第211話 驕り、油断、軽視
まず、ヨルシャミは世界の神と対話したのかどうか。
ヨルシャミ曰く呼び出せたのは一瞬で、その時の世界の神は溌溂とした青年の姿をしていたのだという。
ただしその印象は酷く曖昧で、髪は黒髪に見えたと思えば角度が変われば色が抜け、しかし一呼吸の間に元に戻って見えた。
瞳の色も暖色系に見える時間が比較的長かったものの、瞬きをするたび濃い茶に染まったり瞳孔すら見えない黒になったりと忙しない。そういった移ろいが体の各所で起こっていた。
「しかし移ろう中にもその色、形である時間が他より長いものが必ずあった。聞いたことがあるか? この世の普通の神が現世に現れる際、受肉するのに依り代を使わぬ場合は己の遺伝子を使い体を作り出すのだ」
「ええと、元から肉体がないってことだよな? なのに遺伝子?」
「その神ともっとも相性がいい遺伝子データ……とでもいうのだろうか、そういうものが各神々の中に概念として存在しているらしい。まあ神の化身など早々会えるものでもない故、直接聞いたわけではないが」
現代風に解釈は必要だが伝承として残っているものを聞いたことがあるという。
もちろん一般人に浸透している認識ではないが、ナレッジメカニクスも知っているかもしれないなとヨルシャミは言った。
世界の神にとって相性のいい遺伝情報を反映させたものが、一番長く見えた姿ではないか、というのがヨルシャミの憶測である。
「けど真っ白な世界で僕らと会った時は普通の初老の男の人って感じだったし、他の姿にもなってなかったけれど……」
「接触できたくらいだ、そこはこの世界の領分ではなかったのではないか」
「自分の体の中に手を突っ込んで色々するのは難しいけど、自分の目の前の空間で色々するのは容易、みたいな?」
「うむ」
ならべつに相性のいい姿をしている必要はなく、相手が警戒心を抱きにくい姿を選んだ可能性はある、ということらしい。
それは条件次第で姿形を自在に変えられるということ。
その性質はヨルシャミの夢路魔法に似ていた。
(たしかにそれなら夢路魔法がキーの一つなのも納得できるかも)
ヨルシャミ曰く、最近までは夢路魔法は高位の魔導師なら使えるものだと思っていたそうだ。
なにせ自分は恐ろしく簡単に使うことができたからである。
しかし実際は――血筋に由来するものではないため、たしかに才覚のある者なら使えるかもしれないが、夢路魔法を『知識としてすら知らない者』が大半だと伊織たちと旅をしている間に認識を改めたらしい。
伊織はぽんと手を打つ。
「ああ、だから初めて夢の中で会った時に魔法でやってることだとすぐ察せって怒ってたのか……」
「わ、悪いことをしたなとは思っているぞ」
誰でも知っているはず。
その誤解に気がつくことが出来なかったのは、夢路魔法がカルガッサスの死後に会得したものであることと、ヨルシャミが当時の他の魔導師とまともな交流をしてこなかったからだそうだ。
認識のすり合わせをする機会があまりにも少なかったのである。
「もちろん魔法の知識を得る過程で交流を図ることはあったぞ、しかし……」
「しかし?」
「あやつらめ、私の魔力は生き物だという持論を鼻で笑って否定したのだ。しかも幾人も! そんな奴らと深い話をする仲になるはずないだろう? ……決してぼっちだったわけではないぞ」
小声なのにめちゃくちゃ発音が綺麗な付け足しであった。
「ま、まあ、そんなこんなで私が世界の神と相対したのは一分にも満たない。会話という会話もなかったが――そうだな……会話ではないが、自身を呼び出す危険性は一方的に説かれた」
そして大変なことをしてしまったと、ヨルシャミはその時ようやく自覚したのだ。
夢を介していたとはいえ運が悪ければあの瞬間世界のすべてが台無しになっていた。それを自覚なしに行なってしまったことが一番怖かったという。
神はそんなヨルシャミに怒り狂うでもなく、冷静に叱るように危険性をわかりやすく言葉にした。
「男の声と女の声、老人の声に子供の声。それらを混ぜた、しかし不快感のない声だったな。……そうだ、親に言い聞かされているような厳しさと優しさを感じた。私にそんな経験はないのに、だ。これは私がこの世界の者だからだろうか……」
いわば世界すべてが神の一部、そして子供のようなものだ。
伊織は白い世界で会った神のことを思い返す。
テンションが高く話の運び方が性急。しかし――たしかにどこか相手を気遣うような、そんな気配はした。
信じてもらうためにある程度演技をし説明をスピーディーに進める。故に親しみやすいキャラクターとなり、話運びは性急になる。そんな中で垣間見えたその優しさが神の本性に近いのなら。
世界の神が自分たちを利用しているかもしれない。
そんな疑いがあっても、やはり今は信じたい。
甘いかもしれないが、伊織は再び心の中に自然と湧き上がったその気持ちを逃さないよう手繰り寄せた。
「それで、その、ヘマについてだが」
ヨルシャミが咳払いをしつつ言う。
「い、いいい、いいか? しっかり話すのはお前にだけだぞ? 皆には言うんじゃないぞ?」
「も、もちろん……! ヨルシャミにとっては結構恥ずかしいことなんだよな、そんなことを言いふらしたりはしないよ」
ならいい、とすぐに信じたヨルシャミはやや視線を泳がせて語り始めた。
それまで何度もナレッジメカニクスを撃退し、辛酸を舐めさせる側に立ち続けていた在りし日のヨルシャミ。
その山積みになった成功体験は性格も相俟って驕り、油断、軽視を生みに生み、ある日ついに最悪の事態を招いたのだそうだ。
