第245話 リーヴァの額

「オルバ! ヘルベール! 勧誘断られちゃった~!」


 そう元気よく帰ってきたシァシァが部屋のドアを開けた瞬間、ヘルベールはここしばらくで一番の眉間の皴の深さを記録した。

 なぜか全身が粘液にまみれている上、服のそこかしこがぼろぼろになっている。耳飾りだけいやに綺麗なのが逆に目立った。

 しかもどんな手荒な勧誘をしてきたのか、よく見れば中指の指先がなかった。

 なぜか血は流れていない。

 どこから何を言うべきか頭の中で整理した後、ヘルベールはそっと口を開いた。


「不潔だ。とりあえず身を清めてこい。その後勧誘の件と……外の魔獣騒動について説明をしてもらう」

「ハァーイ、ちなみにこのベトベトは不可抗力だからネ! 望んで汚れたワケじゃないヨ!」

「わかったから早く行ってこい。着替えは用意しておく」


 ヘルベールも本当は世話など焼きたくはない。

 そもそも地位としてはシァシァの方が上である。

 しかしある程度世話を焼いた方がさっさと動いてくれる、というのもこれまでの付き合いの中で実証されていた。

 ドアを閉めようとしたシァシァの背中にオルバートが声をかける。


「一つだけいいかい」

「ン?」

「断られた、ということはこちらの作戦はそのまま進めていいんだね」


 無情なほどまっすぐな確認だ。シァシァはオルバートの顔を見て細い目を更に細め、イイヨと笑った。

 一見して楽しげで加虐的な笑みだが、諦めを含んだ乾いた笑みにも見える。

 そしてシァシァはドアを閉めながらオルバートの耳に届くように言った。


「――確認したってやるでしょ。キミはそういうヤツだ」


     ***


 伊織は屋根の上に転がっていたウサウミウシを抱き上げて汚れを拭き取った。

 怪我は当たり前のように無く、ウサウミウシ自身もすでに何に怒っていたのか忘れていそうな平常運転である。しかしあの時自分の主人が危害を加えられていると感じ、シァシァに立ち向かってくれたことを伊織は嬉しく感じていた。


「あとで美味いもの食わせてやるからな」


 今はしわの寄っていない眉間を撫でてやると、ウサウミウシはぴぃぴぃと鳴いて喜んだ。

 想像以上に食べそうな予感がしたが、今回ばかりは好きなだけあげてもいいだろうと伊織は思う。そうしているとヨルシャミが少し声のトーンを落として言った。


「しかしこのタイミングで現れるとはな……まさか魔獣騒ぎもあやつのせいか?」

「うん、本人が言ってた。……っそうだ、魔獣! 全部倒しきれたのか!?」


 ヨルシャミは辺りを見回す。

 未だに風に血生臭さが含まれているが、耳障りな足音や鳴き声はしない。


「召喚獣に任せてこの周辺のものは倒しきった。奴らは逃げ隠れするより積極的に人前に出てくるタイプ故、見落としは少ないとは思うが……とりあえず一度集合場所へ向かうか」

「わかった。まだ皆が戻ってなかったら応援に行こう」


 シァシァの件は早く伝えたいが、まずはすべての対処が終わってからだ。

 バイクはしばらく再召喚できない様子のため、伊織はワイバーンに指示を出そうとして振り返り――彼女がどこからどう見ても心底落ち込んでいることに気がついてぎょっとした。

 頭を垂れて隻眼をしょんぼりさせている。


(も、もしかして何回も避けられた上に逃がしちゃってショックを受けてる……?)


 こういう時、主人としてどんな行動をするのが正解なのだろうか。

 身内が落ち込んでいたらかける言葉はすぐ浮かんでくるが、ワイバーンのことをまだほとんど知らないと自覚した後だと、クラスの女子が落ち込んでいるのを前にしたような迷いが強い。

 そう伊織が戸惑っているとヨルシャミが一歩前に出た。


「ワイバーンよ、あれに逃げられたのはお前に非があるわけではない。だがもし不甲斐ないと感じているのなら、伸びしろを手繰り成長する道を歩め」

「ヨルシャミ……」


 ヨルシャミは微笑んで伊織を指す。


「お前の主人はその方法を持っている。良き贈り物と共に、な」


 ワイバーンに贈るべき名前。

 そして名前を贈るという行為に籠められた、絆を深めたいという意図。

 伊織はヨルシャミからワイバーンに視線を移すと片方だけの目を見上げて言った。


「……ワイバーン。今よりもっと強くなるために、そして君のことをもっとよく知るために、その第一歩として名前をあげたいんだ」


 ワイバーンは目をぱちくりさせて伊織に視線を返す。


「リーヴァ。もし嫌じゃなければ……前に君が名乗った名前を僕からも贈りたい」


 その名前が故郷で名乗っている本名なのか、ワイバーンが好んでつけたものか、はたまた適当に名乗ったものかはわからない。しかしそれもひっくるめて今後知っていきたいと伊織は告げた。

 一個人として見て、そしてきちんと知り、その上で絆を結びたい。

 それが強くなることよりもまず先にすべきことであると同時に、強くなるための布石でもある、と。

 ワイバーンはしばらく言葉を咀嚼した後、普段よりも少し高く鳴いて低くした頭を差し出した。撫でろの合図だ。


「受け入れてくれるのか?」


 もう一度鳴き、擦りつけられた額を伊織は笑みを浮かべて撫でる。

 すると魔力がワイバーンに――リーヴァに流れるのがわかった。魔力譲渡とは感覚の異なるこれは名付けが成立した証だ。

 伊織はニルヴァーレが言っていた『ワイバーンは人型にもなれる』という話を思い出す。自分との繋がりが強化されたのならそれが可能になったはず。その考えを表情から読み取ったのか、隣でヨルシャミが笑う。


「今なら人型になれと命ぜられるのではないか。百聞は一見にしかず、いい機会だし試してみるといい」

「うん、小回りが利くようになったら戦闘にも活かせるかもしれないしな。……よし」


 伊織はリーヴァに「人型になってみてほしい」と伝えた。

 ニルヴァーレに仕えていた時のような成人女性の姿を思い浮かべる。とはいえ直接見たことはないのでバルドたちの話から想像したものだ。

 リーヴァは久々なのかしばらく考えた後、目をきゅっと瞑る。その瞬間巨体が物理的に圧縮され、人間のシルエットを形作った。


「……ん?」

「あれ?」


 ヨルシャミと伊織は意味がないとわかりつつも同時に目を凝らす。

 現れたのは成人女性ではなく、二人と同じくらいの背格好をしたロングスカート型メイド服の少女だった。

 黒髪と赤い目、そして冷静沈着な面持ちは話に聞いた通りだ。

 黒髪は前髪も含めて後ろで纏められ、耳は尖っているがベルクエルフよりも更に短い。悪魔耳、というものを伊織は思い出した。

 右目は傷跡に塞がれたままで、そこが一番色濃く原型の要素を残している。

 でもなんで小さいんだ? と、そんな顔をしていると再び頭を差し出された。成功したので褒めろという要求だ。


「えっと……」

「……よ、よいぞ」


 なんとなく横目でヨルシャミに許可を求めると、戸惑いつつもそんな答えが返ってきたので、伊織は深呼吸してからリーヴァの頭を撫でた。


 撫で心地は、まさに人間そのものだった。

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