第217話 無自覚の可能性

 寝起きからヨルシャミが鼻血を流していたので、伊織はぎょっとしたついでの如くベッドから落ちた。


 夢路魔法の世界から抜け出し、眠りについてから翌朝を迎えたのだが――静夏曰くヨルシャミは本当に限界ぎりぎりまで魔獣の被害者を回復して回っていたらしく、今もダメージが残っているのだという。

 ニルヴァーレの魔石やセラアニスの脳による緩和が効いているはずだが、それでもこれだけぐったりとしているということは一体どれだけ頑張ったんだろう、と伊織は眉根を寄せた。


 部屋には静夏以外の姿はなく、どうやら二人を気遣って昼まで寝かせてくれたらしい。

 他のメンバーはそれぞれ思い思いに行動中とのことだ。だが休んでいるわけではなく、ほとんどが住人の手伝いや旅の準備、自主トレーニングなどだろう。

 伊織はハンカチでヨルシャミの鼻を拭おうとしたが、その瞬間本人が親指で拭って再びぎょっとした。


「この鉄の味にも慣れてきたな……」


 動揺の欠片も見せずに掠れた声でそう言い、上半身を起こしたヨルシャミに伊織はあたふたとする。

「起きて大丈夫なのか?」

「心配するな、毛細血管が少し弱っているくらいだ。前ほど回復に時間もかかるまい」

 それでも心配げな伊織を見て静夏が「ふむ」と思案顔を覗かせる。


「回復には滋養が必要だ。それに伊織も腹が空いているだろう、私が二人分の粥を作ってこよう」

「母さんが……!?」

「シズカが……!?」


 いくら料理の練習をしたとはいえ、まだ一回だけだ。

 しかし作るのはお粥。料理としてはイージーモードである。

 折角の気遣い、そして母のやる気に伊織とヨルシャミは不安を口にすることはできなかった。

 むしろ率先して「じ、じゃあ母さんのお粥が食べたいな!」と盛り上げる。

 その結果――


「……」

「……ふふ」


 思わず微笑んでしまうような薄墨色の儚いお粥が目前に並ぶこととなり、二人は申し訳なさそうな静夏の目の前でそれを完食すると頷き合ってベッドに突っ伏す形で再び眠った。


     ***


 ――何はともあれ、しっかり寝たおかげか体力も回復し、伊織とヨルシャミは改めて部屋に集った仲間たちと情報交換を行なうことにした。


 シァシァの説いていた諸々の信憑性は不明、しかし延命装置を作った張本人であることは確かだと伝える。

 去り際に寄越した名刺には特に魔法などはかけられていないようだったため、念のため持っておこうということになった。

 もちろんかけている魔法を隠蔽する方法は色々とある。ぱっと見ただけではわからない種類の魔法もある。そのため現時点でできる確認だけでは心からの安心はできないが、それなら破棄する方が怖いなという結論に達したのだ。

 得体の知れないものを捨て、それを罪なき一般人が拾って被害が出ては目も当てられない。


 パトレアに関しては今後再び現れる可能性があるが、今のところ競争を受けさえすればそれ以上の害がないため、必要に応じて勝負は受ける方向で固まった。

 伊織としてはバイクの「勝負は受けたい」という気持ちを曲げなくて済んで少しほっとしている。

 ワイバーンの名付けについて話を出した時、真っ先に興味深げな顔をしたのはミュゲイラだった。


「へー、繋がりの強化のためにワイバーンの名付けか~。そんな方法もあったんだな」

「はい、けどなかなか思いつかなくて……ミュゲイラさんなら何て付けます?」


 あたし? とミュゲイラは自身を指してからたっぷり数十秒悩み、引き結んだ口を無理やり開いて言った。


「ミ……ミケ」

「三毛でもネコでもないのにミケ……!」

「昔そういう名前のカメを飼ってたんだよー!」


 カメなのにミケ……! となりつつ再び悩む伊織の背を静夏が軽く叩くように撫でる。


「最終的に決めるのは伊織だ。じっくり悩んで良い名を付けてやるといい」

「……うん」


 名前とは贈り物だ。

 どんなものであれワイバーンが親しみを持てるものにしたいな、と伊織は改めてそう思う。



「それで……私の意見も聞きたいというのはどういった話だ?」

 しばし会話を重ねた後、伊織から就寝前の話を聞いていたヨルシャミがそう問い掛けた。

 静夏は座った足の上で手を組んで言う。

「今回遭遇した魔獣に関してだ」

「ふむ?」

「頭以外はほぼ人間と同じだった。元からそうではなく成長過程で人間寄りに変異したようだが……この魔獣、人の言葉を操ることはできないが、理解しているような節があった。これをヨルシャミはどう見る?」

