第168話 本当のことを知っても

 リベンジデートの約束をした翌々日。


 伊織とセラアニスは昼と夕方の間、三時頃に再びデートへと出発した。

 二回目ということもあり緊張感は薄く、余裕と時間もあったため今度は伊織が下調べしておいた場所へと赴くことにしたのだが――ここで思いもよらぬ問題が起こった。


「あんたたちだろ、こないだ出た魔獣を倒してくれたって少年と少女!」

「しかも聖女マッシヴ様の息子なんですよね!?」

「うちの孫が危うく餌食になるところだったんです、ありがとうございます……!」


 そうやって老若男女様々な人が行く先々で声をかけてくるのである。

 こんなデートってある!? と伊織はセラアニスに気づかれないよう頭を抱えた。しかもまだ個人としてではなく『聖女の息子』から脱し切れていないのが如実にわかって落ち込みそうになる。

 いやいやまだ藤石伊織として救世主になる道を歩み始めたばかりだろ、と自分に喝を入れて気を取り直したものの――


「聖なる筋肉で魔獣を倒すマッシヴ様に、魔法で魔獣を倒すそのご子息……間違いない! これはインナーマッシヴ様だ!」

(またそれ!? 皆もしかして無意識下で繋がってたりするのか!?)

「インナーマッシヴ様万歳! インナーマッシヴ様万歳!」

「インナーマッシヴ様万歳!!」

「インナーマッシヴ様万歳!!!」

(うわーっ! やめて! やめてー!!)


 ――前途多難であった。



 落ち着いたのは一時間ほど経過した頃。

 人通りの少ない路地にひっそりと作られた公園に避難してからだ。

 日本の公園のような遊具はないが、子供が遊べるように地面の土が均されていた。そこに設置された古いベンチに腰掛けてようやく全身の力を抜く。

「っはー……ありがたいけど疲れた……。すみませんセラアニスさん、あんまりゆっくり見て回れなくて」

「ふふ、大丈夫です。沢山感謝されて嬉しかったですし、……っふふふ、インナーマッシヴ様、……っ」

「ずっとツボってますね!?」

 最初にインナーマッシヴ様の大合唱を聞いてからこの調子なのである。

 しかし楽しんでもらえてるならいいか、と伊織は頬を掻いた。


「……ずっとデートってどんなデートが正解なんだろう、って考えてたんです。結局今も正解はわからずじまいなんですけれど――セラアニスさんが楽しそうでよかった。それだけで成功だなって思えます」

