第93話 球体現る

 地下室の更に地下にある部屋はスタッフでもそう簡単には入れないのか、掃除が滞り僅かに黴臭かった。

 埃はないので本当に必要時以外は使用しない部屋なのだろう。

 何かおぞましいものがいるのではないか。そう身構えながら進んだが、そんな想像に反して灯りに照らされた室内には柱以外何もなかった。


「……いや」


 大広間と言っても差し支えない広さの部屋。

 そこで足を止めたヨルシャミは足元に視線を落とす。

 床に赤黒い塗料で魔法陣が描かれていた。文字と記号で構成されているようだが、その二つの見分けがつかないほど未知なる言語で綴られている。


「なんだこれ、ま、まさか血じゃないだろうな……!」

「血ならもっと変色している。経年劣化で消えないように作られた特殊な塗料といったところか、もしくは数年おきに描き直しているなこれは」


 床との劣化の差を見ながらヨルシャミはしゃがみ込んだ。

「しかしこんな魔法陣は初めて見るぞ……文字も見覚えがない。ナレッジメカニクスが収集したこの世ならざる知識の賜物か、もしくは私が眠っていた千年の間に興って滅びた文明のものか……」

「つまり用途もわかんないのか」

「予想すらできないな!」

 ただ、とヨルシャミは付け加える。


「魔導師は普通、魔法陣が必要なら用途に分けて都度都度呼び出すのだ。こうして物理的に描いてある時は大掛かりな魔法故に事前に準備し、あとは必要になった時にスイッチを押す要領で起動させるためだ。まあマジックアイテム的なものを作る際にも描くが、これは違うだろう」

「つまりこれも起動させると何か起こるかもしれないのか……」

「うむ。……だがそれ故に情報の塊でもある。時間はかかるかもしれないが読み解いて――」


 ぺたり、と。

 ヨルシャミが魔法陣の一端に触れた瞬間だった。


 耳をつんざくような警報が鳴り響き、ふたりが驚いている目の前で壁の一部が左右に開く。

 そこから現れたのは浮遊する球体だった。まるでドローンのような動きで現れたそれは合計二十体。

『――判別、侵入者』

『身体特徴カラ187cm、女、フォレストエルフ。148cm、女、ベルクエルフ』

『体重、内部組織ハ、捕縛後スキャン次第報告』

 ピッ、と短い音をさせて球体はふたりの逃げ道を塞ごうと囲うように広がり始める。

 はっとしたミュゲイラは即座にヨルシャミを小脇に抱えると走り出し、包囲網が完成する前に豪速で間を抜けると階段を三段飛ばしで駆け上がった。


「何かはわかんないけどヤバイやつだよな!?」

「そ、その通りだ! 警備システムだと……魔力の節約を度外視してでも動くよう設置されていたのか……?」


 それだけナレッジメカニクスにとって触れられたくない部分だったのかもしれない。

 ならば意地でも暴きたいところだが、あれに捕まれば何をされるかわからないのだ。

 とにかく今は逃げよう、とミュゲイラはヨルシャミを抱えたまま一階層目の地下室に戻ると、施錠されている出入口の扉をタックルで破壊した。それと同時にヨルシャミが濁音の付いた悲鳴を上げる。


「あがッ! ちょっ、待っ、抱えたままタックルをするな! 尻をぶつけたぞ!」

「緊急事態だから許してくれ! でもスマン!」


 後で湿布を貼ってやるよ! と言うミュゲイラに「それはいらん!」と叫ぶヨルシャミの声が地下室にわんわんと響く。

 それが掻き消える前にいくつもの球体がひゅんひゅんと通り過ぎた。


     ***


 ぐらり、と僅かに床が揺れた気がした。


 資料室を漁り、かなり広範囲の地図を見つけてそれをカバンにしまったところだった伊織はすぐさまバルドたちを見る。

「……今揺れた?」

「地震の揺れ方じゃねぇな」

「聖女がまだ暴れてくれてるんじゃないのか、……と思ったが、これはどちらかといえば地下のほうからの揺れだな」

 足の裏にセンサーでも付いてるのだろうか、揺れたとしか感じなかった伊織はふたりとの力の差を感じた。

 恐る恐る扉を開けて廊下を覗く。

 この資料室は長く続く廊下の中ほどにあり、左右に長い道が続いている形になっていた。

 扉から顔を出した左手側から再び振動。そこに突如燭台の灯りにより作り出された丸い影が三つ先行して現れる。続けて飛んできたのはバスケットボールほどの大きさをした――


「な、なんだあれ?」


 ――よくわからないものだった。

 それはこちらに気がついたのか飛ぶスピードを上げて近寄ってくる。

 伊織は慌てて扉を閉めようとしたが、あと少しというところで球体の下部から生えた触手のようなノズルにより邪魔をされてしまった。

 閉まろうとする扉の間に挟まったそれは、脆そうな外見に反してびくともせず、力一杯閉めようとしている男衆三人の力をいとも簡単に跳ね除けて扉をこじ開けた。


「おりゃッ!」


 その瞬間、獣のような反射速度でバルドが球体を下から蹴り上げる。

 ぐるんぐるんと回転した球体を見てバルドは笑った。

「なんだコイツ、力はあっても防御はからっきし――」

「バルドさん、伏せてください!」

 球体から異音を感じ取ったリータが慌てて叫ぶ。

 バルドは頭で理解するより先に体が動いた。そのまましゃがむなり頭の上を眩い光線が横切って目を丸くする。


「ビ、ビームを……打ってきた……!?」


 まさかこの世界でそんなものを見ることになるとは。

 声音にそんな思いを滲ませながら伊織は呟く。

 ビームが球体の中央にある小さな穴から発されたと理解し、伊織はどう打開すべきか必死に頭を使った。あの球体は恐らく警備システム的な何かなのだろう。

 魔力を節約している今、なぜこの半ば放置されたも同然の施設を守るために作動したのかはわからないが、捕まっていいものではないのは確かだ。


「これ当たったらヤバいやつだよな!」


 再び発されたビームを避けながらサルサムが言う。

 しかし他の球体も追いついたことにより簡単に避けられるものではなくなった。着地の瞬間を狙われたサルサムに伊織は咄嗟に体当たりをする。

「いッ……!」

 肩口にビームが掠った。

 それだけで熱いバーナーで炙られたような、皮膚に食い込む痛みに襲われる。

 ビームは不思議と無機物には損害を出していなかった。科学と魔法の融合体ということだろうか。

「……! すまない、大丈夫か」

「だ、大丈夫です。それより皆、僕のそばに集まってください!」

 伊織は深呼吸をして可能な限り痛みを逃がすとそう言った。

 そして手の内側に握られたものを見せる。


「――これで突破します」


 それはバイクのキーで、その用途を唯一知っているリータだけが意図を察して笑みを覗かせた。

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