第33話 無自覚な偉業

 このタイミングであの特訓の世界に戻りたくない一心で、俺は彼に懇願するかのように話しかける。

 しかし彼は、そんな俺の空気を一切読み取ってくれなかった。

 一瞬怯んだように見えたのだが、気を取り直したように、俺に向かって突進してくる。

 その動きはやはり鈍く、一瞬闇帝かと浮かんだ考えを、さらに否定しておく。


「ガアアアアアアアアッ!」


 口元の牙を剥き出しにして、俺に掴みかかってくる。

 その手を払い横に避ける俺。そこで俺はふと気付いた。

 闇帝はヴァンパイアロードだという話だった。そして目の前の男は、明らかに吸血鬼の兆候がある。

 ならばこいつは闇帝ではなく、奴に噛まれて吸血鬼になってしまった下僕なのではないかと気付いたのだ。


「下級の吸血鬼か。哀れな」


 俺にはいくつもの魔法が、ミュトスによって強制的にインストールされている。

 その反動で脳の毛細血管が破裂し、不本意な死を迎えたこともある。

 だがその知識の中に、吸血鬼を人間に戻す魔法は存在しなかった。つまり、目の前の男を救う術は、今の俺にはない。


「救う術はない、か。すまない!」


 助けられないと断じ、俺は男に向かってナイフを振るう。

 その一閃は容赦なく男の首を両断せしめた。

 本来ならば、人を斬るという日本人としては、倫理的に抵抗のある行為。

 しかし斬るべき時に斬るという心構えと実践は、あの空間で散々叩き込まれていた。


 首を失い、ぐらりと傾ぐ男。しかしその首から肉の繊維がずるりと伸びて、首の切断面に繋がり、元の位置へと戻っていく。

 切断された後は数秒も経たずに元通りに治ってしまっていた。


「そっか、吸血鬼だもんな」


 吸血鬼と言えば、白木の杭か銀の武器。闇帝の眷属ともなれば、通常の手段では倒せない可能性が高い。

 下僕であるならば、奴と同じく再生能力を持っていても、おかしくはなかった。

 そうと分かれば、まず用意すべきは銀か杭。


 しかし俺の収納魔法の中身は、肉と金貨と銀貨くらいしかない有様だ。あと粘液器官といくらかの着替え。

 杭になりそうなものは無いし、銀と言えば銀貨しかない。

 さすがに銀貨を投げつけてダメージになるとは思いにくいので、どうしたものかと思案しつつ男の攻撃を捌き続ける。

 そんな俺の視界の隅に、見慣れぬアイテムが収納されていることに気が付いた。


「これは――」


 そこにあったのは一本の剣。

 片手でも両手でも使えるいわゆるバスタードソードと呼ばれる類の長剣だ。

 銘はなく、アイテムとしての名称も神剣としか表示されていない。

 しかし仮にも神剣と表示されるほどの品なら、下級の吸血鬼を倒すには充分過ぎる。


 俺は剣を収納から呼び出し、両手で構える。

 その構えも、散々あの空間で修業したため、実に自然に構えられる。

 今なら分かる。今の俺から見れば、セラスですらまだまだ未熟なのだと。

 そしてこの剣ならば、目の前の相手を苦もなく両断することができる、と。


「グ……」


 俺の纏う空気が変わったことが分かったのか、男は今度はむやみに飛び掛かってこずに、様子を見るように警戒する。

 もちろん俺も、それを待ってやる理由はない。

 今度はこちらから――と思って一歩踏み出した瞬間、男は光の弾丸を雨のように撃ち出してきた。


 その弾速は普通の矢よりも早く、普通ならば反応するより先にずたずたに貫かれていたことだろう。

 威力も半端ではないらしく、背後の建物が粉微塵に吹き飛び、石畳が捲れあがり、瓦礫を周囲に撒き散らしている。

 それだけでなく、光弾は村の外まで貫通し、遥か彼方へと消えていった.

