第97話 伊織の憧れ
「そういえば……バイクを使うなら窓でも突き破って一旦外に出ても良かったんじゃないか?」
移動しながらサルサムにそう問われ、たしかに、と笑いながら伊織は答えた。
「見つかったからには撹乱もしなきゃと思って……っていうのは建前で、ビームの威力も強かったしここで倒しておかないと母さんたちのチームが困ると思ったんです」
あとは倒してから気がついたが、あれは広い屋外で戦うより狭い室内、そして進行方向が限られる廊下で戦ったほうがやりやすい。こういうメリットやデメリットを偶然ではなく意識して考えられるようになりたいなと伊織は今回の経験をしっかりと記憶した。
どこまで活かせるかはわからないが、すべての経験は自分にとってかけがえのない財産だ。
まだ足手纏いになっているという感覚は強いが、それでもまだ前に進める。
そう伊織が考えていると、自分の名前を呼ぶ声が耳に届いた。
「おーい、イオリー!」
「ミュゲイラさん!」
廊下の向こうから大股で走ってくるミュゲイラの姿を見つけ、伊織は肩を傷めていない方の腕を振る。
ミュゲイラは「迷わず見つけられてよかった!」と四人の前で足を止めるも、バルドの姿を見ると思わず威嚇体勢になった。まるで野生動物だ。
「あー、安心しろ。さすがに敵地の真っただ中で口説いたりしねぇよ」
「ほ、ほんとかぁ……?」
リータにも変なことしてないだろうな、とミュゲイラは半眼になったが、はっとすると背中のヨルシャミを顎で指した。
「とりあえず今は信じる。で、だ。ヨルシャミが気絶しちまったんだよ」
そう言うとミュゲイラは例の球体や『地下で見つけたもの』についても含めて伊織たちに事の次第を話していく。
地下室の更に地下。
そしてそこに描かれていた、ヨルシャミにもわからない巨大な魔法陣。
あれだけ魔力を節約していたというのに突如現れた強力な警備システムの球体たち。
「……なるほど、それは俺たちも生で見ておきたいところだが」
「まだ警備システムの球体は残ってるんですよね」
サルサムの呟きに応えたリータが長い耳を下げた。
二十は居たという球体。伊織たちは三体、ミュゲイラたちは十体破壊したが、少なくともまだ七体は残っていることになる。
どうやら球体は施設内を巡回し他の侵入者を探す索敵班と既に見つけた侵入者を追う追跡班に分かれ、索敵班の内三体が伊織たちを発見したということらしい。
「もしかして母さんの方にも向かったんじゃ……?」
それにしては静かだが、あちらは警備システムにとっては味方たる研究員たちも居るため何体か手配されている可能性はある。
静夏ならば心配はいらないだろうが、念のため合流しようということになり一行は私室エリアへと移動し始めた。
伊織たちの見つけたものについても合流してから細かく伝えようという話になる。
「……そういやイオリ、それ怪我したのか?」
「え? ああ、うん、ちょっとだけ」
移動の最中、伊織の肩が真っ赤に染まっているのを見てミュゲイラが問い掛けてきた。
止血及び応急処置はしてもらったが、衣服についた血の汚れは取れていないため未だに怪我を放置しているような気分になる。見た目ほど大袈裟な怪我じゃないですよ、とここは心配をかけないように伊織は言っておいた。
ミュゲイラはこれでもかと眉を下げる。
「マジで大丈夫なんだろうなー? お前が怪我したらマッシヴの姉御が悲しむから気をつけろよ。まぁあたしも心配だけどさ」
「すみません、ありがとうございます……。けど、その、相変わらずといえば相変わらずなんですけど、ヨルシャミも相当ですね……」
ミュゲイラに背負われたヨルシャミは目から鼻から口からと様々なところから出血しており、まるで大事故に遭った重傷患者のようだった。
いや、魔法の負荷によるダメージは十分重傷の部類だろう。
「ニルヴァーレの魔石はあるけど、それでも無茶して相当負担を負ったみたいでさ。……あたしだって纏めてじゃなくて二、三体ずつなら相手にできたと思うんだけど、ヨルシャミが全部倒してくれたんだ」
「全部……」
「ヨルシャミは倒れちまった自分のことをお荷物っつってたけどさ、役立たずだったあたしの方がお荷物じゃね?」
複数を一気に相手できる力が欲しいなぁ、と悔し気に呟くミュゲイラを伊織は見上げる。
「ミュゲイラさんが居たからこそヨルシャミは無理できたんだと思いますよ。だからふたりともお荷物なんかじゃないです」
「でも――」
「悔しいなら母さんともっと手合わせして鍛えていけばいいんです、……えっと、こんなこと僕が簡単に口にするのは失礼かもしれませんけど……ミュゲイラさんは旅に出て確実に前より強くなってますもん」
だからこれからもきっと更に強くなれるはず。
伊織がそう言うとミュゲイラは歯を覗かせて笑った。
「イオリってやっぱ姉御の息子なんだなぁ……。ああいや、誰かを引き合いに出して褒めんのは何か違うか」
「あっ、いえ、そう言ってもらえると嬉しいです。僕にとっても母さんは目標みたいなものなんで……!」
強い母。
それは肉体だけでなく精神もだ。
今のような健康的な筋肉を持った体になる前の、病弱で毎日「次の瞬間には容態が急変するかもしれない」と第三者が精神をすり減らすほど弱々しい肉体の時でさえ、静夏は強かった。
死んでからもそうだ。神との契約の場で戸惑う伊織をよそに、静夏は再びふたりで暮らす未来のためにとんでもない提案を簡単に受け入れた。
簡単とは楽にという意味ではない。あの時の伊織にはできないほど、瞬きするほどの間に決意をしたということだ。
そんな母に伊織は今も憧れている。
「――僕もまだまだ皆の足を引っ張ってる、って痛感してて。だからお互い頑張りましょう、ミュゲイラさん」
「おう! 手始めに全部終わったら一緒に手合わせすっか!」
「そ、それはもうちょっと基礎を鍛えてからですかね……!」
ミュゲイラが嬉々として繰り出したパンチを自分が受け止めるところを想像し、これは木にめり込むと確信した伊織は両手と首を横に振った。――その時。
「……?」
突き当りの曲がり角から足音が聞こえてきた。
球体に足はないため違う。静夏の堂々とした足音とも違い、酷く慌てているように感じる。
思わず足を止めようとしたところで曲がり角から小太りの男性が飛び出してきた。――研究員のひとりだ。
「っうわあ! またマッチョの幽霊……じゃ、ない……?」
引っ繰り返りそうなほど驚いた男性は目を点にし、伊織たちを凝視する。
どう見ても手負いの子供とエルフと成人男性のグループだ。マッチョは含まれるがもちろん生きている。
「……! 侵入者か! まさかさっきの騒動もお前たちが……」
「やべぇ、あの丸っこいのを呼ばれる前にふん縛って――」
バルドが手を伸ばすよりも先に、男性は曲がり角の向こうに鋭く声をかけた。
「警備! こいつらを捕獲しろ!」
「……すでに連れてきてんのかよ!」
見慣れた球体が角から二体現れる。
早くも勝利を確信したらしい男性は、間近で球体と対峙した伊織たちに不敵な笑みを送った。
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