第150話 バイク先輩の恋愛講座

 夢、と一言に言ってもどんなものかは人それぞれで、それこそ生きている人の数だけ存在している。


 伊織は夢をほとんど見ない。

 ヨルシャミの夢路魔法を使った空間は通常の夢とは異なるため、普段の夢とは別物と見るべきだろう。

 それを除くと月に数度見るか見ないかといったところだ。眠りが深いのかもしれない。

 しかしこの日は夢を見た。

 先客付きの夢である。


 夢路魔法内のヨルシャミでもニルヴァーレでもなく、それは伊織の愛車であるバイクだった。


 記憶から拾い上げたものなのかどうかがわからず、ぺたりと車体に触れてみてやっとわかった。

 これは記憶が具現化したものではなく、バイクそのものだ。

「夢の中にまで来てくれたのか。そういやお前を召喚する前にも一度夢を見たけど、あれもそうだったのか?」

 訊ねてみると声もなく肯定の意思が返ってきた。

 伊織はバイクにもたれかかるようにして座る。


「ちょっとずつ思い出してきたけど……僕、どこか安全な場所に寝かされてるのかな。寝てることにストレスがないような……なんか……上手く言い表せないけどそんな感じがするんだ。なあ、ネロさんがどうしてるかわかる?」


 返ってきたのはNOの意思。

 どうやらバイクも召喚されていないと周囲の状況はわからないらしい。

 目覚める方法もわからないため、折角だしゆっくりと話でもしようかということになった。バイク自身の魔力のこともあり、いつもは移動時か緊急時にしか呼び出さないため意思疎通はできてもゆっくりお喋りということにはなかなかならなかったのだ。

 どうせ待つことしかできないのなら積もる話を消化していた方がいい。


「……やっぱり僕が死んだ時に大破しちゃった、のか。ごめんな、もっと綺麗に転べたらよかったんだけど」


 そんなこと気にしなくていい、と返ってきて伊織は目を細める。

 バイクはその時『死んで』、そして同時に自分に魂があることを知ったのだという。

 伊織を追おうとしたが転生には連れていってもらえなかった。

 それでも近づこうと進んで進んで、十数年かけて元の世界から脱し、そして伊織に召喚してもらうことで再び相見えることができたのだ。

 そこまでして追ってきてくれたことを改めて知り、伊織は嬉しくなりながら「そういえば」と思い出したことを口にした。


「パト仮面だっけ、ええと……あの人、お前にベタ惚れだったけどどう思――、え? 悪くない?」


 速さを競い、速さで惚れたという謎の女性。

 あの時はそこまで深く考える余裕はなかったが、バイクは人から想われることを嫌とは感じていないようだった。

 勝負ももう一度挑まれれば受けたいという。ならばバイクが望むならその時は呼び出そうと伊織は約束した。


「それにしても恋かぁ、恋なー。僕にはなかなか縁のないことだな……って、な、なんだよ」


 表情はわからないがなぜかバイクから半眼で見られているような気がする。

 伊織は「だって本当のことだろ、前世でもモテなかったってお前なら知ってるじゃんか」と慌てる。

 バイクと過ごした日々はそう長いものではなかったが、その短い間でもたっぷりと愛情をかけたつもりだ。

 だからこそバイクも伊織に懐いた。

 しかしそれ以外に愛情を注ぐ対象は母親以外にいなかったのである。

 彼女なるものを作ってバイクに乗せることもなかったし、何ならそこまで親しくなった友達すらほぼいなかった。

 もちろんそれは伊織の境遇と毎日を過ごすことの必死さの差による温度差が招いたことだ。伊織自身がその気になってアピールし交流すれば相応の結果は伴っただろうが――本人は知る由もない。