 恐ろしいほどの威力があり、射程があった。

 これほどの魔法がノータイムで撃てるなんて、俺は吸血鬼を甘く見ていたかもしれない。


 しかし俺も、ミュトスによって散々頭を砕かれた経験があった。

 確かに凄まじい威力の魔法だったが、この程度の速度なら彼女の放つ大岩の足元にも及ばない。


「せえぇぇぇぇいっ!!」


 いくつもの光弾を躱し、あるいは斬り落とし、男へと肉薄する。

 あの空間で、俺はゴルドーから『斬り方』というモノを散々叩き込まれていた。


『斬るべきは肉ではなく、骨ですらなく、その存在がある空間ごと斬れ』


 ゴルドーの言うことは理解できなくも無いが、最初はどうすればそれが可能になるのか、さっぱり分からなかった。

 結局斬って斬って斬りまくり、なんとなく『こうだ』という感覚を覚えてやっと身に着けた技だ。

 存在する空間ごと敵を斬れば、どのような防御も無効となる。


「ゴルドー流剣術、五の太刀――虚空こくう


 この世界には存在する、剣神ゴルドーが開いたとされるゴルドー流剣術。

 その道場は今も存在するが、その流派は一の太刀から四の太刀までしか伝えられていない。

 五の太刀はゴルドーが神となってから編み出した、対象を空間ごと斬り裂く、防御不能な一撃を放つ技だ。

 脳天から股間までを一刀両断し、すぐさま飛び退ってから残心の姿勢を取る。


「ギ――?」


 その一撃を受けて、吸血鬼は疑問の声を漏らしていた。

 存在空間自体を斬り裂く技のため、斬られたことによる痛みは存在しない。

 しかし空間ごと両断されているため、彼もまた、二つに分かれるしかない。


 そしてこの剣の恐ろしいところは、この後にある。

 斬られた空間は元に戻ろうとうねり、磨り合わされ、捻じれ、荒れ狂う。

 そこに存在する吸血鬼もそれに巻き込まれ、徹底的に磨り潰されていった。

 空間が元の形を取り戻した時、そこには吸血鬼の姿は欠片も残されていなかった。


「……ふぅ」


 俺は大きく息を吐き、戦闘態勢を解く。

 あの男に邪魔されてしまったが、それよりもグラントの容態を見ねばならない。

 俺は亀裂を飛び越え、グラントの元に駆け寄った。

 近付くと、彼の胸が小さくも規則的に上下していることが分かる。


「良かった、どうやら無事みたいだな」


 安心し、彼の下に庇われていた者を引っ張り出すと、そこにいたのはアデリーンだった。

 考えてみれば、アデリーンの姿も見かけなかった。


「こんなところまで駆け付けて、彼女を護っていたのか。やっぱお人好しが過ぎるんじゃないか、グラントさん」


 多少歳の差は感じられるが、この二人は相性が良いと思う。

 どこかほっこりとした気分のまま二人を抱え上げ、俺はセラスの元へと戻っていった。


「シノーラ、無事だったか! さっきの光弾を見たか?」

「ああ。途中で吸血鬼に襲われたんだ。そいつが撃った奴だよ」

「あんなとんでもない魔法、初めて見たぞ」


 セラスは興奮気味にそう言って、背後を指差す。

 そこには光弾によってすだれのように斬り裂かれた村の姿があった。

 その被害は村だけにとどまらず、森の中を駆け巡り、その向こうまで続いている。


「どれだけのバカ威力だったんだよ……」


 その被害の甚大さに、思わず呆れ越えを出してしまった。

 どうやらあの吸血鬼、身体能力よりも魔法に適性のあった個体らしい。

 それでもミュトスより弱いと思ってしまうあたり、俺も毒されている。


「まぁいいや。グラントさん、見つかったよ。あとアデリーンさんも」

「良かった、無事だったんだ」

「意識はないけどね。早く外に運んであげて」

「任せろ!」


 ドンと胸を叩いたセラスは二人を荷車に乗せ、そのまま村の外へと走り出していった。

 とりあえず、グラントを助けるという目的は達成した。

 しかしまだ、村の中央付近には、多くの意識不明者が転がっている。

 それを助ける前に休息を取ることは、まだできない。


「さて、もう一仕事しますか!」


 自分に気合を入れて、俺はもう一度村の中心へと向かったのだった。

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