第36話 糸口の足音

 顔の皮が後ろに引っ張られるほどの重力、そして風圧。


 スカイダイビングをしたらこんな感じなのだろうか。

 呼吸をしようとしても勝手に風が口と鼻に入ってきて上手く吸うことができない。パニックも重なりものの数秒で気分的には窒息状態だった。

 しかし気を失うことはなく、なんとか伊織たちは静夏の逞しい両腕に抱かれた状態で洞窟の入り口に降り立つ。ふらつく足で地面を踏みしめるもふわふわした感覚がなかなか抜けなかった。


「息ができるって幸せなことなんだなぁ……」

「私は下を向いてたから呼吸はまだ大丈夫だったけれど、く、首が……」

「ジ……ジェットコースターから降りた時に似てる……」

「それは無理をさせてしまったな」

「い、いや、でも全員で無事に入れて良かったよ。外の魔獣もびっくりして襲ってこなかったし」


 ありがとう、と伊織が笑うと静夏もほっとしたように笑みを浮かべた。

 しかしその胸元でヨルシャミが窒息してぐったりとしているのに気がついてあたふたとする。

「ヨルシャミには荷が重かっただろうか!?」

「……! いやそれ顔面が胸に押し付けられて息ができないんだよ! 腕! 腕解いてやって! 逆に抱き締めないでマジで死にそうだから! 痙攣してるから!」

「お姉ちゃん、私回復魔法を習いたくなってきたわ……」

「あたしも応急手当について勉強したくなってきた……、ん?」

 ぴくりと反応したミュゲイラが洞窟の出入り口に視線をやる。

 ようやく『先ほど通った豪速の何かは人間だった』と気がついたらしい蝙蝠魔獣たちが侵入してくるところだった。


「マッシヴの姉御! ここに長居は無用っすよ、早く奥に行きましょう!」

「私の生死がかかった一大事であるぞ! もっと心配しろ!」

「あっ、復活してる! よかったじゃん!」


 意識を取り戻したヨルシャミはミュゲイラが光源にと取り出した炎の魔石を見つけると手を差し出した。

「それを寄越せ、もっと有益な使い方をしてやろう」

「有益な?」

 ミュゲイラの炎の魔石はフォレストエルフの里近くの洞窟で採れたものだ。魔石としては低ランクで売ってもそこまで高い値段はつかない。

 ヨルシャミは魔石を受け取るとそこへふうっと息を吹きかけた。

「フォレストエルフは土と火の神から加護を受けている。だが火に関してはお前のように魔石を介さねば安定しないのが特徴だ、リータは魔力操作に優れている故魔法弓術にも火が活きているがな」

 リータが「私って魔力操作が上手いの?」という顔で目をぱちくりさせている。

 その目の前で魔石が赤く光り、出入口に向かって爆発的な炎を噴き出した。岩壁を舐める炎はなぜか熱くないが、蝙蝠魔獣たちは黒焦げになって床へと落下していく。


「私の今の体であるベルクエルフは風と水の守護が強い。逆に私の脳は水と相性が悪い。故に水属性の魔法は使うのに難儀するが――特に相性が良いわけでも悪いわけでもない火なら、こうして魔石を介して威力を増幅させることが可能だ」

「な、なんであたしらには熱く感じないんだ?」

「魔力を操作してそう変質するよう仕向けたのだ。連発しすぎると魔石が壊れるがな」


 あとは光源として使おう、とヨルシャミは魔石を見つめる。

 すると魔石から現れた小さな火球が伊織たちの周りをふよふよと漂い始めた。これなら暗い洞窟でも難なく進める上に両手がフリーになる。

「……っすげーじゃん! なあなあ、今度あたしにも教えてくれよ!」

「嫌だ」

「即答だな!?」

「当たり前であろう。だってお前、凄まじく覚えが悪そうだし……」

「辛辣だな!? まあ否定はしねーけど」

 リータが「お姉ちゃんって勉強の時間になると五秒で寝てたもんね……」と呟いているのが聞こえ、たしかにそれは本人も否定できないなと伊織は理解した。


 兎にも角にも退路と光源を確保した五人は洞窟の奥へと向かう。

 道中、蝙蝠魔獣を外から魔石の炎で焼けば登ることもできたのでは? と疑問をぶつけてみたが、洞窟という狭い空間だからこそ一網打尽にできたらしい。

 炎は連発はできないため、討ち漏らす危険の高い屋外で使うには向いていなかったということだ。たしかに討ち漏らして結局素手では登れませんでした、では無駄打ちになってしまう。

 どの道あの筋肉による絶叫マシーンのような体験は必須だったのである。


(帰りも似た経験をすることになるのかなぁ)


 今度は腕でドームを作ってやりすごしてみよう、と考えていると視界の端に煌めくものが映った。

 もしかして魔石? とじっと目を凝らして固まる。狼とブルドッグを掛け合わせたような魔獣が目を光らせていた。その数ざっと四対。静夏が前に立ったところで伊織はハッとした。