当時のナレッジメカニクスは今よりも血気盛んな者が多く、加えて魔導師の素質に優れた者が数多と生まれた時代でもあったため、それらの一部を取り込み組織としても活動的だった。
まずヨルシャミが世界そのものの神とのコンタクトを取る方法を持っている、と彼らに知れてしまったのもヨルシャミ本人のミスからである。
たまたま酒場で同席した男に酒の勢いで夢物語のようなそれを話してしまい、その男がナレッジメカニクスの下っ端だったことで興味を引いてしまったのだ。
「あの頃の私は気にしていないつもりだったがな、今ならわかる。一人で抱えるには荷が重すぎたのだ。だから魔導師と何の縁もない一般人に酔っ払いの狂言として漏らした。阿呆なことだ」
まさか信じるとは思っていなかったというのもある。
加えてやおろずの神はいても世界そのものの神などいないと皆が皆信じている世界でそれを覆せる『事実』を抱え、そして自分が世界を危険に晒した、しかも再び同じことを起こせる方法を知っている、というプレッシャーは相当のものだった。それを軽減したかったのだ。
自分が楽になりたい一心で墓穴を掘ったのである。
「その後ナレッジメカニクスをいなす内に罪悪感も薄まり、私はヘマをした。その日私を捕えにきたのは子供だったのだ」
「子供?」
「ああ。年の頃は今のイオリより少し上だったろうか……顔の半分を仮面で覆った、しかしそれ以外はただの少年だ。長命種ならさておき、見目から人間と判断した私は舐めきっていた。子供を使えば私が油断するとでも思ったのか! とな」
派手に油断したんだが、とヨルシャミは眉をハの字にした。
「しかしまあ、結論を先に言うとその子供はナレッジメカニクスの首魁だったわけだ」
「……首魁……ボスってこと!? 子供が!?」
「恐ろしいだろう、延命装置を使っているような様子はなかったのだぞ。だが正体を知った後は見た目通りの子供にも思えなかった。奴は油断した私に次々と発明品……魔法と機械の融合兵器だろうか。それを使い攻撃を浴びせると回復の間も与えずに四方に潜ませていた仲間を呼んだのだ」
つまりヨルシャミは相手を舐めきり、しかし相手は首魁が出てくるほど全力だったのである。
それに気がついたのは最後の瞬間だった。
自分一人のために総力をつぎ込んできた。
初動が遅れ、自分は力の半分も出せなかった。
勝敗が分かれるのは目に見えていたともいえる。
それを悔やみながらヨルシャミは自分の心臓に脳をロックする魔法をかけ――その後脳移植され、千年経って目覚めてから伊織に助けを求めた、というわけだ。
ヨルシャミは自嘲気味な笑みを浮かべる。
「捕まった際にニルヴァーレもいたように思うが、奴がどのような表情をしていたかさえ思い出せないほどだった。……どうだ、自分の力を過信した者の末路としては王道だろう? 報いとして肉体を失うなど生温いぐらいの――」
「それはヨルシャミが言っちゃだめだ」
「……イオリ?」
伊織はじっとヨルシャミを見る。
世界を危険に晒した。
抱えきれずにたった一人の他人に漏らした。
何度も襲われる中で油断し捕まった。
たしかに罪に問われるかもしれないが、伊織はそれを愚かなこととして片付けたくなかった。ヨルシャミが人らしく生きていたからこそだ。
その結果脳を摘出され、他の肉体に閉じ込められ、千年も眠ることになった事実を『生温い報い』などと言ってはならない。伊織はそう強く思う。たとえ本人が体が変わってしまったことを一般人ほど気にしていないとしても。
「もし、もしヨルシャミが報いを受けなきゃならないことをしたと思ってるなら、すでにそれだけの報いは受けてる。君が受けたことを軽く扱っちゃだめだ」
「……」
「もしまだ足りないってどうしても思うなら、僕も背負う。一緒に世界を救って償おう」
ヨルシャミは肩を跳ねさせる。
それはしゃくり上げたようにも思えたが、すぐに肩を揺らして笑い始めた。
「まったく、お前はやることなすこと眩しすぎるぞ! ……だがそこまで言ってくれるのならば、私も応えたくなってしまう」
「ヨルシャミ」
「すまなかったな、私はやはり己のしたことが愚行に思えるが……愚か者は愚か者なりに世界を救って償ってみせよう。――そして、この私を『酷い目』に遭わせたナレッジメカニクスにも相応の報いを受けさせる」
伊織は目を瞬かせた後、歯を覗かせ笑って頷いた。
その笑みを見たヨルシャミは途端に気恥ずかしくなったのか頬を染めてそっぽを向くと「そ、そうだ!」と強引な話の転換を試みる。
「温まって体力も大分回復した故な、今なら二人纏めて暖かな風を纏うことができるぞ!」
「えっ、マジで!」
思わず素の感想を漏らした伊織にヨルシャミはふふんと笑う。
「如何にも! まあ相も変わらず短時間だが、それでも今なら重宝するであろう。ふふふ、後で余力があれば服も乾かしてやろう」
では早速、と魔法の準備をするヨルシャミは――過信していた。
昔とは違った方向からの驕り、油断、軽視。
それは『話を変えるついでに恋人にいいところを見せちゃおう』という形で発現し、結果。
「……ッん、んんんっ!? いや、ちょ、うわァッなぜだ!?」
「ちょちょちょッ……み、見てない見てない! 見……ふぐっ」
「お前の鼻血は正直すぎないか!!」
体に纏った温風でものの見事に毛布が浮き上がり、二人は各々叫ぶはめになったのだった。
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