第152話 もっと焦って恋する乙女

 納品物をいくつか完成させ、時間に余裕のできたリータはヒルェンナたちの病院で手伝いをするようになった。


 追加の注文も来ているが夜の間になんとかなる数である。

 なら日中は世話になった病院に手を貸そうと思ってのことだった。

 もちろん治療費や入院費は支払っているが、それとは別にリータは何かしたかった。

 セラアニスも同じだったようで、今は病院のシーツを洗いに裏庭へと出ている。


(トンネルの作業もかなり切羽詰まってるようだったけれど……)


 リータは健脚ではあるが特別腕力が強いというわけではない。作業員のサポート役に関しては街の方から十分な人数が送られているため、考え無しにトンネルに向かっても邪魔になるだけだろう。

 自分はこっちで頑張ろう。そして静夏とバルドが来た時にしっかりと出迎えよう。

 そう心に決めながらリータは枕カバーなどの追加の洗濯物を回収していた。


「そういえばイオリさんは……」


 あれから食事も出来るようになり、体力も大分回復した伊織は明日には退院して宿の方へ合流することになっている。

 回復魔法で傷や不調は治っても失われた体力は自力で取り戻さなくてはならない。なかなか目覚めなかった理由の一つでもあった。

 更には目覚めてからしか出来ない検査もあり、そのため当日退院とはならなかったのだ。

 伊織の姿を探していると診察室の中から声が聞こえてきた。

「……!」

 盗み聞きなんて良くない、と思うもエルフの耳はよく音を拾うため離れる前に会話がわかってしまった。


「――そうですか。これ、いつ治るかわからないんですね」

「高熱の影響だと思うんですが、回復魔法の効きが悪くて早期に手を打てなかったせいかもしれません……」

「あっ、いや、そういう体質だってわかったのは良いことですし! 味がわからなくったって死にはしませんよ!」


(味がわからない……?)

 リータは危うく両手から洗濯かごを落としそうになる。

 そんな後遺症が出ていたとは思わなかった。肩の傷跡だけじゃなかったんだ、と両耳を下げる。

 伊織がリータたちに話さないのは気を遣ってのことだろうか。そう考えているとドアに近づいてくる足音が聞こえ、リータは慌てて物陰に隠れた。

 診察室から出てきた伊織はそのまま待合室を抜けて病院の外へと出て行く。


(……自分に出来ることはないかもしれないけれど)


 直接話題に出さなくても、何か声をかけたい。

 まだ仕事は残っているが、表から裏庭に抜けるついでならいいんじゃないかとリータは自分に言い聞かせた。ちなみに相当の回り道である。


 リータも待合室を抜けようとしたところで出入口の向かいの道で伊織が誰かと喋っているのが見えた。

 もしかしてセラアニスだろうか、などという考えが瞬時に湧いてくる。

「……」

 リータはセラアニス――ヨルシャミと伊織の関係に水を差すつもりはない。

 憧れを拗らせて妙なもやもやとした気持ちになることはあるが、それだけだ。それだけだと自分に何度も言ってきた。

 むしろ応援した方がいいのではないだろうか。そういう風にも思う。


(なにせセラアニスさんは素直だけど、あれがもしヨルシャミさんの気持ちの投影だとしたら……ヨルシャミさん、ものすごーく奥手ってことになるし……)


 恐らく伊織もそうだろう。

 つまり放っておいたら進展するのが十数年後になる可能性もある。片方がエルフなら時間感覚にも差があるため余計にだ。

 恋愛には時には焦りも必要なのよと隣に住んでいたお姉さんが言っていた気がする。お姉さんといっても三百歳を越えていたが、それはさておき。

 環境によるが、時の流れに余裕のあるエルフは平和な物事には焦りを感じにくい者が多いのだ。

 そんな思考にリータは更に思考を重ねる。


(応援……応援っていっても何をすればいいのかな)


 邪魔をしないことくらい?

 そう考えていた時だった。伊織の体で見えなかった話し相手の姿が見え、リータはきょとんとする。

 まったく知らない少女だった。しかも嬉しそうに笑っている。


「え……ええっ!? だ、誰!?」

「リータさん、どうしたんですか?」


 驚いていると真後ろからセラアニスに声をかけられてリータは追加で仰天した。

「あ、の、えっと、あそこでイオリさんが誰かと話してて……知り合いですか?」

 考え込んでしまっていたことと、驚いたことが重なり二人の会話は聞き取れなかったのだ。

 セラアニスはリータ越しに外を見て目をぱちくりとさせる。

「ええと、少なくとも私は知らない方ですね」

 どなたでしょう、とセラアニスは首を傾げる。

 やっぱり焦りがない。むしろ焦っているのは自分だけでは、とリータは妙な焦燥感に襲われた。

「――セラアニスさん、ちょっと待っててくださいね」

「? は、はい」

 リータは診察室へと向かい、ヒルェンナに昼休憩の許可を貰うべく声をかける。少しだけ早いが洗い物も急ぐものではなかったためヒルェンナは快諾してくれた。

 洗濯カゴを準備室に置いたリータはセラアニスの手を引いて外へと出る。

 伊織は少女と一緒に大通りに向かって歩いていた。


「リータさん、一体何を……」

「イオリさんを追いましょう!」

「へ!? な、なんでですか!?」


 リータは眉に力を込めて言った。

「セラアニスさんはイオリさんのことが好きですよね?」

「へぁ!? え、えええと、それは、そ、それは、もちろん……です……っ」

「ならもっと焦りましょう! ねっ!」

 焦る?

 そうセラアニスは尚もきょとんとしたが、手を引いてずんずんと進むリータを振り払うことはしなかった。


 リータは思う。

 ヨルシャミとならいい。けれど。


(他の女の子、しかも知らない子なんてまだ受け止めきれませんよイオリさん……!)


 ――こうして、突然の伊織の尾行イベントが始まったのだった。

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