような、甘い薫りしかしませんわ」


「あ、貴女ね、そういう話をしているのでは……」


 顔を上げるミアリスにも、今は耳を貸さず。

 勿論、分かってる。フィオリナ妃があげつらうのは、母が貧民というミアリスの血筋の件という事くらい。


 とにかく、何か言い返さずには気が済まなかった。


「殿下は潔癖な方で、お風呂だって毎晩入ってます。夕べ背中をお流しした私が言うのですから、間違いありません!」


 そう、それはもう隅々まで。

 殿下がきっと誰にも見せたことの無い処も、石鹸で徹底的に洗って差し上げたのだから。

 ……昨日は少し泣かれたけど。


「生意気ね、誰よ貴女?」


 フィオリナ妃の剣呑な視線にも、臆さず胸を張って。


「先日よりミアリス皇女殿下の侍女に取り立てて頂きました、ロザリア・オルベインと申します」


「ああ、そう言えば聞いた気がするわ。辺境の伯爵家の子だったかしらね。私、いつも昼間は休んでるので、会うのは初めてだけど」


 そして高笑い。


「まあ、田舎貴族の娘なら、野良犬皇女の家臣にはお似合いかもね。由緒正しいカンザリー=ドルテア王家の私とでしたら、釣り合いませんけれど!」


 そう嘲りながらも皇妃は、ロザリアの容姿をあらためて。


「……ふぅん。でも貴女、顔立ちは綺麗ね。中々可愛いし、嫌いではなくてよ」


 そうですか、私は貴女が嫌いですが。

 そんなロザリアの内心も知らず、


「ねぇ、貴女。私のモノにならない? こんな小娘には想像も出来ない、刺激的なやり方で可愛がって差し上げるわ」


「だ、だめっ!」


 戸惑うロザリアの唇へ手を伸ばすフィオリナ妃。

 その間に割って入るのは、ミアリスだった。


「この子は、私の侍女なんだから。勝手に触らないで!」


「……殿下。そんなに私のこと♪」


 舞い上がるロザリアへ慌てて。


「ち、違うわ。勘違いしないでよね。私はただ、他人に自分の物をいじられたくないだけなんだから!」


 ……だが。


「……ふぅん」


 ミアリスの態度は、フィオリナ妃の眼に嗜虐しぎゃくの火を点らせてしまった。

 人が大事にしている物こそ、奪ってやりたい。嫌いな女が、屈辱と敗北感でぐちゃぐちゃの泣き顔になるのを、嘲笑ってやりたい。


 そんな、暗い炎を。


「ロザリアと言ったわね、貴女は知ってますの?」


 わざと、周囲の観衆にも聴こえるような声で。


「この子はね、本当にいやらしい娘なのよ。私、見たのだから」


 ミアリスの身体が。びくっと震える。


「ああ、何てことでしょう? 高貴なアレストリア帝室に連なるはずの娘が、あんなこと!」


「やめてっ!」


 真っ赤な顔。けれどいつもの可愛い羞じらい顔でなく、必死な顔で。


「……やめて、ください」


 ミアリスは懇願した。


(……殿下?)


 やらしいお話かしら。すごく興味はあるのだけれど。


「お願いです、言わないでぇ……」


 泣き出す姫君を見れば、それが彼女にとって触れられたくない秘密、今踏み込んではいけない領域である事くらい、ロザリアにも察しがついた。


 だのに。この女、フィオリナは。


「あら大変、泣かせてしまったわ。けど、そうよね、知られたくありませんものね」


 ミアリスの魂を屈伏させた事に、絶世の美貌も台無しの、それは醜い笑顔を浮かべながら。


「貴女には、下衆な商売女の血が色濃く流れているということ。最低の、淫乱娘だということを!」


 ……ぷち。もう怒りました。

 ロザリアは、己の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。

 可愛い少女をいじめたくなるのは、ロザリアも同じ趣味。

 でも、皇妃のこれは違う。隠したい心の弱い処を凌辱するようなやり方は、認めない。そこには、愛がなくてはいけないのだから。


「……言いたいことは、それだけですか?」


 身分がとか、国際問題になるかもとか。そんな思いが脳裏を掠めるのを全て振り切って。


 ああ、この胸に燃える正しい怒りにこそ、私は従おう。


 そう決めて、ロザリアは。フィオリナ妃殿下の頬を、力いっぱい、張り飛ばしていた。


「我が姫君への侮辱は、誰であろうと、何人たりとも許しませんわ」

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