第37話 超賢者は視る

 死んだと思われているのは好都合。

 しかし死んでいる確率が高いとしても、なぜすぐに探しに来なかったのか不思議だった。

 どうやらヨルシャミを捕らえていた者たちは現在別のことに着手しており、千年前に欲していた情報は今ももちろん欲しいが――単純に言うと手が足りないらしい。

 これはヨルシャミの予想が大方当たっていた。


 ナレッジメカニクスの一員と思しき二人組は的確に質の高い魔石だけを採取し、質の低いものには見向きもしない。魔石の良し悪しを見極める地力のある人間のようだ。

 そのため作業も早く、あっという間に採取用に使っていた皮袋が満杯になった。

 伊織は小声で言う。採取の際に立つ音と二人組の会話に被せるようにすれば小声でなら話が出来そうだ。


「ナレッジメカニクスの仲間……みたいだけど、どうする? このまま追うか?」

「さすがに場所が悪すぎる。奴らが洞窟から出た後にぞろぞろと出て行けば目立つであろう」

「離れるのを待ってたら見失いそうだしな」

「……あの、気になってたことがあるんですけど」


 そうっと手を上げたリータが言う。


「あの人たち、洞窟の出入り口側から来たけれど……突然足音がし始めませんでした? それに岩壁を上るのも私たちの後からにしては早すぎる気がして」

「……! たしかに。それに魔獣の死体に気づいてないよな、アレ」


 リータとミュゲイラの言葉を受けて伊織はその時のことを回想した。

 自分たちは魔獣を蹴散らしながら洞窟の奥へと進んだが、静夏の肉体のパワーとヨルシャミの魔法の合わせ技、更にはリータの魔法弓術とミュゲイラの小回りが利くパワーによりかなりスピーディーに事は進んでいた。

 途中からは魔獣も現れなくなり、進む足も邪魔をされていない。

 それにかかった時間を考えると、あの人間の体で登ることに適していない岩壁をその間に登り切った――と考えるのは少々突飛な考えすぎる。いくら蝙蝠魔獣の妨害がなくても、だ。

 登るのではなく上から降りる方法ならそれなりに早く着くかもしれないが、その場合も魔獣の死体を見て「先客がいる!」と騒がずリラックスした自然体で現れたのは少し不自然だった。

 魔石採取に慣れているということは危険な場所へ赴き慣れているということ。

 そんな人間にしては余裕がありすぎる。


(それだけあのふたりが強い? でも身のこなしを見てるとそんな気がしないんだよな……)


 つわものたちを間近で見続けていた伊織はそれを基準に目が肥えていた。無意識ながらもそんなことを思いながら考え込む。

 もしかすると所謂「能ある鷹は爪を隠す」というものかもしれない。本当は相当の玄人なのではないか。

 ただしそれ以前の問題で、いくら目が肥えていても一般人に近い伊織の目では玄人の動きも常人の動きも同じに見えている可能性も十分にあった。

 どちらにせよ不可解な点があることには変わりない。


「おい!」


 突然二人組の片割れがそう大声を出し、隠れているのがばれたかと伊織は飛び上がりそうになるほど驚いた。

 自分が呼ばれたと錯覚したくらいだ。

「あまり奥に行くな、魔石の質はこの辺のもので十分基準を満たしてるんだ」

「でもよ~、良いモン持ってった方が雇い主も金払いがいいじゃねぇか。それに認められればゆくゆくは俺たちも処置してもらえるかもしんねーだろ」

 処置? と伊織たちが顔を見合わせている間に奥へ進もうとする男の肩を片割れが引いた。

「その前に死んだら意味がない。この洞窟の資料にあっただろ」

「あー……アレか」

 仕方ねぇな、と男はようやく引き下がり、そのまま撤収の準備を始める。

 このままでは尾行もできないまま去ってしまう。そう伊織が慌てているとヨルシャミが「案がある」と小さく言った。


「案……?」

「私が追跡用の虫を召喚する。それをお前がテイムしてあやつらにくっつけるのだ」


 伊織は自分に指名がかかると思っておらず面食らった顔をした。

 ヨルシャミは続ける。

「先ほどのリータたちの疑問を聞くに、恐らくあいつらは洞窟の中に直接転移魔法を使ったのだろう。魔導師ではないようだがナレッジメカニクスならそういった特殊な人工魔石を作ることができる、と昔耳にした」