「最初から今の今までずっと楽しいですよ。……正しいデートでなくても、私はイオリさんが選んだデートがいいです」


 だから、とセラアニスは微笑む。

「成功じゃなくて大成功ですね!」

「セラアニスさん……」

 そのままセラアニスはゆっくりと公園内に視線を移した。

 夕方に差し掛かり、建物と木々の長い影が橙色の光と共に伸びている。少し肌寒いが震えるほどではない。

 先日の魔獣事件の影響もあるのか遊んでいる子供はおらず、公園にいるのはベンチに座る伊織とセラアニスの二人だけだった。


「……私、この間わかったことがあって、それについて色々と考えていたんです」


 ぽつり、と話し始めたセラアニスは自分の手の指を組む。

 なんとなく察しながらも伊織は「わかったこと?」と聞き返した。

「イオリさん、改めて伝えます。私は、セラアニスはあなたのことが好きです」

 けれど、とセラアニスは組んだ指に力を込める。

「――その気持ちの起点は別の人のもの。私はもう、し……死んでいて、この体は他の人が使っている。そうですね?」

「……はい」

 ここまできて隠すことは完全な裏切りになる。

 そんな気がして、伊織は何か起これば責任を取るつもりでそう頷いた。

 しかしセラアニスは傷つくより先に安堵した表情を見せる。ちゃんと答えてくれたことが嬉しい、というように。


「あの時、この体の今の持ち主……ヨルシャミさんの記憶を見て理解したんです。私はこの世に一時的に蘇った幽霊のようなものだって」

「幽霊なんかじゃないです。セラアニスさんはセラアニスさんとしてたしかにここにいます」


 伊織の言葉にセラアニスは目を見開いたが、一瞬苦しげな顔をして瞼を閉じた。

「やっぱりイオリさんのそういうところ、大好きです。……他の人の気持ちが起点でも、この街で目覚めてからあなたに感じていた気持ちは私のものなんだなって今は思います」

 だって、とそのまま自分の言葉を継ぐ。


「本当のことを知ってもこんなに……ちゃんと、好きなんです」


 僅かに泣きそうになりながら言うと、セラアニスは組んでいた指を解いた。

「迷惑だったらすみません。けれどちゃんと伝えておきたかったんです」

 すべてを知ってしまったセラアニスの心情を思うと伊織はすぐに返事をすることができず、しかし答えないつもりなど毛頭ないとでもいうように言葉を探す。

 セラアニスは恐らくナレッジメカニクスに脳を抜かれ、体だけヨルシャミの入れ物と枷として利用された。

 その際に死んだのかその前から死んでいたのかは定かではないが、筆舌に尽くし難いほど恐ろしいことだろう。

 しかも今現在ものを考えている脳が自分のものではないということもわかっている。明言はしていないが死んだこととヨルシャミのことを把握しているなら可能性は高い。

 セラアニスが自分を幽霊と称する気持ちが伊織にもよくわかった。

 不確定な存在だからこそ、自分の気持ちをしっかりと自覚できている内に伝えたいと思ったのだろう。

「……」


 ここでもし。

 もし僕も好きですよ、と返したとすればセラアニスは喜ぶだろうか。


 しかしそれは真実ではない。

 ただの優しい嘘だ。

 伊織はセラアニスのことを悪くは思っておらず、むしろ好ましく思っているが、感覚としてはまだ少し前に会ったばかりの少女なのである。

 可愛らしく、しかし芯は強い少女。そんな女の子に好かれればもちろん嬉しい。時間さえあればきっと素直な気持ちで応えられていたが――そんな積み重ねをできるほど、二人には時間がないのである。

(それに……)

 答えを出すべきだと伊織は観念したような心境で思った。

 ベンチに座ったままセラアニスの方を向き、息を深く吸って言う。


「――ここでちゃんと答えない方が不義理になる。セラアニスさんにはちゃんと言っておきたい。そう思うから言います」

「はい」

「僕は……ヨルシャミのことが好きです。そしてセラアニスさんとヨルシャミを同一視するのはだめだと思ってる。ヨルシャミはヨルシャミで、セラアニスさんはセラアニスさんです。だから同じ気持ちをあなたには返すことができません」


 セラアニスは表情を緩めて頷いた。

 まるでわかっていたかのような笑みを浮かべ、その中に僅かに悲しげな感情を潜ませながら。


「けれど気持ちを聞けたこと、本当に本当に嬉しいです。僕に伝えてくれてありがとう、セラアニスさん」

「いいえ……こちらこそ、ちゃんと聞いてくれて……受け止めてくれて、ありがとうございます」


 ゆっくりと立ち上がったセラアニスは片手を伊織に向かって差し出す。

 そして、そろそろ帰りましょうかといつものような声色で言った。


     ***


 自分はたしかにここにいる。


 伊織に言い切られたことで不安もなくそう思えるようになった。

 しかし自分がたしかにここにいるからこそ、ヨルシャミを返してあげることができないのだとセラアニスは同時に思ったのだ。


(でも……もうすぐ皆さんにヨルシャミさんを返してあげられる)


 自分が消え去れば元通り。

 それで丸く収まるはずだとセラアニスは伊織と共に宿へと帰りながら考える。


 ――その前に伊織に気持ちを伝えたのはエゴだった。

 自分の気持ちの片鱗を残しておきたい、ほんの少しでも覚えておいてもらいたい、初めて感じた気持ちを言葉にしたい。それらはすべて『消えてしまう前にしたいこと』だ。未来を向く伊織に背負わせるものである。

 伊織のことを考えればはっきりと伝えない方がよかったのかもしれない。

 それでも受け止めて聞いてもらえただけで、心が弾むほど嬉しかったのだ。


(最後にこんな感情を教えてもらった。だから大丈夫)


 ひとりでも行ける。

 それでも消えてなくなることが恐ろしく、恐怖が心に降りかかりそうになり、そんなものでこの嬉しい気持ちを覆い隠してなるものかとセラアニスは数歩進んで伊織を振り返った。


「えい!」

「っうお……!」


 そして思いきり抱きつき、焦る伊織の声を間近で聞いてくすくすと笑う。

「セラアニスさん!?」

「油断大敵ですよ、イオリさん」

 一度ぎゅうと抱き締めてから笑顔で伊織を解放したセラアニスは声に喜色を滲ませてそう言った。

 セラアニスさんとなら油断しますって、などと言いながらどぎまぎする伊織の様子が面白い。

 その様子は女の子に突然抱きつかれたからであり、好きな相手に接触されたからではなかったが――それでもよかった。


 生きている頃には体験できなかったもの。

 それを今できただけで、十分幸せだ。


 セラアニスは心の中でそう自分に何度も言い聞かせ、道を歩いていく。


 そんなのはあんまりじゃないか、とどこかから聞こえた気がしたが、セラアニスは振り返らなかった。

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