第120話 パトレア、寝る

「宿のおばちゃんがパンとスープをサービスしてくれたからよ、ちょっとでも食えそうなら遠慮なくもらっとけよ」


 ここに置いておくな、といやにガタイの良いフォレストエルフ――ミュゲイラはパトレアが横になったベッドの脇に丸テーブルを引き寄せてトレーをのせる。

 耳など個々の特徴はフォレストエルフなのだが、あまりにも『エルフ』のイメージからかけ離れた外見にパトレアは脳が混乱しそうになった。

 フォレストエルフは元々健脚だが、ここまで凄い大胸筋や上腕二頭筋を持つ者を見たのは初めてだ。

 さっきは聖女マッシヴ様が傍に居りわからなかったが、単独で見ると顕著である。


 パトレアがそんな感想をおくびにも出さずに礼を言うと、ミュゲイラは「じゃ、あたしは村ん中で待機してるから何かあったらヘルベールに呼んでもらってくれ」と言い残して部屋から出ていった。

 彼女の妹のリータも隣室でヘルベールに軽食を差し入れていたのか、廊下で一緒になった二人の話し声が聞こえてくる。

 それも階下へと消え、パトレアは小さく息をついた。


(足を見られなくてよかった……あそこでバレていたら失態に失態を重ねるところだったであります)


 そもそもここまでしっかりとした接触をするつもりはなかったため、変装がおざなりだ。

 わかっていれば足用の人工皮膚をセトラスに作ってもらっていただろう。

 とはいえパトレアが最も大切にしている『速度』の邪魔になるため、人工皮膚を用意してもらっても装着は渋ったかもしれないが。


(ヘルベール博士はヨルシャミの観察眼も警戒していたようでありますが……見たところ視覚に後遺症が残っている様子。このチャンス、活かす他にありません!)


 パトレアは直接動いて喋る彼――今は彼女と呼ぶべきだろうか、超賢者を名乗る魔導師ヨルシャミを見るのは初めてだった。

 ただヘルベールやセトラスの話では千年前の人物らしいので初めて見るというのも当たり前ではある。北の施設へ出向くこともなかったのだから尚更だ。

 しかし魔導師として現代の魔導師とは比べ物にならないほど優秀だったとは聞いている。


(ニルヴァーレ博士とはほとんど会ったことはなかったものの……同じく千年前から生きているという彼もヨルシャミを話題に上げていたと記憶しているであります)


 普通の魔導師は他者の纏うオーラや魔力の流れを視ることは出来ない。

 感知系の魔法を使えば可能だろうが、何も使わず自前の目だけで見て正確且つ細やかに把握出来るのは極々少数の者だけだ。

 そんなヨルシャミに見られれば下手をすればヘルベールの延命装置やパトレアの足に使われている機械を補助する魔法を見破られる危険もあった。

 ハイトホースは珍しいとはいえ絶対にベレリヤにいないというわけではない。

 だがその足が機械製ともなると「私はナレッジメカニクスです!」と名乗っているも同然である。いくら隠していても生身の足との差異を見破られていればその時点で撤退を余儀なくされていただろう。

 そんな不安要素がヨルシャミの目の件で一部取り払われたわけだ。


(しかしヨルシャミのあの不調もいつまで続くか不明、下手をすれば今この時が気づかれずに近づき調査するラストチャンスやも。私もこうしてはいられません! ……)


 パトレアは立ち上がろうとしたが、久方ぶりに背を預けたふかふかのベッドから体を起こすことができなかった。

 しんどいから、というより満足に回復できず蓄積していた疲労により、背中が居心地のいいベッドと離れたくないと駄々をこねているのだ。転移してからパトレアがどれだけ寝不足だったか筆舌に尽くし難い。


「……」


 すぐに動き回ったら窓から見られるかもしれない。

 今は疑いを持たれるのは極力避けたい。

 まだ調査していない上、自分も不調なのだ。すぐに逃げられない。

 それに『勝負』の話を聞くに三時間は猶予がある。聖女は別件で行動しているため戻ってくるかもしれないが、今でさえそっとしておいてくれているのに押し入ってくることはないだろう。

 だから、そう、だからもうちょっとだけ。


 パトレアはそう自分に言い聞かせ、たっぷり三十分仮眠を取ってから慌てて目覚めると採取作業に勤しんだ。


     ***


 薬草の特徴を頭の中で反芻しながら、伊織は下を向いて目当てのものを探していた。

 手には摘んだ薬草を入れるためのカゴを持っている。

 まだ空だがネロの方はもう何かしら入っているのだろうか。彼は別行動のため進捗はわからない。


(薬草はざぎざぎしてて赤い色をしてる。あと嗅ぐと少しミントみたいな匂いがするんだっけ)


 ミントと赤紫蘇が合体したような感じだろうか。それなりに背が高く一株で何枚も採れるらしい。

 背が高いなら赤色を目印に探していればその内視界に引っかかりそうだ――と思っていると早速数本生えているのが見えた。

 足元に注意しつつゆっくりと近寄り、葉を一枚ちぎって嗅いでみる。

 たしかにミントのような清涼感のある香りだ。

 伊織はそれをカゴに入れると他にも生えている場所を探して再び歩き始めた。


 しばらく山の中を歩いていると、道の脇が切り立った崖になっているのに気がついて伊織はぎょっとする。木々の葉に隠れており気づくのに時間がかかてしまった。

 しかしびっくりついでに崖沿いにも薬草が生えているのを見つけ、細心の注意を払いながらぷちぷちと摘んでカゴへと入れる。ここへ辿り着く前にもいくつかの場所で採取したためカゴの底は葉でふかふかとしていた。


「あ、ここにも川が流れてるのか」


 崖から下の方が見渡せる。

 村とは逆方向、今いる山の隣にある更に標高の高い山から一本の川が流れていた。

 それは山の途中で地上から姿を消しており、どうやら地下に流れ込んでいるようだった。

(水場近くの方が生えてそうだけど、さすがに一人であそこまで行くのは危険だよな……)

 勝負に夢中になって危険を冒すのは愚かなことだ。伊織は自戒の意味も込めてそれも反芻し、崖から離れてその場から離れていった。


 風に乗って水の流れる音が微かに聞こえる。

 その音を再び――今からそう時間を空けずに耳にすることになるのを、伊織はまだ知らない。

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