第四章
第87話 青漆の施設
奇妙な同行の仕方をすることになった二人組がいる。
バルドとサルサムは事前の話し合いの通り、目的地を知らせておけば見事すぎるほど伊織たちについてきた。もちろん時折伊織が相棒のバイクで移動しても、だ。
探偵のほうが向いているんじゃないかと思ったことがあるが、そういえばふたりは旅の資金稼ぎにロストーネッドで何でも屋をやっていたのだ。それを聞いた時は見知らぬ場所でそれは無謀すぎると感じたものだが――今なら「似合う」と伊織は本心から思える。良い意味でも悪い意味でも。
移動を始めて三日。
周囲に人の住む集落がないため、森の中で野宿をしていた時もさも当たり前のように木陰からサルサムが現れて伊織は仰天した。ひとりで焚き火用の枝を拾っていたところなので余計にだ。
「直前までバイクで走ってたのにもう追いついたんですか……!?」
「ああ、うん、まあ。この森に行くってわかってたしな」
前回会った時に野宿先として手頃な森があると提案してくれたのはサルサムだ。
行き先さえわかっていれば本当に食らいついてくるんだなぁと伊織は感心したが――じつは転移魔石で都度都度ショートカットしているおかげだった。
目的地の再設定には慣れていたが、ほとんど行ったことのない場所に座標指定だけして飛ぶこともあり、それが経験値となって随分とこなれてしまったとサルサムは遠い目をする。
伊織はサルサムたちが人工の転移魔石を持っていることは知っているが、ここまで細やかな指定ができることは知らない。
サルサムは伊織たちに切り札である転移魔石の存在を伏せているが、それをすでに伊織が把握していることを知らない。
それでも互いに突っ込んだところまで訊かないので、関係としては良好であり落ち着いていた。
サルサムとしても「バレているのでは」と疑っていないわけではない。なにせ伊織は転移魔石の元々の所有者であり、自分たちにそれを与えたニルヴァーレと意思疎通が可能なのだ。
しかし私物は好きに扱っていいと言う上、元から他人にはそう興味のないニルヴァーレが訊かれもしないのに言うこともないだろう、とも思っている。
現に伊織から転移魔石について触れてこないはのそういうことだろうとも思っていた。
――実際にはニルヴァーレが伊織にも大層ご執心で、アドバイスや情報提供がてら甲斐甲斐しくも転移魔石について伝えていたが、そんな光景微塵も想像できないサルサムだった。
「そういえばバルドさんは……」
「連れてくるとお前の母親に言い寄ってまた戦闘が勃発するかもしれないから、寝てる間に来た」
「ああ……」
制御に苦労しているなぁ、と伊織はサルサムの胸中を思って同情した。
「あの、サルサムさん」
「うん?」
「……その、今すぐは無理ですけど、僕……ふたりと仲良くできると嬉しいです。バルドさんとミュゲイラの仲についてはこれからゆっくり頑張っていきましょう」
サルサムは一瞬無言になって伊織を見下ろす。
しかしすぐに笑みを作って「俺も頑張るよ」と答え、次のルートや目的地について話し始めた。
目的地である研究施設のある土地には恐らく明日には到着する。
ニルヴァーレが指示したルートも共有し、しっかりと覚えてもらった伊織はサルサムを見上げた。
「母さんたちに挨拶は――」
「いや、バルドひとりだけ置いてきたからな、そろそろ戻る。それに万一起きて俺だけ聖女たちと和気藹々としてたら面倒なことになりそうだ」
あっ、そうか、と伊織は手を叩く。
バルドがそこまで湿気った考えをするとは思えないが、バルドと付き合いの長いサルサムが懸念するのだから可能性はあるのだろう。
「じゃあ明日は日の出から二時間後くらいにそのルートで」
「わかった。じゃあな」
サルサムは背を向けて来た道を引き返していった。
ふたりがどの辺りで野営しているのかはわからないが、道中気をつけてくださいと伊織は見送る。
***
――数分ほど草と落ち葉を踏み鳴らし、自分の野営地へ戻ったサルサムは簡易的な毛布に包まって爆睡しているバルドを見て肩の力を抜いた。この世のすべてが平和で友好的だと信じ切っているような寝顔だ。
「……この世のすべて、ねぇ」
伊織もそうだ。
あそこまで心を開いて歩み寄ってくるとは思わなかった。少しくらいは警戒心を覗かせて牽制しようとは思わないのだろうかと毎回心配にさえなる。
いつか痛い目を見るんじゃないかと思っている段階で、自分も大分絆されているのではないかと今度は自身が心配になった。