「か、母さん! いつもみたいに吹っ飛ばしたら洞窟が崩れるんじゃ!?」

「む……! たしかにそうだ、では加減しよう」


 まだ練習中だが、と静夏は呼吸を落ち着かせて低く構える。


 そして襲い掛かってきた魔獣に向かって素早く拳を繰り出した――が、肉眼ではほとんど拳が見えなかった。直後、その場で穴という穴から血を噴き出した魔獣が倒れる。

「な、何したんだ?」

「限りなく一点に集中させ拳を高速で繰り出すことで衝撃の及ぶ範囲を体内に限定した」

「加減って手加減じゃなくてそういう……!?」

 静夏もどんどん力の使い方をバージョンアップしているらしい。



 そうして時折現れる魔獣を蹴散らしつつ進み、程なくして洞窟の奥で今度こそ本物の魔石の結晶が顔を覗かせているのを発見した。

 どうやら土属性の魔石らしい。

「ところで伊織と静夏よ、魔石の正しい採り方を知っているか?」

「え、普通に掘り起こすんじゃないのか?」

 ヨルシャミはふるふると首を横に振った。


「魔石は空気中の魔力により発生するもの。魔力が消え去る前に必死に土やその他様々な物質に入り込み、結晶化したものがこうして外へ出てくるのだ」


 そうして結晶化し定着しやすい場所が産地となるのだという。

 ヨルシャミは村で買ったノミを取り出すと結晶の根元にそれをあてがい、ハンマーでカンッと軽く叩いた。高く小気味いい音がして魔石が落ちる。

「故にこうして土台をそのままにしておくと数年後にまた同じ属性の魔石を採ることができる」

「ああ、なるほど……!」

 ヤッベ、根こそぎ採ってた……という不穏な呟きがミュゲイラの方から聞こえた気がするが、伊織は気のせいということにして自分でも魔石採りを始めてみた。

 位置さえ合っていれば驚くほど簡単に落とせるが、少しでもずれていると傷すらつかない。

 ヨルシャミ曰く根元が魔石の急所のようなものなのだという。そう言われるとなんだか魚を締めている気分だ。


「この辺りは低級な魔石が多いみたいだなぁ、もっと奥に行けば良いやつもあるんじゃね?」

「む? たしかにそういう傾向はあるが……」

「なら行くべしっ!」


 張り切ったミュゲイラが火球を連れて奥へと走っていく。

 まだ魔獣がいるかもしれないというのに不用心な! とヨルシャミを先頭に後を追っていると、背後から人の話し声が聞こえた。

 正確には人の話し声のようなものだ。反響して聞き取りにくい。

「うん? どうしたんだよ、皆――むぐっ」

 息をのんだ伊織は足を止めて様子を窺い、一足先にミュゲイラに追いついたリータがその口を両手で塞ぐ。

 そうっとヨルシャミの傍らに移動した静夏が小声で訊ねた。


「人間だろうか」

「人の声を真似る魔獣もいるが……よく聞けば靴音も聞こえる」

「マッシヴ様、もし人間でも鉢合わせると面倒な奴らもいるんで一旦隠れませんか……?」


 他の旅人や冒険者とこういった場所で鉢合わせることはよくあることらしいが、気性の激しい者だった場合追剥ぎ紛いのことをされる場合もある。友好的な者だとわかるまで身を隠すというのも手段としてはポピュラーだった。

(皆ならその辺の荒くれ者に負けることはないだろうけど……)

 場所が悪い。

 ここで大暴れして洞窟が崩れては大変だ。静夏は『加減』ができるようになったというが、相手がどうかはわからない。

「うむ、では一旦身を潜めるとしよう」

 幸いにも洞窟は綺麗な一本道ではなく道が分かれていたりくぼみがあったりと隠れるのに適していた。

 風の流れてくる道は恐らくあの出入口以外のルートで外に繋がっているのだろうが、地図には記されていなかったためまだ見つかっていないか人が通れないサイズなのかもしれない。だがおかげで洞窟の奥でも酸素には困らなかった。


 ブーツが地面を踏みしめる音が反響しながら近づいてくる。

 人間の声のようなものは徐々に言葉という像を結び、そして「会話をしている」とわかるようになった。


 火球は一旦魔石に引っ込めたため、暗くて姿形はわからない。

 会話の内容から相手の素性を探るなんて探偵にでもなった気分だ、と伊織が考えていると、その人物――恐らく二人組の男性の言葉がはっきりと聞こえた。


「まさかこんな田舎にまで魔石を採りに来ることになるなんてなぁ」

「さっきから愚痴が多いぞ。装置とやらの維持に必要なんだ、黙って働け。そんな適当にやってると例の連中みたいに切り捨てられるぞ」

「あれはあいつらがゾッとするような失敗したからだろ。たしか、ええと……」

 気真面目そうな男が愚痴を言っていた男の言葉を継ぐ。


「……古代の魔導師を逃がしたんだろ」


 伊織の隣でヨルシャミが息をのむのが気配でわかった。

 愚痴を言っていた男は「そうそれ!」と喜びつつ、なんだお前も話したいんじゃねぇかと揶揄う。

 言われた側は心底嫌そうにしていた。

「お前が愚痴ばっかりで辛気臭い雰囲気にするからだろ、気分転換だ気分転換」

「そういう気分転換なら歓迎だぜ、……っと、ここいらで採るか」

 魔石採取をしながらふたりは時々黙りつつぽつぽつと会話を続けた。


 幹部連中が欲しい情報が頭に入ってるのに逃がした。

 でも今まで目覚める気配がなかったんだから突然じゃ俺だって見逃す。

 どこへ行ったかはわからないが状態から見て高確率で死んでる、そんな内容だった。


 これは――ヨルシャミの話だ。

 ならばふたりはナレッジメカニクスの一員なのだろうか。


 そう考えているのは皆も同じだったようで、伊織は引き続き音を立てないよう気を配りながらふたりに意識を向ける。

 聞き耳はもうしばらくの間立てることになりそうだ。

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