第56話 ウサウミウシの気になるもの
街に入った頃から様子のおかしい者がいた。
それは伊織でも静夏でもリータでもミュゲイラでもヨルシャミでもなく――伊織のカバンから顔を覗かせたウサウミウシだった。
「あのー……イオリさん、さっきからウサウミウシが」
「うん、見えてます……」
顔を覗かせてはヒュッと引っ込み、かと思えば顔の目と口のある部分だけをにゅうと伸ばして外を窺っている。
というかそんな伸ばし方できるのか。全体像見たくないな、と伊織は声に出さずにそう思った。
「なんか街のあちこちにあるウサギのモチーフが気になってるっぽいんですよね」
「もしかして自分と似てるからでしょうか?」
似てる、とはいえウサウミウシはデフォルメしたウサギにウミウシを掛け合わせたスライムのような見た目だ。リアルなウサギを大きくしたようなロスウサギとの共通点は長い耳くらいではないだろうか。
耳が長いだけで反応するならエルフ種の三人にもこういう反応をしていてもいいものだが。
そう不思議に思いながら伊織はカバンをつつく。
「あまり目立つなよ、魔獣と勘違いされたら大変なんだからな」
カバンの中からぴいと鳴き声がした。返事だ。
魔導師の召喚獣であるという体裁なら連れ歩くことができるかもしれないが、伊織はまだ魔導師の域まで達しておらず、万一きちんとした魔導師であるヨルシャミとはぐれた時に問い詰められると弁明ができない。
ウサウミウシの防御性は人間である伊織より上だ。段違いと言ってもいいほどに。
しかしだからといって酷い目に遭ってもいいというわけではない。
(それにもし……死ぬより辛いことに巻き込まれたら嫌だしな)
どこかの変人に売られて飼い殺し、見世物小屋で酷い扱いを受ける、精神的に虐げられる、そんな可能性だってある。人間の感覚より大分鈍いようだが、空腹でそわそわしたり落下して目を回したりする辺り、ウサウミウシだって苦痛を感じるのだ。
しかしそんなウサウミウシを危険に晒したくないという気持ちからではあるものの、伊織はカバンの中で狭い思いをさせて申し訳なくも思っていた。
***
――当のウサウミウシは狭い場所が嫌いではない。
しかも移動が楽ちんで好きな時に眠れるのだ。
むしろ楽園だったがそれを伊織にはっきりと伝えるすべは今のところないため、今日も自由気ままに生きることで満足感を示していた。
しかしそんな時に目に留まったのが街に溢れたウサギのモチーフだ。
肉塊になったものは「元はウサギだった」と理解できなかったが、こうして長い耳に囲まれていると群れの中に戻ったようで気になって仕方ない。
ウサウミウシは主に暖色系の体色で同族を見分けるため、似ても似つかないものばかりではあるのだが――そう、どこにも見知った仲間はいないが、空間の雰囲気が似ているのだ。
主人と共に行動している『自分と同じ色の大きな何か』には素直に威嚇をしたものの、今現在周囲に見えるものにはどう反応していいか困ってしまう。
自分の縄張りを大切にし、群れはするが主立ってコミュニケーションを取る必要があまりない生態をしている生物。
しかし現在はテイムの影響で自分と主人の周りが縄張りのように感じられているウサウミウシにとって、今の状況はじつに特異で初めて体験するものだった。
そんな時ウサウミウシは気づいた。
自分の主人が『自分』より『周りの自分によく似た生物』ばかり見ていると。
ずっと感じていた「群れに似ていて気になって仕方ない」という気持ちは「主人を取られるかもしれない」という落ち着かない気持ちに置き換わり、それは縄張りを奪われるのと同義に思えた。ウサウミウシはそわそわとカバンの外に出て存在をアピールしようとしたが主人にたしなめられる。
何と言っているかまでは理解できないが、とりあえず外に出るなということらしい。
仕方なく鳴いて了解の意思を伝える。
しかし結局外と主人の様子が気になり、顔を伸ばして隙間から覗く。
視界の先は相変わらず、沢山のウサギのモチーフに溢れていた。
***
様子のおかしいウサウミウシはさておき、宿を取った一行はそこを拠点に街で聞き込みをすることになった。
何事もなければ準備が整い次第出発、魔獣出現の情報があればその場で解決を目指すといった形だ。
――とはいえ人の多い街はそれだけ観光スポットも多く、どうしても目がそちらに向いてしまう。
「なんだリータ、肉屋が気になるのか? ホント好きだなああいうの」
「わひゃ!」
道すがら肉屋や肉料理店に目が向いていたリータは姉の一言で跳び上がった。
「ち、ちょっと、そんな言い方したら私がお肉が大好きな大食いみたいじゃない……!」
「そこまでは言ってないぞ!?」
そういえばベタ村の見送りの祭りでも食べ過ぎていたなと伊織は思い返す。
大食いではないが食いしん坊といったところだ。
リータはその時に負けず劣らず赤くなっていた。そこまではっきりと自分の目が食べ物屋を追っていたとは思わなかったのかもしれない。
「ミュゲイラさんはあまりお肉は食べないんですか?」
「あたし? 体を動かすためにある程度は食うけど……舌はどっちかっていうと菜食寄りかな」
「フォレストエルフはそういう者が多いのだ」
ミュゲイラとヨルシャミの説明に伊織はなるほどと感心した。種族や文化である程度味覚の差が生まれる、ということは覚えておいたほうがいいかもしれない。
とはいえフォレストエルフの場合は生まれてからの環境も影響しているらしく、ミュゲイラも「昔よりは肉も好きになってきたぞ!」と言っていた。
(味覚の移ろいかぁ……今度料理する時は皆の味の好みを改めて聞いてからにしようかな)
どうせなら美味しいものを食べてほしい。
そう考えていると耳にグゥという音が届いた。
「……」
「……」
全員でリータを見る。
彼女が両手で目一杯押さえているお腹は先ほどと同じ音を二回――三回、否、五回鳴らした。
リータは耳まで真っ赤にして俯いて言う。
「――わ、私はお肉が大好きな大食いです……」
そこまで言ってない、と再び皆でツッコミを入れることになり、一行は少し早い昼飯代わりに肉料理屋へと入ろうということになったのだった。
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