「うーん、前途多難だ。いっそのこと全部まるっと信じて明かしてしまえば楽になるんだろうが……」
サルサムの性格上――経験上、それを行なうのは少々怖いことだ。あの一行なら大丈夫、と思うがまだ知り合って日が浅すぎる。
その逡巡が顔に出そうになったのでさっさと引き上げてきたのだ。バルドは女好きだが女絡みで相棒に尾を引くような言い掛かりをつけるような性格はしていない。本気で惚れているらしい聖女に対してはどうかわからないが。
(……こいつのことは信頼してるんだよな)
経歴に謎の多い男だが、今まで散々振り回されてきてわかったのだ。
猪突猛進で面倒を見るのが大変な男だが、その分わかりやすくていつでも底が見えているような安心感がある。
何かと人に騙される人生を歩んできたサルサムには新鮮で、そして信頼できる相手だった。
だからこそ放っておけなくて同行することにしたのだが、これは趣味のようなものだ。つまり自由に行動した結果である。
「でもお人好しすぎるか」
人のことは言えないな、とサルサムは頭を掻きながら小声で零した。
***
夢の中でニルヴァーレに訊ねたところ、ナレッジメカニクスの研究施設はロストーネッドから更に南に進んだ先にあるらしい。
途中いくつか山を越え川を越え人里から離れるが、傍までくれば侵入は容易いだろうとのことだった。
なんでも幹部や上位の研究者が来た時にのみ研究施設として稼働するらしく、普段は数人の下っ端研究者により施設として維持されているだけだという。警備も薄く、前にニルヴァーレが魔法を使わず不意打ちで訪れた際は大層慌てていたそうだ。つまり来訪するまで接近する何者かに気づくことすらできなかったということである。
ただし要人が訪れればすぐに稼働できるよう常に準備だけはされている。
その準備には薬品の保管、器具の整備、そして確保した実験体の管理などが含まれていた。
「南の施設はもうほとんどメインで使われていないから、人間の実験体はいないって話だったけど……」
「私の捕らわれていた北の施設すら驚くほど手薄だったからな。やはり優秀な人材はあれど手駒の少なさが最大の問題なのだろう。……恐るべきはその一握りの優秀な人材「のみ」でもその気になれば世界の存在を危ぶむほどの事態を引き起こせるところだが」
しかし今は重要視されていない施設とはいえ、過去にカザトユア近隣の村の住民が根こそぎ連れ去られ、数多の命が消費された場所であることに違いはない。
何か情報を得たらあとは施設を完膚なきまでぶっ潰す、というのが総意だった。
この行動で完全にヨルシャミの生存と聖女一行の存在がナレッジメカニクスに伝わってしまうかもしれないが、あちらから出てきてくれるならむしろ好都合である。
サルサムにルートを伝えた翌日、予定通り森の奥深くに到着した伊織たちは崖の上から眼下に広がる青々とした木の頭を見下ろした。
まるで緑色をした海のようだ。
「さすがに一目でわかるような施設ではないが――」
「あれっすね」
静夏とミュゲイラが並び立って木々に呑まれるようにして建つ建物を見る。
屋根や壁に迷彩が施され、恐らくわざとだと思われるツタが絡んでいた。身を隠すためか街の建物とは違い、まるで日本の小学校のように四角く平たい形をしている。
石造りなのか木製なのかはここからではわからなかったが、確実に何らかの目的で建てられた建物だ。
「あと少しで日没だ。夜まで待とう」
職員もニルヴァーレの情報では機械に属するものはおらず、生身の人間だという。いくら手薄とはいえ念には念を押しておいて損はない。
一行はそれまで施設までの最短ルート確認やバルド、サルサムへの連絡に時間を割くことにし、準備のために動き始める。
(……)
伊織は今一度崖の上から建物を見下ろした。
あそこで数多の命が消費されたと思うと冒涜的な墓標にさえ見える。
そんな嫌な想像が湧いて眉根を寄せていると、不意にカバンから顔を伸ばしたウサウミウシが裾を食んで引っ張った。
「あ……ごめんごめん、突入前にこんなこと考えてちゃダメだよな」
ウサウミウシはべつに励ましているわけではない。夕飯の催促である。
しかしそれをわかっているものの、強張らせていた表情を緩めた伊織は優しくウサウミウシの頭を撫でて宥めた。
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