 ヨルシャミは目を眇め即答はしなかった。

 代わりに緩く首を傾け、思考に任せて視線を流す。


「――魔獣や魔物は……どういう意図があるのかはわからないが、こちらの世界の生き物に姿形を似せているように思うことがあった。千年前も居たが、あの頃より――そうだな、人間のような部位が増えた気がする」

「人間のような部位?」

「イオリも見ただろう、ベースとなる生き物に他の生物の特徴を切り張りしたような魔獣に人間と同じものが付いていたのを。特に、そうだ、目だ。目が多い」


 たしかに一見してそれとわかる異形だというのにそこに『人間の目』が付いており異様な威圧感と不快感を感じたことがあった、と伊織は思い出した。

 ということは魔獣は人間を模すことも可能ということだ。


「基本的に魔獣はベース生物の特性を受け継いでいる傾向にある。蝙蝠型魔獣が日光を嫌っている、等であるな。とすればシズカらの遭遇した魔獣は人間ベースか……幼体は他生物だったが成長過程で交流のあった生き物の姿を模す性質があったのかもしれない」

「人間ベース……知能の高い生物を模したのは初めて、ということになるのだろうか」

「そうだな、少なくとも私は今まで似たケースを聞いたことがない」

「……ヨルシャミよ。私はこれは魔獣の進化の一つではないかと思っている」


 静夏は狼頭の雪女と戦い、小屋を守る彼女を見た時に感じたことをヨルシャミに話した。


 近頃増えてきた強力な魔獣の出没頻度。

 それを侵攻の強化と捉えるなら、魔獣の進化も強化の一つではないか。

 しかしそれはまだ試験段階であり、あの魔獣は人間の特性を得ようとして逆に人間らしくなりすぎたのでは。それとは別に魔獣としての本能があるため、人間の特性と相性が悪かった――そんな予想の域を出ないが、拳を交えて直に感じたことを。


 聞き終えたヨルシャミは小さく唸った。

「ありえなくもない……が、ふむ、今後同じケースが現れた場合はその考えを大いに参考にし観察するのも有りだな。人間の特性を上手く利用できるようになった個体が現れることもあるかもしれん」

 もしもそんな個体が現れれば強敵になるのは必至。

 ならばそれを予想し対策を考えておくのは無駄ではない、とヨルシャミは言う。


「っていうかさ、そういう試行錯誤みたいなことしてくるってことは、やっぱこっちへ侵略してきてる世界って意識してやってるってことか?」


 話し終えた時、ずっと黙って聞いていたバルドがそんなことを口にした。

 それを聞いてサルサムが肩を竦める。

「そりゃこれだけ色々やってるんだ、意識してるし意図的だろ」

「けどそれならもっと早くから色々試してる気がするんだよ、いくらナレッジメカニクスのせいで穴に影響が出てる可能性があるとしても急すぎないか?」

 世界に開いた穴が広がっていたとして、その結果試せる侵略作戦の幅も広がったとすればわかる。今ようやく手を広げることができた、ということだ。

 しかし何だか違う気がするんだよとバルドは頬を掻いた。

「ううむ、感覚的なことのようだな。それを肯定することも否定することもできないが――」

 ヨルシャミは言葉を継ぐ間に瞬きを一回してから口を開く。


「――それは先ほどシズカから聞いた魔獣の話も同じこと。バルドよ、その視点は大切だ」


 否定されるかも、と思っていたのかバルドは目を丸くすると嬉しそうに笑った。

「へへ、まぁマジで感想も感想だから、何かの参考になることがあるかはわからないけどな」

「いや、侵略が意図的に行なわれているわけではない……そんな可能性も心の隅に置いておいた方が良いだろう。我々には情報が少ない故な、対処法を考えるのにも想像力で補うしかない」

 まだその説を軸に何かを考える段階ではないが、すぐにその説に至ることができる道を予め敷いておくのは大切なことだとヨルシャミは重ねて言う。


     ***


(侵略しようと思って侵略してるわけじゃない可能性、か……)


 伊織もその可能性に初めて思い至った。

 しかし現状こちらに害を与えていることなら、理由は何であれ一番の原因である世界の穴を塞ぎ魔獣を倒す目的は変わらない。

 だが伊織はその可能性よりも気になっていることがあった。


(……これからもっと人間に近い魔獣が出てきたとして)


 自分は、それを相手に羊型魔獣のように割り切れるのだろうか。

 静夏は出来る限り割り切っている。ニルヴァーレを相手にした時もそうだった。

 しかし伊織にはまだその自信がない、というよりも想像すら上手くできない。


 いつかそんな状況に直面した時、すぐに対応できるようここにも道を敷いておくべきだ。

 伊織はそう静かに思い、しかし言葉にすることはできず、ろくに湧いてもない唾液をごくりと飲み込んだ。

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