第207話 諦念の勧誘

 ――それはナレッジメカニクスに入らないか、ということだろうか。

 ほんのひととき思考が停止していた伊織は我に返ると眉根を寄せた。


「……世界を殺そうとしている人たちに協力はできません」

「アハハ、それは今の目標が穴の向こうだからさ。気になるならキミが組織の内側から働きかけて別の目標にすればイイんじゃない?」


 大きな組織を変えようと思うなら内側からの方が早い。そうシァシァは当たり前のように言う。

 まるで居場所としては重宝しているが、組織の目的そのものに思い入れはないかのようだった。ニルヴァーレといい所属している面子に貢献する気持ちが薄いのは何故なのだろうか。

 そう気になりつつも――どんな理由であれ、伊織は初めから決まりきった結論を口にする。

「それでも人体実験をしたり他人の生活を脅かすでしょう」

「あァ、そうか。キミはどんな犠牲も許せないのか」

 ウーン、と頬を掻きながらシァシァは思案した。


「そもそもなんでキミたちはヒトを守りたいんだい? 同族だったり共生対象だから? それとも自分に課された使命だから?」


 心底わからないという顔に伊織は震える。

 普通に暮らしている人々を搾取し脅かすことにちっとも罪悪感を感じていないのだ。

「伊織君、ヨルシャミ君、キミたちはもっと自由に生きてイイ。使命なんて他人から与えられたモノじゃないか、そんなものにかまけてるくらいなら自分の好きなモノをトコトン突き詰めた方がイイと思わないかい?」

「し――使命だからやってるわけじゃないです。僕は僕が皆を救いたいと思ったから、異世界の侵攻を止めたいと思ってるんです」

「本心かい? いいや、今は本心なんだろうネ」

 シァシァは無警戒に伊織とヨルシャミに近づき、細い目を開いて二人を見下ろした。

 その目の奥に何らかの感情が揺らめいたような気がして、伊織はそのまま視線を外せなくなる。


「きっとその内イヤになる。ヒトを助けてもキリがないってネ。どれだけ助けようが進歩なく助けを求めてくるなんて見限られても仕方がない」

「……」

「今までキミたちに助けられた者、罰されたものの新たな道を用意された者、そういう奴らの中には綺麗な生き方をする者もいるだろう。ケドこの世界にどれだけのヒトがいると思う? 本当にキリがないヨ、そんなモノを守るコトを生き甲斐にするなんて命の無駄遣いだ」


 侵攻されたっていいじゃないか、ここで一度まっさらにしちゃえばいい。

 そうシァシァは本心から口にした。

「想像してみなヨ、非力なくせにヒトの言うことを聞かずに好き勝手して、困ったことがあったら縋ってくる三歳児を数千年面倒見るとか地獄でしょ。……あァ、地獄だった」

 伊織はシァシァの瞳の奥の感情が何なのかやっとわかった。

 数千年煮詰めた最上級の諦念だ。


「これは善意! いつかキミたちは後悔する。サァよく考えて。そのヒトを救いたい気持ちは本物かい? 得体の知れない神が何もしてないとでも? その体の半分は神のもので出来ているっていうのに!」


 シァシァは両腕を広げそう言いきると、右腕を伊織に向かってそっと伸ばす。

 伊織はあの日あの時、真っ白な空間で自分と母親に転生を持ちかけた神のことを思い出した。

 シァシァはその神が自分たちに何かしたと指し示している。

 日本から二人の魂を掬い上げたのも、こちらで新たな肉体を用意したのもあの神だ。何かできる余裕は恐ろしいほどある。ではその『何か』とは何なのか。神のもので出来ているとは一体何のことなのか。


 ――もし『この世界の人々を助けたい』という衝動を必ず抱くように細工をされていたとしたら?


 一瞬だ。

 そんなことを一瞬考えてしまった伊織は冷や汗をかきながらシァシァの右手を凝視した。

 体を内側から揺さぶられたような感覚に呼吸が上手くできない。

 単純な勧誘ではない。

 シァシァは一緒に自由になろう、世界を諦めちゃおうと誘っているのだ。

「僕は……」

 やっとできた呼吸と共にそう小さく呟いたと共に、伊織とシァシァの間へヨルシャミが割って入って腕を跳ねのけた。


「諦めるのは個人の勝手だが、道連れの如く未来ある若者を惑わすのは感心せんな」

「ワァ怖い! まぁこの場で返事を貰えるなんて思ってないからイイんだケド。ただワタシたちの邪魔をするなら知っててほしかったのさ、キミたちが本当に自分の意思で行動しているのかどうかをネ」


 次に会った時はまたいっぱいバイクを見せてネ、とシァシァは内ポケットから出した名刺を伊織とヨルシャミに手渡した。

 上質な紙に名前と似顔絵の描かれたシンプルな名刺だ。

 ヨルシャミはそれを見下ろすと訝しむようにシァシァを見上げ、その視線を受けたシァシァは首を傾げた。


「アレ? 伊織君のいた日本では名刺を渡すのが普通なんだよネ?」

「に、日本の文化まで理解してるんですか」

「フフ、知ってる? 例外はあるケドこの世界の転生者及び転移者は日本に居た人間だけなんだ。長い間ソレを観察し続けて、時には……あァ、今もチョットやってるかな。ウチの研究の一環として扱うコトもあった。だからワタシくらいの幹部ならそれなりに知ってるヨ」


 シァシァは長い指で丸を作ってみせる。

 橙色の爪がいやに際立って見えるのは注視しているからだ。


「地球が隕石の衝突で砕け月ができたように、世界そのものも何らかの理由で二つもしくは複数に分かれた! 並行世界――というよりも、ワタシはこう思うんだ。キミのいた世界とこの世界は姉妹世界なんじゃないかなってネ」

「姉妹世界……」

「もちろん兄弟でもいいヨ? 元は一つだったからこそ場所は限定されるが繋がりを持てる、それが転生に利用されてるんじゃないかって思うんだ。仮説も仮説だケド。ワタシ、そこのヨルシャミ君が世界そのものの神に会う方法を教えてくれれば真っ先に訊いてみようと思ってるのにナァ」


 だから二人纏めてナレッジメカニクスに来てほしい。

 そう再び口にし、シァシァは足音を響かせて小屋の出入り口へと向かった。


「とりあえず今はワタシが傷ついちゃうくらい警戒されてるみたいだし、一旦帰るヨ。出直す! 面白いモノは色々見れたし、まァバイクを間近で見れなかったのは残念だケド……怠惰で真面目な仲間がデータ収集してくれてるだろうしネ」


 何か訊きたくなったら連絡してネ、と一度だけ振り返って名刺を指すと、シァシァは未だ治まらない吹雪の中へ悠々と消えていった。

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