第336話 エルセオーゼに問う

 静夏とミュゲイラは今一度エルセオーゼの家を訪れていた。


 調査初日である昨日はエルセオーゼ側に用事があったため会うことは叶わず、通常の聞き込みを行なうだけに留まっていたが、今日は都合がついたと聞いてやって来たのである。

 二人を出迎えたのはセルジェスで、初めてここを訪れた時のように案内したが、通されたのは広間ではなくエルセオーゼの個室だった。

 話を聞くことが主目的ならここの方がいいだろう、という配慮らしい。

「忙しい中時間を割いてもらってすまない。少し話を聞かせてもらってもいいだろうか?」

「はっきりと話せることは多くはないが……それでもよければ」

 エルセオーゼは使い古されたイスに座り、二人にもそれぞれイスを勧めた。


 ――ぎみぃ


 と、イスらしからぬ音がして静夏が中腰で固まる。

 少し体重をかけただけなのだが、咄嗟に腰を引いていなければ壊れていただろうと予想できるほどの音だった。

 静夏の筋肉による重みに大抵のイスはぎりぎり耐えるが、時折こういうことになるのだ。

「……」

「……失礼」

 静夏は咄嗟に謝ったが、ここで立ったままというのも相手に威圧感を与えてしまうのではという考えが脳裏を過った。

 さてどうすべきか、と迷っているとエルセオーゼが目を泳がせてしばし考え、そして新しいイスを手配しようと言い出したので静夏は更に恐縮する。

 そこへミュゲイラが手を上げて言った。

「姉御、ここはこのイスを活かしつつ空気イスなんてどうっすかね! トレーニングにもなりますよ!」

「……いや、その、聖女よ、そう無理をせずとも」

「ほう、それはいい考えだ。さすがミュゲだな」

 いい考えなのか? という顔をエルセオーゼはしたが、褒められて照れたミュゲイラが浮かれながら空気イスをし、静夏もそれに倣ったのを見て口に出すのは堪えた。


「それにしてもそちらのイスと合わせて古いもののようだ。もしやリラアミラードから持ってきたのだろうか?」

「……ああ、家は潰されたが一部の家具は使えたのでな。新しく作った方が早いが……まあ人間より長く生きる我々も郷愁くらいはあるということだ」


 エルセオーゼはイスの肘置きを撫でて言う。

 もちろんすべて捨ててきた者もいるが、自分たちは捨てきれなかった、と。

「儂は……今度こそ里の者を守りたいと考えている。そのために必要な情報なら渡そう」

「痛み入る。では魔獣の特徴などはわかるだろうか?」

 エルセオーゼ曰く、現在この里に潜伏していると思しき魔獣の見た目はわからないという。

 もしかすると目撃した者はいるかもしれないが、今のところ里長の元に情報として上がってはいないらしい。

 ただし旅人が訪れる前はそのような被害は一切なく、襲われるのも余所者ばかり。

 更には三件とも事が起こったのは夜中であることから、魔獣がいるなら夜行性ではないかという点が挙げられた。

 魔獣にこの世界の法則に則った習性が備わっているのはままあることだ。

 静夏は聞いたことをひとつひとつ覚えながら頷く。

「夜間か、となると魔獣を探す場合は夜の方がいいかもしれないな……」

「ヨルシャミに灯りを出してもらいましょーよ」

「ヨルシャミ?」

 興味を示したエルセオーゼにミュゲイラが「あれあれ」と人差し指を立てる。


「うちにもベルクエルフがいただろ、あれがヨルシャミ」

「ああ……そうか、さっきの口振りだと治療師ではなく魔導師なのか?」

「天才的な魔導師だ。我々もよく世話になっている」


 何かを考え込んだエルセオーゼを見て静夏はヨルシャミの肉体の主、セラアニスがエルセオーゼの娘であるという話を思い出した。

 静夏はセラアニスに直接会ってはいない。

 合流する前に眠りについてしまったため、伊織たちから聞いた話でしか知らないのだ。

「……そんなに娘さんに似ているのだろうか」

 そう訊ねてみるとエルセオーゼは渋面に近い表情を作って俯いた。

「生き写しだ」

 短くそう言い、しかし親族の可能性があるならこういう可能性もありえないわけではない、と付け加える。

「里を抜ける者が多い時期があったからな。その頃に儂の親族も数人消えた。今どうしているかはわからんが、巡り巡ってその血を持つ者が帰ってきたのなら……歓迎しよう」

 エルセオーゼは指を組んで言う。

 言葉の最後は絞り出したような声だった。



「――これ、セラアニスについて伝えるべきか悩むやつっすね」

 里長の家からの帰り道、ミュゲイラが声を潜めてそう言った。

 静夏は小さく頷きつつ口を開く。

「知らない方がいいこともある。だがそれを決めるのは恐らく我々ではない」

「……セラアニス本人?」

「そうだ。だがそれも酷なことかもしれないな」

 もしセラアニスにそれを問うことになるとすれば、伝えるのは伊織とヨルシャミになるだろう。

 ならば判断はあの二人に任せよう、と静夏は言う。

「もし二人の手に負えず、判断に迷った時は私も知恵を絞る気でいるが」

「あたしもあたしも! ……にしても、セラアニスに直接会えりゃ色々声をかけてやれるんだけどなぁ……」

 いくら目覚めたとはいえヨルシャミの意識を抑えて表に出てくることはない。

 夢路魔法の定員、そして訓練に使っていることを考えると伊織を差し置いて使ってもらうのも少し悪い気がした。そう口にしながらミュゲイラは「それに」と眉根を寄せる。


「夢路魔法の世界、そこに居るんっすよね? ニルヴァーレ……」

「ああ、うむ、そうだな」


 憑依の訓練がてら王都では比較的長時間表に出ていたらしいが、直接会話をする機会は少なかった。

 騎士団を鍛えるために呼ばれた時も指導に手いっぱいでニルヴァーレとコミュニケーションというコミュニケーションは取れなかったのだ。話しているのを遠目に見た、という程度である。

 それも伊織の姿と声によるものなので、いまいち「会った」という実感が湧かない。

 しかし夢路魔法の世界なら彼もそのままの姿をしているのだろう。

「なんつーか、あたしにとっては未だに第一印象がアレだったんでどう接したらいいかわからないんですよね……」

「私は落ち着いて話す機会があれば是非、と思っているが」

「えっ、さすが姉御……!」

 静夏は曇天を見上げて言う。

 ニルヴァーレと戦った時はとても青い空だった。


「私とニルヴァーレは戦うことでしかまだ交流できていない。少し風変りな性格かもしれないが……対話は可能だ。ならば話をしたい」


 彼の言葉を流さず。

 彼の言葉を軽んじず。

 彼の言葉に耳を傾けたい。


 そんな気持ちなのだと静夏は言った。

 ミュゲイラは目を瞬かせつつも歯を覗かせて笑う。

「そんじゃそれ、今度あいつがイオリに憑依した時に叶えちゃいましょーよ!」

「だが貴重な時間を割かせるわけには」

「憑依してる時間を伸ばすためにちょいちょい訓練してるんっすよね? なら会話しながらでも可能だと思うんですよ」

 そう熱心に言われ、静夏はしばし思案した後にうっすらと笑った。


「――そうだな。今度伊織たちに時間を貰えるか訊ねてみよう」

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