はるを待つひと ④

『愛されているのが当たり前で、愛されている事に気付かない』


 いつかヒロが言ったそんな言葉が、トモの脳裏を掠める。

 誰かを愛することも、愛する人に愛されることも、ちっとも当たり前なんかじゃない。

 その証拠に、あの頃も今も、アユミが自分を愛してくれる事は、奇跡と言える事なのだとトモは思う。

 それが『運命のいたずら』と言うヤツなのなら、今度こそ逃すわけにはいかない。

 トモはアユミを強く抱きしめ、耳元に唇を寄せて、とびきり甘い声で囁く。


「じゃあ今だけは何もかも忘れて……オレだけのアユちゃんでいてくれる?」

「うん……」


 トモはアユミの唇にゆっくりと唇を重ねた。

 唇を押し当てるだけの少し長いキスのあと、唇を離してアユミを抱きしめた。


「ヤバイ……オレ今、すげぇ緊張してる……。やっぱカッコ悪いな、オレ……」

「ううん、そんなことないよ……。私も……すごくドキドキしてる……」

「じゃあ……もっとドキドキする事、しようか」

「……うん」


 もう一度キスをして、トモはアユミのパジャマのボタンを外し、唇でアユミの柔らかい肌に優しく触れた。

 指先から伝わる温もりが愛しくて、トモはあの頃よりももっと大切にしたいと思いながら、華奢なアユミの体を、壊れ物を扱うように優しくくまなく愛でる。


「アユ……もう一度、アユをオレだけのものにしてもいい?」


 トモが耳元で尋ねると、アユミは少し恥ずかしそうにうなずいた。


「アユ……愛してる……。もう絶対に離さない……」

「私も……」


 あの頃よりも大人になった二人は、何度も甘いキスをして、久しぶりに重ね合ったお互いの肌の温もりを確かめるように抱き合った。

 トモは、一度はあきらめた大切な人を再びこの手に抱く幸せを、全身で感じた。

 アユミは、別れてからもずっと想い続けたトモの愛を、体いっぱいに受け止めた。

 二人は離れていた長い時を埋めるように何度も求め合った後、幸せな気持ちで寄り添って眠りについた。




 リュウは薄暗い部屋の中で、深く愛し合った後、裸のまま隣で寝息をたてているハルの寝顔を見つめながら、はだけた胸元に布団をかけ直し、愛しそうに頭を撫でた。


(気持ち良さそうに寝てるな……)


 少し前まではハルの事をまだまだ子どもだとか、ハルに何をされても欲情なんかしないと思っていたのにと苦笑いしながら、ハルの頬に口付ける。


(ゆっくり大人になれって言ったくせに、ハルが大人になるのが待ち遠しいとか……。矛盾してるな、オレ……)


『ハルが大人になったら』と言う言葉は、リュウが今のハルにしてやれる、精一杯の不確かな約束だった。

 リュウにとっても不確かなその約束は、ハルが大人になるまでに、他の誰かを選ぶ時がくるかも知れないと言う不安をはらんでいる。

 それでもリュウは、ハルが言ってくれた言葉を信じて、ゆっくり待とうと思う。

 こんなにも愛してくれた人はいなかった。

 こんなにも愛しいと思った人はいなかった。

 すぐそばにいたのに、それまでの関係を壊すのが怖くて、ずっとハルの気持ちに気付かないふりをしていた。

 リュウは、自分よりずっと歳下のハルに、たくさんの事を教えられていると気付いた。

 生まれて初めて大切な人を失う怖さを知った。

 だから、この手でずっと守れるように、ずっと愛し続けられるように、自分の弱さから目をそらさず、前を向いて生きて行こうとリュウは思う。


「ハル……待ってるからな……。愛してる……」


 リュウがハルの耳元でそっと囁くと、ハルの寝顔が、幸せそうにほころんだ。




 翌日。

 お昼前、外出先から帰ってきたメグミが、リビングでお茶を飲みながら雑誌を読んでいたハヤテの隣に座った。


「ただいま」

「おかえり」


 メグミはハヤテの顔を見つめて、手を握った。


「ん?どうした?」


 ハヤテが優しく肩を抱き寄せると、メグミはハヤテの肩に頬をすり寄せ微笑んだ。


「あのね、ハヤテ……私、妊娠した。赤ちゃん、できた……」

「え……えぇっ?」


 突然の事に驚きハヤテは思わず大声を上げた。


「ホ……ホントに?!」

「うん。今、病院行って来たの。6週目に入ったとこだって」

「マジか……!やったぁ!!」


 ハヤテはメグミを抱きしめて、歓喜の声をあげる。

 予想以上のハヤテの反応が嬉しくて、メグミは安堵の笑みを浮かべる。


「ハヤテ、そんなに嬉しい?」

「そりゃあもう!!嬉しいに決まってる!!だってオレたちの子どもだよ?!いつ生まれるの?」

「来年の4月の下旬くらいだって」

「待ち遠しいな……。男の子かな?女の子かな?やっぱ元気ならどっちでもいいや。でもピアノは教えようかな……」

「ハヤテ、気が早いね」


 まだ妊娠がわかったところなのに、もうそんな先の事を言っているハヤテを見て、メグミはおかしそうに笑った。


「二人きりでいられるのも来年の春までだけど……オレたちに家族ができるんだって考えると、やっぱ嬉しいな」

「うん。私は子どもの頃から両親があんまり一緒にいてくれなくて、ずっと一人で寂しかったから……ハヤテと一緒に家族が作れるんだって思うと、すごく嬉しい」


 ロンドンに行く前、メグミはいつも広い家に一人ぼっちで、寂しさを埋めるために背伸びをしていた。

 一緒に過ごした帰り際、いつも寂しそうに手を握ってハヤテを引き留めていた、若かった日のメグミを思い出し、ハヤテはいつもそうしていたように、メグミを抱きしめて優しく頭を撫でた。


「今は寂しくないだろ?オレがいるし……」

「来年の春には3人家族になるんだもんね」

「うん……。メグミにまた会えてホントに良かった……」


 ハヤテは愛しそうにメグミを見つめて、優しく唇を重ねた。


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