第57話 逃走するルミナ
「これは……仕方ないわね」
自然回復と筋力に魔力を回し、左腕から流れ出る失血を無理やり止める。血にも魔力はこびりついているため、可能な限り一滴でも敵に渡したくなかった。
「……さよな」
「逃がさん」
強化されている足に力を込め、全力で町の外周へと走る。町長も逃走を察し、逃げるルミナを追いかける。足の速さはルミナよりもわずかに遅い程度だった。
だがそれでもなお町長との距離は縮まっていく。
「っ!」
「地の利は私が持っている。例え君が速くても無駄だ」
「ふざけっ!」
ルミナは町の形状から外に最も近いのは南南東の方と判断し、家をぶち抜きながら直進する。魔力による強化があるため家の強度などあってないようなものであり、障害物にすらなり得ない。
しかし目くらましの煙幕程度の、僅かな心理的戸惑いを起こす程度の障害になっていた。このためルミナの方が足が速いにもかかわらず、全力が出し切れないという意味で距離が縮まっていた。
だがルミナの選択は間違いではない。仮に通りを抜けたり屋根を飛んだ場合、人が多くて全力がだせなかったり、地面に接することができずに町長の魔術により足を物理的にとられるからだ。
対峙していた数mの距離が少しずつ迫る。十数秒と経たずに町の外まで出られる速度だがそれでもなお町長の方が速い。
「これでも喰らいなさいっ!」
「ほう……」
バングルからグレイオーガの骨を取り出す。取り出すだけでルミナは掴まずそこに置かれるが、真後ろから追いかけている町長からすればいきなり速度0の障害物が現れたようなもの。高速で追いかける者からすればこれほど邪魔なものはない。
「グレイオーガか。そういえば倒していたらしいな」
町長は跳んできた骨をスッと掴み、空へと放り投げた。まるで障害にすらならないとにやけ顔を隠さない。
が、次の瞬間その顔は曇ることになる。
「これで全部。ようやく邪魔なのが消えてせいせいしたわ」
「やるな」
骨は一本だけではなかった。数本、十数本がルミナの後方には散らばっている。しかも取り出したままで速度0の状態だけのものではない。一瞬だけつかんで自らの速度を与え、手放すことで自然に速度が落ちたものもある。
これでは簡単には近づけない。
「とでも思わせるのが狙いかね?」
「いいえ、そう読ませるのが狙いよ」
家を貫き移動するルミナ達は砂ぼこり舞うがために眼に魔力による強化を施している。砂が目に入っても傷つかないようにだ。だが明確な障害物に相手の狙いは何かを考えるほんの僅かな一瞬だけ、町長と視界が遮られる。ルミナが狙っていたのはそれだった。
ゼㇽを可能な限り巨大化させて展開する。人が粉々になる、頭が2m以上ある大槌形態どころではない。頭が5m以上はある、壁としか思えない形態だ。
そしてゼㇽはどうやっても破壊されない性質を持つ。仮に災害獣に踏みつけられたとしても壊されない武器なのだ。そんなものが高速で動く者の目の前に突然現れれば、起きるのはただ一つ―
「ごっ!?」
「あと数歩で逃げ切れた。でもこっちの方が早かったようね」
―衝突して身体に移動しているだけのエネルギーが跳ね返るだけである。町長はルミナ同様音速以上の速度で移動していた以上、激突したときのダメージもそれ相応に跳ね上がっている。例え魔力による強化があると言っても先ほどよりも動きが鈍ることは明白だった。
それだけのダメージを負った町長を無視し、逃げていた速度そのままにルミナは町から門を介さずに壁をぶち抜き外へ出ようとした。
その時だった。
「ぱっ!?」
ルミナは何かに溺れた。突然口の奥まで水が流し込まれたかのように、身体が不調を訴える。
あり得ない。あたしの口の中は魂喰らいの力が及ぶ。奪った力はあたしのモノになるから、あったとしてもあたし自身に溺れるようなことになるはずだ。
でもこれはそんなんじゃない……一体どうやってあたしに干渉を!?。
「いやいや惜しかった……。実に惜しかったよ。だがどれだけ優秀であっても、ここまで嵌った以上この罠から逃げるのは不可能だ」
身体が溺れ、まともに息すらできないながらもキッと睨むルミナ。だが息が続かないためまともに身体は動かず、目を見開いたままその場に崩れ落ちる。
罠……そうか、読み違えた。ミグアによる暗殺からの呼び寄せみたいなこそこそとしたものではない。これはもっと単純なものだ。
ゼㇽへの衝突のダメージはない。そう示しつけるかのように両手を組み、ルミナの視界内の見えやすい位置に町長は立っていた。
「腹の中、そう表現したな。あれは間違いではない。私の支配領域という意味であり、そして……我々の種族そのものである災害の腹の中ということだ」
ルミナの耳には聞こえている。ルミナは肉体があってもその本質は魂喰らいであり、肉体だけに囚われる存在ではない。だが肉体に縛られているのは違いなく、肉体が死んでいても多少動かせる程度でしかなかった。
腹の中、ということはやはりやってしまった。ここは既にやつの……やつらの懐の内。五大種族どころか魔物や他の生物からも殺さないといけないと認識されている凶悪極まりない災害。
絶対に囚われてはいけない、囚われたら助けられないから。戦ってはいけない、あなたの精神を殺すから。殺したいけど手を出すな、そう言われるやつら。
「私の……いや、我々の災害獣としての名前はよく知られている。あらゆる生命体から嫌われているからな。知っているだろう?、マイマイという名前を」
ルミナの意識が落ちる。水の中に―
―否、マイマイという空気に擬態した水の中に溺れ町長の目の高さまで浮かぶ。それは生殺与奪を奪われたことを意味している。
「幼生という段階を踏む生命体に憑りつき、いずれ我々と同じにするだけ。たったそれだけの災害だよ。君も我々と同じになるのだよ」
ドレの町……どころではない。アドの町まで覆うほどの図体。テアマ盆地の半分近い大きさを持つ巨体。その外から見れば何も変わらない風景だが、一度入れば抜け出せない……マイマイという種族に変貌しない限り。
内部は時間すら変わり、入った人はほんの少しずつ魔力が本人が気づかないままに空気の魔力と同化しているマイマイのそれと同等のものにに変質していく。魔力操作能力が高ければ抵抗できるが、せいぜい数日程度。懐に入れば入る程に変質は加速する。例えそれがどんな存在だろうと時間が無限にあればマイマイに変わる。
これこそが災害獣キグンマイマイであり、ルミナはその罠に完全に囚われたのだった。
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