 現世も目元はともかく顔は恐らく整っている。

 母さんが前世に引き続いて美人なおかげだな、と少し拗らせたことを思うも、恐らくモテないのも前世と同じだろうと伊織は思っていた。

 そしてますますバイクにイマジナリー半眼で見られる。

 バイクは自我を持った瞬間にその自我が人間寄りに形成されたため、繁殖の必要はないが恋はわかるという。なら先輩だ、と伊織が言うと逆にバイクから問われた。


 伊織の思う恋とは一体どういったものなのか。


「うーん……? その人のことが好きでたまらないとか? いや、でも今度は好きの定義がよくわからなくなるか……」

 伊織が唸りながら悩んでいるとバイクが意思を伝えてきた。

 恋は一人でもできるもの。触れたい、一緒にいたいと思えばそうかもしれない、と。

「一人でできる? ああ、そうか、恋愛は二人でするものだけど恋はそうじゃないもんな」

 パト仮面の様子を思い返して伊織は納得した。

 奇跡的にバイクは嫌がっていない、むしろ受けて立つといった構えだが、たしかにパト仮面のあれは『一人でしている恋』だ。


「マジで色恋沙汰についてはお前の方が先輩だなぁ……」


 そう笑いつつも他の話題も重ねていく。

 早く自分の魔力を分け与える方法を学びたいこと、いつも無茶振りに答えた動きをしてくれて嬉しいこと、大人数で移動する時に今度はどんな形状を試してみようか悩むことなど。

 それらを終えた時、伊織はとある疑問が不意に湧いて「そうだ」と続けた。


「ここって夢の中……夢の中みたいなもの? だろ、ならお前も普通に声を出して会話できるんじゃないか?」


 バイクは徹底して現実世界と同じ方法――考えをそのまま伝えてくる方法でコミュニケーションを取っていたが、夢の中の自由度は高い。人間と同じ発生方法で喋ることも可能なはずだ。

 なんで喋らないんだ?

 試してみてもいいと思うぞ?

 そうつついてみると、バイクは少しもじもじとした雰囲気で言った。きちんと人間の声で。


『――恥ずかしいんだ』


 鼓膜に響く中低域の渋い声。

 正直言って耳に残る良い声だ。それがバイクから出ている。しかも恥ずかしいとのたまう。

 伊織はよろめいて体勢を崩した状態で絞り出すように言った。


「バ、バリトンボイスッ!?」


 その叫びと共に景色が白み、布団の感触に包まれていることに気がついて伊織は一瞬パニックになる。

 しかし程なくして自分がベッドに寝ていたことに気がつき、驚愕の衝撃で起きちゃったのか、と目をぱちくりとさせた。


(熱は……下がってる。体も痛くない。ここは病院かな?)


 気を失った後にネロが運び込んでくれたのだろう。

 早くお礼を言わないと、と思っているとベッドサイドで誰かが突っ伏して眠っていることに気がついた。

 ヨルシャミだ。さっきの叫びが口に出ていたか定かではないが、すやすやと眠っているのを見る限り実際には叫ばずに済んだのかもしれない。


「お見舞いに来てくれた、とかかな。それにしても……」


 無事でよかった、と伊織はホッとした。

 最後に見たヨルシャミの姿は酷いものだったが、どうやらヨルシャミも治療してもらえたらしい。

 しかも合流できたという事実がじわじわと浸透してきて嬉しくなる。

 伊織は安堵の笑みを浮かべて手を伸ばすと、ベッドの上に広がる緑色の髪を摘まんでから眠っているヨルシャミの頭をよしよしと撫でた。

 怒られるかも、勝手に触れるのは失礼だ、という気持ちはなく、まさに無意識に手が動く。


「……ん?」


 そしてそれに気がつき、自分で自分にきょとんとした。

 同時に夢の中でバイクが言っていたことを思い出す。


 ――触れたい、一緒にいたいと思えばそうかもしれない。


「ん? ……んん? い、いやいや、まさか、そんな……いやいやいや……!」


 戸惑っていると突然部屋のドアが開き、リータとミュゲイラが入ってきたのを見て伊織は奇声と共に両腕を上げた。

 その動きでようやく伊織が目覚めていると認識した二人は笑みを浮かべる。

「イオリさん! 起きたんですね!」

「うおー! よかったじゃん、あたし先生呼んでくる!」

 さっきの見られてた?

 ぎりぎり見られてないっぽい?

 そうあたふたしつつ伊織は取り繕うようにこくこく頷きながら言う。


「そ、そうなんです、ついさっき目が覚めて。リータさんたちも無事でよかった! それに、その、なんか爆睡してるみたいだけどヨルシャミも」

「あの、えっと……イオリさん」


 リータが言い淀みながら呼ぶ。

 やはり見られていたのだろうか。そう危惧したものの、しかしリータが口にしたのは伊織の予想したことを掠ってもいなかった。

「その子が起きる前に伝えておかなきゃならないことがあるんです」

「えっと、一体何……というか、その子?」

 リータはこくりと頷く。


「その子の名前はセラアニスさん」

「……え?」

「ヨルシャミさんじゃないんです」

「……、……ッええ!?」


 伊織は今度こそ喉の奥からはっきりと声を出して仰天したのだった。

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