 転移魔法はその辺の魔導師やただの一般人が使えるものではないが、補助があるなら話は別らしい。

 組織としては弱体化しているため今も作り続けているかはわからないが、状況を見るにあの二人が所有している可能性はあった。そしてそれを帰りに使う可能性も。


「私は召喚対象と契約する故どれだけ離れていてもそれは持続するが、今回私は追跡に集中したい」

「あー……つまり僕が追加でテイムした方がリソースを追跡に割けるってことか」

「そういうことだ。どれだけ離れた場所に転移するかもわからないしな、あまりにも遠い場合は追跡に集中せねばレスポンスが悪くなる」


 それに単純にヨルシャミ自身への負担を減らすことにも繋がるのだという。

 また倒れでもしたら大変だ。伊織は頷く。

「わかった、ウサウミウシ以外をテイムするのは初めてだけれど……やってみる」

「ではゆくぞ」

 ヨルシャミは体の影に隠して極小の魔法陣を出現させると、そこから黒く小さな虫――どこからどう見てもただの蚊を召喚した。唯一違うのは口器がエメラルドグリーンなところだ。


 これをどうテイムしよう?


 一瞬考え込んだ伊織はウサウミウシに懐かれた時のことを思い出す。やはり『撫でる』という行為を介したほうがいい気がした……が、蚊を? 撫でる? と自分の考えに自分で首を傾げてしまう。

 それでもやはり虫ならざるものなのか、召喚された蚊は律儀にその場でホバリングして命令を待っていた。

 伊織はおそるおそる人差し指を近づけ、潰してしまわないよう気をつけながら撫でるように動かす。


「……!」


 それと同時に蚊が嬉しそうに指の周りを回り始めた。

 どうやら成功したらしい。


 ほっとする前に目的を達成すべく、すでに背中を向けていた二人組の背中に張りつくよう蚊に命令する。蚊は言われた通りに飛んでいくと口調の荒かった男の背中にぴたりと止まった。

 ここからではわかりにくいが、どうやら蚊自身の体に隠れて目立つ口器も隠せているようだ。

「よし、よくやった。あとは私が追う」

 ヨルシャミは両目を瞑ると蚊の視界とリンクさせた。

 聞けば視覚と聴覚を共有しているのだという。虫の視界は人間のものと違う上、聴覚に至っては触角を介したものだ。大丈夫なのだろうか、と伊織は心配したがそこはわざわざ召喚された蚊ならざるもの、リンクさせても人間の見え方聞こえ方と大差ないのだという。


「……、っ! やはり転移したな。ここは――」


 ヨルシャミが目を瞑ったまま周囲を見るような仕草をする。

 しばらくしてその顔色がさっと悪くなった。それに気づいて伊織が「大丈夫か?」と声をかけたと同時にヨルシャミが叫ぶ。


「やられた!」


 わんわんと洞窟内に反響する声に驚きつつ、やられた? と伊織は聞き返す。

 するとヨルシャミはリンクを切ったのか両目を開いて焦った様子で言った。

「説明は後だ、さっさとここから離れるぞ!」

「伊織、リータ、ミュゲイラ、退避だ」

 ヨルシャミの切羽詰まった様子を見て静夏が素早く全員を抱きかかえた。離脱スピードと風圧諸々の心配を秤ににかけて即前者を選んだらしい。

 それだけ危うい何かが起こったかわかるかしたのか。


「出た先に居た奴がだめだった、あれは……、は……ッはぁ!?」

「え、何――はっ!?」


 走る静夏と加速に合わせて揺れる視界。

 そんな視界の中でもわかるほど真っ赤な目が洞窟の奥深くに二つ並んでいた。

 それが驚くべきスピードで近づいてきている。静夏が走っているのに、だ。

 近づくにつれ、その一対の赤い目は巨大な蛇のものだとわかった。洞窟の幅よりやや小さいが追いつかれれば壁との間で擦り潰されそうである。その前に口の中に放り込まれるだろうが。

 よく見れば赤い目の構造は人間と同じもので、瞳孔の開ききった真円の人間の目が伊織たちをじっと見据えていた。


「や、やられたってアレか!?」

「違う! 別件だこれは!」

「別件かよ!」


 やけくそでツッコんだと同時に視界がホワイトアウトし、明るい洞窟の外へ飛び出したことに気がついた。

 巨大な蛇も巣穴を守るウツボのようにずるりと巨体を洞窟からはみ出させ、しかし全身が筋肉の塊なのか体の大半が宙に浮いても落ちることなく静止する。


 ――空を横切る巨大な飛行機雲のようだ。


 伊織が場違いな感想を抱きつつ落下感に全身を震わせながら蛇を見上げると、逆光の中真っ赤な両眼がこちらをねっとりと見下ろしていた。

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