来るべき時が来た! ⑥

 ユヅルが生まれた翌日。

 ライブ明けで休みだったリュウは、いつもよりゆっくりと目覚めた。

 前日の疲れからか、ハルは隣でまだぐっすり眠っている。

 リュウはハルの寝顔を眺めて、頭を撫でた。


(昨日、よっぽど疲れたんだな……)



 夕べ、リュウとハルはレナの病院からの帰り道で、個室のある和食レストランに立ち寄り食事をした後、人通りの少ない夜道を手を繋いで歩いた。


「なぁ、ハル……」


 しばらく黙ったまま歩いていたリュウが、ハルの顔を見ないようにして話し掛けた。


「ん?何?」

「もしも、いつか……オレより好きな男ができた時は……そいつの所に行けよ」


 その言葉にハルは思わず立ち止まり、目を大きく見開いてリュウを見上げた。


「なんで……そんな事言うの?」

「もしもの話だ。オレといるより幸せだって思える男が現れたら……オレに遠慮なんかしないで、そいつに幸せにしてもらえ」


 ハルは繋いでいたリュウの手を振り払い、一人で足早に歩いていく。


「あっ……オイ、ハル……」


 リュウは、溢れる涙を手の甲で拭いながら足早に歩くハルを追い掛けて、腕を掴んだ。


「離して……。そんな事言うとーちゃんなんか、大嫌い……」


 ハルの泣き顔に、リュウの胸がしめつけられるように痛んだ。


「わかった……。とーちゃんは、ハルがいなくなっても平気なんだね」

「ハル……オレは……」

「もういい……何も聞きたくない」


 ハルは腕を掴んでいたリュウの手を、もう片方の手でほどいて背を向けた。


 それから二人は黙り込んだまま、少しの距離を置いて歩いた。

 ハルは部屋に戻っても、リュウとは目を合わせようとも口を聞こうともしないで、何も言わずシャワーを済ませると、おやすみの一言もなくベッドに入った。

 いつもは嬉しそうに笑って、リュウにしがみつくようにして寝るハルが、リュウを拒絶するかのように背を向けていた。

 ハルを傷付けてしまったかもと思いながらも、何も言えないまま目をそらしていたリュウは、シャワーを済ませ冷えたビールを飲みながら、ハルの背中を見つめた。

 リュウはビールを飲み終わると、ハルの隣に横になって、ハルの寝顔を覗き込んだ。


(泣いてたのか……)


 いくつもの涙の跡が残るハルの頬をそっと撫でて口付けると、小さな声で呟いた。


「ハル……ごめんな……」




 リュウは、まだ寝息をたてているハルを優しく抱きしめた。


(平気なわけねぇだろ……)


 ハルを突然失う事が怖くて予防線を張る自分に、心底嫌気がさした。

 いつの間にこんなにハルを好きになっていたのだろう?

 気付けばハルが自分にとって、なくてはならない存在になっている。


(やっぱ……誰にも渡したくねぇ……)


 リュウはハルを抱きしめる腕に力を込めた。


「ん……とーちゃん……?」


 リュウの腕の中でハルが目覚めた。


「ハル……昨日はごめんな……」

「……とーちゃんは、ハルがいなくなっても平気なの?」

「全然……平気なんかじゃねぇ……」


 声を絞り出すように答えるリュウの顔を、ハルはじっと見つめた。


「だったら、あんな事言わないでよ……。ハルは、とーちゃんと一緒にいたいの。他の人とじゃなくて、とーちゃんと幸せになりたいの。とーちゃんもそう思ってるからハルに指輪くれたんじゃないの?」


 右手の薬指に光るハルと同じ指輪を、リュウはじっと見つめた。


「思ってるから……ハルを誰にも取られたくねぇから……ハルに、オレの渡した指輪をしてて欲しかった……。離れてても、ハルが他の男の事なんか好きにならねぇように……」


 ハルは微笑んで、いつになく素直に気持ちを打ち明けるリュウの唇にそっとキスをした。


「ハルは、とーちゃんが好き。これからもずっと、他の人なんか好きにならないよ」

「これからもって……この先まだまだなげぇぞ?オレみたいなつまんねぇ男でいいのか?」

「これからずっと、ハルが、とーちゃんを幸せにしてあげる。そうしたら、つまんなくないでしょ?」


 予想外のハルの言葉に、リュウは苦笑いした。

 いくつになってもハルはハルだ。

 歳が離れていようが、その気持ちがブレる事なく、まっすぐ自分に向けられている事が何よりも嬉しい。


「……生意気だっつーの……。でも……ありがとな、ハル……」


 珍しく素直なリュウに、ハルは少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「惚れ直した?」

「バーカ」

「バカって何よ……ひどいなぁ……」


 ハルが拗ねたように唇を尖らせると、リュウは笑ってハルの唇に軽く口付けた。


「好きだぞ、ハル」


 ハルは嬉しそうに笑って、リュウにギュッとしがみついた。


「浮気はダメだからね」

「はぁ?なんだそれ」

「ハルは、とーちゃんが他の女の人に触るのは許せないもん。もしかして……そういう事する相手が、別にいる……?」

「……いなくはねぇ……」

「……ふーん……」


 ハルはリュウから手を離し、クルリと背を向けた。

 リュウは慌てて、ハルの体をもう一度自分の方に向けた。


「もうしねぇ。絶対しねぇ」

「ふーん……。ホントかな……」

「約束する」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る